重要なのは、相手の気持ちを推しはかる想像力。
人との付き合い方について
改めて考えてみたいと思います。
私が日々暮らす中で、様々なタイプや境遇の人たちと出会います。
よく思うことは、誰でも
自分と似通った部分を持っている人のほうが、受け容れやすいというか、
理解しやすいんだということ。
似た思いや経験をした人の話は、
共感力が上がるけれど、
初めて聞いたり、自分が経験したことのない話は、どんな話であっても、
「へぇー、そういう世界もあるのか。」といった具合に、自分の頭の中で具体的に思い描くのが難しいです。
例え、「すごいなー、真似できない。」と思うことや、「それは気の毒だな。」と思うことであったとしても。
しかし、人との関係は切っても切れない関係性もあったりして、
自分と似通った人との付き合いは、
相手を理解しやすい部分も多いけれど、そうでない場合は、相手の気持ちを推しはかる洞察力や思い描く力とかがないと、
とんだ勘違いな発言をしてしまったり、無防備に相手の気持ちを傷つけてしまうことに繋がると思います。
私はこれまで、
昨年までの自分は、
自分のやるべきことややらねばならないことで手一杯で、相手の気持ちを推しはかるだけの余力を持っていませんでした。
自分のことまで蔑ろにしてしまうくらい、余白の時間がなくて、疲弊したり心に余裕のない生活をしていました。
そのため、自分の一方的な思いや大事にするものを思う気持ちの方ばかりを
優先し過ぎて、
身の回りの人間関係のバランスがかなり悪い状況だったと振り返ってみて思うのです。
一方向ばかりに力を注いでは、
生活の一部としてそれ以外の方向も存在しているにも関わらず、偏りのあるバランスの悪い、力の入れ具合だったのでは?と。
そのため、自分は周囲とうまく折り合いをつけるのが苦手でド下手だったんだなと思えたのです。
自分のまわりは360°全方向にあるのに対して、一部にしか目を向けていなかったというか、
一部分に注力し着目し過ぎて、
他の面を蔑ろにしてきたから、
生活の一部である人間関係に対して、全バランスをうまく舵取りすること自体を完璧にするのは不可能であったにしても、
私の場合は偏りがありすぎる、人との付き合い方をしてきたな、
と反省しました。
結局、そういう人間関係の仕方を続けていると、よく接する人からは良い人だと思われるのだけど、そうでない人たちとの良い人間関係が築けられっこないと気が付きました。
その事自体を感覚では分かっていたのですが、
そういうことをしていると、
人生を生きていくにあたり、
『共存や共創の世界』ということを
考えると、
ちょっとこの生き方は違うのでは?と
違和感を感じはじめたのです。
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