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子ども相手

子どもの相手をする仕事につくことが
50代になり、多くなってきました。

我が子が幼稚園の頃に入った塾で勤務をしたのが、仕事として小さな子どもの相手をする初めてのことでした。


私自身は、昔保育園に通っていた頃、
保母さん、今で言う保育士さんに憧れたのが、初めてなりたい職業でした。

その後、小学校へ行っては小学校の先生。
中学校へ行っては中学の音楽の先生。

段階とともに、その時に習った先生でとても影響を受けた人に憧れては、そういう先生になりたい!と心から思って育ちました。

なので、影響を受けた人、先生たちが
多いため、色々な先生の良い面を
見習いたいと思ったり、こういう人っていいなと思える大人の中で育ったことは、大変な宝物だったと思います。


さて、自分が大人になってみて思う
ことですが、大人って意外とできないことが多いんだなと自覚したことです。

幼い頃や若い頃は、大人とか目上の人は偉いことを言うし、さぞかし自分
よりも何でもできるものなんだろうなと思って見ていました。


でも、自分がいざ50歳を超えて、中高年の部類に差し掛かってきた今、思うこと。

人生経験とか、生きてきた時間は長いので、若い人よりしてきたことや、間違えや失敗をして学んだことはいっぱいあるけれど、だからといってできた人か?というと、大人だからって人間的にできた人ばかりではないし、自分だって若い人に叶わないことも沢山あって、何でもできるなんてとても言えないなと思います。


しかし、子どもから見える大人は、
身体が大きいだけではなく、何でも
できて、色んなことを教えてくれる
存在に思えるのだろうと思います。


ひと昔前、私たちの親世代は戦争経験者なので、先生も親も、戦争の辛さや苦労話を何度も何度も子どもたちに
語っては、戦争は二度と起こしちゃ
いけないよというような話を聞かされてきました。



今、私たち戦争を知らない子どもたちが親になり、子育てをしています。

だからこのように、
戦いごっこや、戦々恐々としたような社会になってきたのではないでしょうか。


日本は、表向きには諸外国のように、武器を持ち戦ったり、戦争が間近で勃発したりということはないけれど、
子ども社会から受験戦争や競争があり、大人社会においては勿論のことのように、相手を蹴落としのし上がるのが当たり前のような、競争社会が往々にして見受けられる世の中であることには違いないと思います。


昭和生まれの私ですが、今では古き良き時代と言われ、平和ボケした世代だと揶揄い半分に言う人もいます。

確かに、私たちが育ってきた時代を振り返ると、高度成長期に生まれ、戦争を乗り越えた親たちは必死に働いて、若い頃食べることに苦労してきた世代なので、子育てをしながらも日本を
敗戦国ながらも立派な先進国の仲間入りにさせた時代を築いた親たちの下、私たちは成人の頃にバブル期が弾けて1990年代に氷河期を迎え、新卒採用が大卒者でも難しいというような時代になりました。

その後、何とか働き出してキャリアを積んでは、燃え尽き症候群になるくらい働き過ぎで疲弊して体を壊す人たちも沢山いました。

そうこうしながらも、勝ち組、負け組なんて言葉がもてはやされながらも、自分なりに子育てをしたり、親の面倒をみたりしながら過ごしている。
そんな姿が、今の40代後半から60歳位までの私たちの世代だと思います。


今の世の中は、私たちやそれより年上の世代が生み育てた子どもたちが、若手や中堅で頑張り、社会を率いる存在になっています。

その人たちは、やはり私たちと同様、戦争を知らない世代が親になり、社会に出て何某かの手段を用いて子育てしてきた人の子どもたちです。


そして、今育っている小さな子どもたち。

小中学生や幼児の子どもたちは、その次世代が生み育てている子どもです。



そういう子どもたちに接する仕事につく、謂わばおばあちゃん的な存在。
お母さんのお母さん=おばあちゃんと
同じ位の年齢である私たちができる
こと。
又は、受け継いでいくべきことって
一体どんなことなんだろう?


今更、明治、大正、昭和の戦争の辛い話などをしても、時代錯誤な感じが して聞いても現実味が沸かないでしょう。


こんなにお互い傷つけあっては疲弊して、戦々恐々とした社会なのだから。

本来ならば国の教育として
今一度、戦争ってどんなに恐ろしいものなのか。
負けた時に、私たちの先祖たちが
どんなに酷い生活を強いられたのか。
そのことについてもっと深く聞かせることが、これからの時代の子どもたちの為にはなるだろうと考えます。


今現状として幼児に教えていること。

英語教育やお受験に備えたり、礼儀やお行儀よくすることを学んだりする教室もある他、 
友だちと仲良くすること、おもちゃの取り合いや喧嘩をしたら仲直りすること、生活習慣〜手洗いや歯磨き、トイレの習慣をつけたり、食事前には手を洗っていただきますをしてから食べること〜などが主なのかなと思います。



保育園の先生も、人手不足なので
手が回らない部分もあるため、
読み聞かせや遊びを取り入れたりしながら、子どもたちにこんな思いを伝えたいと思っていることがあったとしても、中々それを現場で子どもたちと
接するときに意識して伝えていくほどの余裕もないのが現状かと思います。

やはり、最低限の生活に必要なしつけ、友だちや先生との関わり方を教える、というのが主な仕事で、戦いや戦争が国ぐるみで起きるとどんな大変な事態になるかなどということは、もっと大きくなり、小中学生になってから
教えていくことだろうと思います。



私たち、おばあちゃん世代が孫世代に伝えるとよいことってどんなことだろう?

いくら「仲良く過ごすといいよ」
とか、
「友だちとは、友情とは、こうあったほうがいいよ」
とか、お話に交えて子どもたちに伝えたとしても。

もしかしたら、大きくなり大人社会の縮図のように、学校に入ると、競争事が起きて、仲間はずれごっこのような事に巻き込まれて、友だちなんてできないと思ったり、孤独感を味わうことがおきることも、十分ありえます。

そんなときに支えてくれる人〜友だちでも大人でもいいから〜がいてくれたり、何か気の利いたことを言って教えてくれて、それが励みになり頑張り
抜くことができるとよいのですが。


それでも、やっぱり幼い頃には
綺麗事かと思う人もいるかもしれないけれど、
ちゃんと向き合ってくれたり、自分のことを分かってくれる人がいること。
友だちと仲良くすると楽しいと思えること。
ケンカしたままだと、自分も相手も
嫌な思いを引き摺るので、ちゃんと
仲直りをしたほうがいいということ。

感情と行動によって、楽しいことと
嫌なこととの向き合い方などを実体験させて学ばせることは、していけたらと思います。



育児や保育の時間も、毎日の中で限られた時間です。

できることやその日に伝えられることは、本当に極々限られたことだと思います。



しかし、学校や社会に出てからの 
べースは人間関係。

人間関係さえ何とかやっていければ、
乗り越えられることは多いと言われています。

転職や、学校、職場がイヤになる原因の最たるものは人間関係だったりするそうです。



打たれ強いだけでは、いつか折れてしまうこともありえます。

趣味や好きなことがあると、現実逃避をしたり、打ち込んで嫌なことを忘れられたりすることもあります。



そういう意味では、自分の好きなことを知ること、伸ばしてあげることは大切かもしれません。

習い事をするもよし、特段習い事をしなくてもできる趣味もあります。

女の子ならお母さんと料理や手芸、
あやとりや折り紙やお絵描きなど。

男の子なら電車や車ごっこ、友だちと人生ゲームなどのボードゲームをしたり、かけっこ、鬼ごっこやボール遊びなど。


そんなことをしながら幼児期、小学校時代を過ごしてきたら、楽しかったことや得意だったことを思い出して、そこから大人になった今、何ができるのかを考えて、好きなことや趣味が広がり、人間関係で躓いたときの支えに
なることが生まれるかもしれません。



小さな頃からお友だちと関わったり
色んな遊びなどに触れさせて、上手にできたら褒めるという経験をさせる。

すると、大きくなってから、
どこか頭の隅にあるものがひょこっと出てきて、
「あんなことを昔やってたな。
またやってみようかな。」と
思うこともあるから、習い事や趣味を見つけることは小さな頃からやってみると良いかもしれません。

また、そばで見守る大人たちも、
見守るだけでなく、できるところは
褒めてあげて、自信を持たせることは
大切かもしれないですね。




時代によって求められることが違っていたり、物事には流行り廃れもあります。

また、その時代に合った教育や伝えて
いくべきこともどんどん変化していくものだと思います。



私たちにできることを考えて、
人と接する時に少しずつそれを
取り入れながら、生活できれば
いいなと思います😊💐。











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さゆゆ
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