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2022年の秋、法隆寺へ

旅行二日目最後の観光先、法隆寺!
聖徳太子由来のお寺さん。東方projectの元ネタだと神霊廟の聖地ですね。

お昼ごはん

その前に腹ごしらえ。旅行雑誌を見ると大抵紹介されている『平宗法隆寺店』へ寄ってみました。

小皿たくさんで嬉しい

柿の葉寿司は奈良の名物らしいです。初めて食べます。
うん、味は押し寿司って感じです。ぎゅうぎゅうですな。

法隆寺参道~南大門

参道。松並木が真っ直ぐのびていて美しいです。

続いて玄関口である南大門へ。
ここでは鬼瓦に注目。

鬼の額に三鈷杵の爪部分のようなものが四つ合体している

派手なデザインですな。
三鈷杵は仏具ですのでお寺にちなんでなのでしょうか。
後で調べてみたところ色んなデザインの鬼瓦があるようです。

中門

3,4メートル級の仁王像がお出迎え

東大寺と同じくこちらも学校の授業で聞いてるかもしれませんね。
こちらの仁王像は立体像として現存する中で最古のようです。

金堂・五重塔

中門から撮る構図はよく見られるので逆から撮ってみた。
左が金堂、右が五重塔。
金堂の彫刻。獅子の口回りは龍っぽい。

金堂・五重塔ともに屋内の撮影NGですのであしからず。
ありがたいことに金堂は公式HPで写真をご展開いただいております。

法隆寺創建は飛鳥時代、積極的に仏教を取り入れ始めた時代です。
なので仏像もその時代のものがいくつかあり、現代我々がイメージする仏像とは違う印象でした。

お釈迦様やその他如来様など、飛鳥時代作のものはフェイスラインがスッキリめでした。ほんの少しガンダーラ美術の残り香がします。
そして四天王像はいかつい顔で甲冑をまとった武将姿ではなく漢服の文官風なデザインでした。

東方の星ちゃんはどちらかというと文官風なのでもしかしたら金堂の多聞天(毘沙門天)を参考にしているかもしれませんね。

馬屋

実は法隆寺参拝は2回目。
今回の一番の目当てはこちらの馬屋だったります。

左のひとはおそらく調子麿
近くに看板が見当たらなかったので憶測です

驪駒早鬼の元ネタ

聖徳太子の馬といえば、そうです、黒駒です。
東方でいうところの驪駒早鬼組長です。
彼女のテーマ曲名が聖徳太子のペガサスなのでそのままイコールと捉えてよろしいでしょう。

にしてもお馬さんが小さくてかわいい。
人妖名鑑でZUNさんが見た目の印象のわりには小さいとおっしゃっていたので大柄ではない様子。ただ、小柄ともおっしゃられてないので、個人的には幻想少女の中では平均的な身長と捉えております。

驪駒についてもっと語りたいのですが、ゲーム酔いから原作は東方天空璋体験版止まり、尚且つイージーシューターなので会える気がしません…
(比較的酔いにくい黄フロシリーズはとりあえず着手済なので剛欲異聞は全クリ済)

調子麿とは?

聖徳太子の舎人、つまり太子にお仕えしていた人です。
どうやら渡来人らしく一説には百済の王族だったらしいです。
(調子麿の家系についてはネットで調べた程度にとどまってます。すみません。)

この調子麿、太子に命じられて黒駒の面倒を見ていたそうです。
太子を乗せた黒駒が空を飛んで富士山まで飛んだ逸話がございますが、調子麿は最後まで付き添っていたらしく疲れた様子を見せなかったそうです。
黒駒すごいぜ!なお話と見せかけて調子麿が超人じみているという。

神子と驪駒の絡みもぜひ見たいですが、調子麿の幻想入りも期待してしまいます。法隆寺とは関係ありませんが雪丸という犬を飼っていた逸話もあるので雪丸ちゃんも是非とも来てほしいですね。来たれ!獣!

大宝蔵院

所謂ミュージアム。仏教に関するアイテムが並んでいます。
こちらも撮影NGなのであしからず。

東大寺と比べると迫力に差が出ますがこちらはどちらかというと年季のありがたみでしょうか。
純粋にすごいと思うんです。飛鳥時代ですよ。約1400年前。

展示物のなかでも玉虫厨子(※)なんてのは非常にロマンに感じます。
経年劣化から現在はほとんどはがれておりますが当時は玉虫の翅があしらわれていたらしいです。
一辺数センチ程度のプレートに玉虫のイメージサンプルが飾られており宝石にも劣らないきらびやかさを感じました。
※厨子=ご位牌や仏像など大切なものを安置する収納ケース。

そのサンプルを目にした男子学生が気持ち悪がっていたので複雑な気分でしたが、まぁやってること自体はグロテスクなので仕方ないか。

ミュージアム内は団体の修学旅行生と鉢合わせになってしまったのでじっくり見ることはできなかったのですがその代わり学生の反応を見られました。
まぁとにかく関心を持たない。
引率の先生が『これめちゃくちゃすごいんだぞ。なんでみんなスルーするの?』と悲しがってました。
今も昔も変わりませんね。私も小学生の頃奈良京都へ修学旅行へ行きましたが特に感動もなく、記憶に残りませんでした。

ただ、七星剣だけまじまじと見つめている女学生組がいました。
もしかして審神者か…?

夢殿

名前や外見で察しがつく通り、東方神霊廟5面夢殿大祀廟のモチーフ元ですね。
こちらは飛鳥時代作ではなく、奈良時代の高僧が聖徳太子の斑鳩の宮の跡の荒廃ぶりを嘆いて建立されたそうですね。

話はかわって、水曜どうでしょうではサイコロの旅で法隆寺を観光してますね。ミスターと大泉さんはどこでサイコロを振ったのでしょうか。
なんとなくそんなことを考えながら歩いてました。

豊聡耳神子の元ネタ

宗教(仏教)や政治など大陸文化を積極的に取り入れて日本の発展に大きく貢献したのが聖徳太子もとい厩戸王ですね。
説明不要なレベルの歴史的人物と思い込んでいたのですが、教科書から存在を消されてたんでした。そもそもそれをきっかけに豊聡耳神子として幻想入りを果たしてるわけだし。
ただ、2017年の新聞で復活の記事を見かけたので今は教科書に戻ってきてると思われます。

旅行二日目これにて終了。
少し早いですが法隆寺周辺のバスは16時台がデッド。
時間に余裕があれば刀自古郎女(屠自古の元ネタ)ゆかりの寺、法起寺にも行きたかったのですが今日はここまで。

明日は大本命の朝護孫子寺です!

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