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某コレッジのレクチャーシアターで講演会@ケンブリッジ

火曜日は日本時間夜7時からの講演会をズームで少しきいてから、午前11時半から、ケンブリッジの女子教育関連の講演会をうかがう。必要な衣料品などの買い物をしてから、一度、自宅に戻って、少し休憩し、5時からの歴史学部150周年講演会に。食材もまとめ買いしたので、荷物が重くなり、数日前に大学バスの図書館停留所に自転車を置いたままで、そこまで遠く、小雨もぱらぱらだったため、タクシー帰宅を選択。スライドドアが固くてうんしょと閉めようとしていたところ、通りすがりの男性が、外からさっと閉めるのを手伝って、去っていかれました。こちらをみてなにか恩に着せるふうもなく、いかにもイギリス紳士風のおしゃれな外見でもなく、ご自身、大きなビニールの手提げを2つほど両手にかかえながらも(こちらではよくみる風景で、ぼろぼろのビニール袋に買い物の中身を詰めて歩いている方も多いのだが、こういう普段着のイギリスも気取らずいいものです)、しれっと去っていかれるところが粋でした。疲れが出たのか、昼寝が長引いてしまい、夕方から出るのはおっくうだなあと思いながらも、5時前にはまだ真っ暗ではないことがありがたく、小雨のなかをとぼとぼ出かけました。よく通る道でありながら、初めていく建物であったため、やはり入口がわかりにくく、最初に地図で確認した会場近くの門は、コレッジのメンバーしか入れなかったため、うっかり目的の建物に近そうな裏にまわりかけて、ここから先には入り口はなさそうだ、さてはよくある、構内の目的地から離れたところにポーターズロッジというパターンと悟り、表通りにまわってポーターさんの入り口に戻ると、遠回りではありながら、ちゃんと講演会出席者のための道筋が書いてありました。1973年の100周年の講演もふりかえり、ケンブリッジの歴史学部の歴史、アメリカ史の教育が始まったことの革新性、レクチャーレスな傾向のあるケンブリッジの歴史教育の特徴、後半は、カルチュラルヒストリーの主流化、そして、将来は予測できないが、2073年の講演者が何を話されるのか…というしめくくり。聴衆は私含めて年齢層たかめだったため、20名程度にみえた現役の学生さんらしき若者以外には、73年の200周年講演をこの世できくことはなかろうな~。ただ、70年代にここで学んだOBですが…という方の質問もあったので、若い方たちは自分が70代になって、今日の講演会をなつかしくふりかえりながら、200周年の講演をきかれるのかなあ、などと。そういえばちょうど、隣接の教会で昼間、お葬式にいきあいましあた。さすがに写真をとるのは遠慮したのだけれど、12時のしめやかな鐘が、どこか悲しげだなと思えば、黒を基調にした僧衣をまとった司祭様に導かれて、黄色を中心とした💐が置かれたお棺を担いだ方と、それに従うご遺族らしい方たちが、教会の裏口に到着されたところでした。文化は違っても、冠婚葬祭の思い、人間の生と死の現実は変わらない。少し遅れて会場に入ると満員だったため、最初は立ってきいていたところ、さらに遅れてこられた紳士(この方は典型的なそれ風の装い)が、荷物がおいてあった奥の席まで入って行かれたので、私もあとについて、座ることができました。その方がまっさきに質問され、さらに、別のアフリカ系の男性が、アジア、アフリカの歴史教育はどうなっているのか、と質問をされたので、私も、アジア中東学部の教育など、エリア研究との関わりはあるのか、協力関係などこれまでにあったのか、とつい質問。同じような質問が続いたので、講演者の先生に悪かったかな、と若干気が利けていたら、お隣の方が、グッドクエッション、とおっしゃったので、ほっと。ケンブリッジのコレッジの夜は、特に、雨上がりだったりすると、訪問者には神秘的にみえるが、中では学生さんの日常生活の歓談があって、楽しそうにコレッジの学友とすごす若者の姿をみていると、戦前の旧制高校もかくやと想像したり(もっとも、旧制高校は男子校)。運よく、目の前にある学バス停留所にすぐに学バスがきたため(学生さんが待っているのですぐくると察知。けっこう遠目のコレッジにはバスで20分通学という話もうかがったので、夜でも学生さんの乗車は多い)、乗って自転車をおいた図書館近くまで戻り、自転車で自宅へ。自転車さん、屋外でお留守番、ありがとう。自宅近い途中のコンビニ的なるお店で、自転車のかごのなかに荷物が少ないタイミングで、お水とジュースを入手。明日は来月以降の仕事に供えての事務連絡をまとめてしなければ。


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