もし私が今日28歳になるロックンローラーだったら

私は今日が誕生日で28歳になるロックンローラーではなく、ギターに触れたことすらないただの女子高生ですが、ふと28歳になるロックンローラーが誕生日に更新するnoteを書きたくなったので、なりきって書いてみます。

28クラブ


28歳になった。
私はロックに生きてきたから、27という数字の大きな力を信じていた。27歳になることは特別で、こんな売れないロックンローラーにだって何か奇跡のような出来事が廻ってくるのではないかと、期待していた。
実際は、何も変わらない日常が、ただ続いていた。今日が昨日になり、明日が今日になる。その繰り返しだった。それだけだった。

ギターを背負って上京した18歳の頃の私は、27クラブの一員となることに憧れていた。若かった、のだと思う。ただ、その若さが私の失いたくなかったもので、あのミュージシャンたちが27歳で死んだ理由でもあったのだろう。私のエネルギーの源泉は、社会に対する怒りや反抗心で、それは、年を重ね、時間が過ぎていくにつれて、薄れていってしまうものだと知っていた。だから、この気持ちをなくしてしまうくらいなら、社会に迎合してしまうくらいなら、27歳がゴールでいいと思った。丸くなって、落ち着いた自分になることが、そう悪いことではないとわかっていた。そうすれば、それなりに幸せで、充実した人生を送ることができるのだとわかっていた。でもそれは、今の自分を否定することだと思った。だから、27歳で、終わらせてしまいたいと思った。

そんな思いも、いつの間にか薄れてしまった。27歳になる前に、なくしてしまった。自分が思っていたよりもずっと早く、若さを手放してしまった。だから、もう、しょうがないのだ。今の私は、昔の私がどうしてもなりたくなかった私だ。社会に迎合してしまった私だ。こんな人間になりたくなくて、ギター1本で上京した。信念を貫き通せなかった私は、もうロックスターになることはできないのだ。思春期の私が憧れた、27歳でこの世を去ったあの破天荒なミュージシャンたちのようには、何にも縛られず変わらない自分を持ち続け、それでも日々新しいものを生み出し続けるロックンローラーのようには、もうなれないのだ。

ふと、気が付いた。バイトをしている時間は、ギターを持っている時間より長かった。電車に揺られる疲れた顔のサラリーマンに、私の欠片が見えた。

特別に、なりたかった。そのために、安定を捨て、私がたった1つ持っていた音楽に全てを懸けた。

特別には、なれなかった。

28。それは、何者にもなれなかった自分を痛いくらい思い知らせる数字だ。私にとって、28が持つ力は、27に感じていた神秘的な力より、ずっとずっと大きいものだった。大きくて、痛くて、苦しいものだった。それでも、28歳になってしまったのだから、信念さえ、持ち続けることができなかったのだから、私は、何者にもなれない自分を受け入れて生きていくしか道はないのだろう。それでも、音楽は捨ててしまうことはできないから、情熱は消えてくれないのだから、この不安定で苦しい道を、歩いていかなければならないのだろう。27歳で死ねなかったロックンローラーは、きっと誰もがこの28歳の壁にぶつかってきたのだろう。何者かになりたかった自分。でも、何者にもなれなかった自分。たくさん悩んで、それを受け入れて、ただ音楽が「好き」だという気持ちだけで、生き続けていくのだろう。これから先も、たくさんのロックンローラーが、この壁にぶつかっていくはずだ。だから私は、未来の悩めるロックンローラーたちを、若さと引き換えに手に入れた落ち着きで、迎え入れたいと思う。

28クラブへ、ようこそ。

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