10-16 グッバイ、ブルーバード[happy happy]
劇団CLOUD9 旗揚げ公演
グッバイ、ブルーバード[happy happy]感想
10/16(日)
13時公演を観劇しました。
1週間と日が空いてしまいましたが、私の思ったことまとめです。
以下の文章は、私が思ったことを好き勝手書いているものです。そういうの求めてないんだよという方はお勧めしません。色んなこと考えてお前本当に芝居見てんのかと思われると思います。
全ては私の強火の妄想で成り立っています!!
◉登場人物
日菜子(紅羽)
理想を思い描いてパラレル世界を行き来する。
その世界に存在する自分を殺していく
やり直すために世界に戻ろうと決意する。
本を読むのが好きで、友人の「そんなに本が好きなら自分で書けばいい」という言葉に乗せられて、筆を取った女性。
大学生の時に自分でも面白いと思った小説を応募して、新人賞を取るがその後は鳴かず飛ばずの小説家に。勝負に出ようと、小説のネタを探すため行きつけの喫茶店の屋根裏に忍びこむ。
ー忍び込んだ屋根裏は、どこか違う世界へと繋がっていた。そこには、私と同じ姿形をした“私”が存在していた。その存在に触れることで、日菜子は何に気付いたのか。
悠(時生)
野球選手になってもITベンチャーの社長になっても花屋でも自身が死んでしまう
家業である花屋を継いで、自身を守る存在であると告げるゆりさんと出会い生活をしていくが、百合さんは自身を庇い死亡する。
生きる世界で百合さんを探し、生きていく
ある世界線では野球選手、ある世界線ではITベンチャーの社長、またある世界線では家業の花屋。
同級生の友人と話した自分達につきまとう「幸せの総量」の話題に、これからの自分の人生、作り上げたキャラクターとしての自分、沢山のことを考えているとどこかで会った覚えのある女性とすれ違う。
そして、その直後、彼は必ず死を遂げる運命にあった。しかし、女性としっかりと会話する機会のある世界線では、彼女のお陰で死を免れる。この世界線の彼女に会うために、助けてもらった生を全うするために、彼は歩みを止めず生きていく。
壮太(糺司)※観劇未
多分、一番いろんな世界を既に見ているんだと思う。自身があんなに疲弊して、自身の目の前の幸せを受け止めきれずに、他人の幸せに縋るということは、いろんな世界で自分が「幸せ」になれないことを知っているからではないか。
自分で自分が見えてない、判断基準が誰よりも他人な存在だと思った。
地方公務員→学校の教員→医者 と富を得られるようになっていっても、襲ってくる“この「幸せ」が持続しないかもしれない恐怖”に彼は耐えきれなくなっていた。
◉構成
芝居構成は
3人芝居 10分
1人芝居 20分
3人芝居 10分
1人芝居 20分
3人芝居 10分
となっており、最初の3人芝居をきっかけに1人芝居に繋がっていく、というもの。
それぞれにテーマ曲が存在し、終盤に音楽が入る。歌詞に耳を澄ませると確かにその話を彷彿とさせる。話を印象付けるのに効果的だと思う。
タイムパラレルを用いた作品は数多くあるが、この少ない時間で複数の話が綺麗な線を描くようにまとまっていて、素晴らしいと思った。
どの話がどう繋がるのか、短い時間の中できっかけを探ろうとしっかり役者の表情や動きにも集中して見ることができた。
◉思ったこと
・自分殺し
哲学での自分殺しは成立するかという議題を思い出した。実際、これは不可能だと言われている。
過去に戻って自分を殺めたときに、自身の存在も消えるからだ。ただ、今作はタイムパラレルという、複数の世界がありその数の分だけ、“自分”が存在しているという仕組みとなっている。
この設定であれば、世界線を移動しているので私が別世界の“私”を殺めても、私の存在が消えることはない。
違う世界線の自分を殺したところで、殺した相手は自分と姿形は似ているかもしれないが、中身は違う人間である。いってみれば他人。
成り代わろうにも成り代われない存在である。
だから気づくのだ。成り代わることでも満たされない自分に。他人だから、求められているのがこれまでの自分であり、今生きる自分でないことに。
日菜子がとある世界線の“自分によく似た存在(=その世界線の日菜子という人物)”に生理的嫌悪感を覚え、また自分よりおそらく満たされている状態にあることに嫉妬して、成り代わろうとしていることはひどく虚しく見え、その行為が自分自身の1番の否定に繋がっていると思う。
モヤがかかって見えない顔ではない、見たくないんだと思う。自分よりいい顔をしているから。
3人芝居 真ん中で出てきた日菜子は後々1人芝居で出てきた日菜子に殺められると思う。
切ない。死体隠しどうやってやったんだろうな。
・「幸せ」の量は決まっている?
幸福量保存の法則というか、幸せの量が決まってるって考える人はいる。
総体として「幸せ」の量が決まっている、という考えもあれば、人間の生まれた時から個人の幸せの量は決まっているという考えもあるそう。
作品のテーマ、話題の中心にあるこの「幸せ」
「幸せ」とは一体なんだろう。
・誰かに認められることが幸せなのか
・富を得ることが幸せなのか
・美人と結婚することが幸せなのか
・誰かより優越感を得ることが幸せなのか
イメージしてみると、確かにそれらを得ることができたら「幸せ」に思う。だからといってこれが「幸せ」の中身かと言われるとそうではないと私は思う。幸せの価値観は人によって、生まれてきた生活環境や培ってきた感覚によって個人差があるからだ。数学に公式のように決まった形が存在しない、個人が持つ感覚に直結する「幸せ」というものが、どうして3人の運命を左右することなんてできるのか。そう思えない事象が数多く起きていたため、3人は誰かが幸せになると自分が不幸になるという考えに陥ってしまった。
何か大きな自分を変える事象がないと、幸福ではないという概念が頭から消えなくなってしまった。決してそれは、幸福の中身ではないと思うのだけど。
・グッバイ、ブルーバード
最後の3人芝居で、ナイフを持ち、人生に意味を見出せない、幸せが失われるのが怖いという壮太を落ち着かせるために、日菜子が
「青い鳥なんていなかった。それでいいじゃない」
と言葉を投げかける。
これまでのセリフとは違う、一見軽い言葉を突然ぶつけるのはどうしてだと思いながらも、それが自然だとも思った。
なぜなら答えがないからだ。ふさわしい、答えを、私も、彼らも持ち合わせないからだ。
この作品における「青い鳥」とはなんなのか
幸せの青い鳥を求める姿勢や理想は悪いことではない。その理想を掲げて行動する現実の私の存在は生きている。理想を実現するために、生きている。
しかし、日菜子のように理想を描いてそれが実現せず、「現実はこんなもの」と思った時、現実になる。理想が現実にならないと、理想は実現できないと自分が考えてしまったら、それが叶わないと自分で線を引いているのと同じだ。※1
今作での青い鳥は、「幸せ」というラベルを貼られた各々の固定概念のことだと私は思った。
そう思うと日菜子の「青い鳥なんていなかった。それでいいじゃない」という言葉が、スッと私の心に馴染むのだ。
その固定概念を外して、自分で自分の幸せを理想として掲げ生きていくことは、きっと今までより生きている感覚がすると思う。
◉語彙力のない感想
いやめーーーーーーーーーっっっちゃ面白かったですわ!!!!!!!なんか70分でこんな満足度高い芝居すごーーーーーーーーーーい!!!!!キャッキャ!!!!!
ってなりました。でかい声で好きな動物は猫ちゃんです!クロネコが好きです!と騒いだ人間です。
長ったらしいことをね書いておりますが総括すると面白かったーーーーー!です。
こういうね、作品に触れて色々考えるのが好きなんですよ。脚本家さん、いやそんなこと意図してない笑って思われてると思うんですけど、完全に私の趣味で大好きなんです。
2個目の3人芝居で出てきた日菜子ちゃん、多分1人芝居の日菜子に殺されるな〜と思ったので、オヨヨヨヨとなり、3個目の3人芝居でも、いやだなーーーこの後またころされるとか嫌だな〜ってドキドキしながら見てましたが、そんなことなくてよかったー!壮太が爆発してたけども。いやあれは爆発しますよね。多分いっぱい自分が幸せになれない様子を見てきたのだと思いますよ。
先のこと考えすぎてどうしていいかわからなくなること、日常的に経験があります。彼は他人を見過ぎただけなんです。考えるべき対象の「自分」を基準とせずに、日菜子だったり悠だったり、別世界の自分だったり。他人に基準を置きすぎて、自分が見えなくなってしまって苦しいんだと直感的に思いました。他人を基準にしてもいいことないですからね。変化できるのは自分だけで。だから自分が他人を変えれると思うこともあまりよくなくて。私はきっかけを出すことはできても、変化させることまではできないと思ってます。
相変わらず語彙力がないですね。ちょっとぽいこと言います。
頭の中の少ない知識を総動員して、自分の中で見たものを深めるっていう行為が好きなんです。
この言い方かっこいいなって思うんですけどどうですかね。^^!
また機会があれば観劇に行きたいと思います。
最後にこんな砕けた文章で締めるのか。と思いますが、かたっくるしい文章よりは親しみ持ってもらえそうなので、今後もこんな感じで行きたいと思います。
noteの使い方ちょっとよくわかってないので、
上手く使いこなしてる人より読みにくい形式だと思います。
ここまで読んでくださってる方がいるかは謎ですが、そのうち改善したりするかもしれません。
気長にお待ちください。
良いお芝居をありがとうございました。
(※1 考えるにあたって読み返した本。
参考文献*14歳からの哲学 考えるための教科書 p92 理想と現実 池田晶子著)
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