1998年8月26日(水)
【僧侶鍛錬場:佐々木 未生・手島 哲士・稲見 正一郎】
「そう考えると僧侶ってそうりょーって感じよね」
そうりょーの部分を少し残念気味に表現しながら佐々木 未生がこのように言葉を発した。ここは午前中の僧侶鍛錬場。本日もたくさんの僧侶が鍛錬を行なっている。16期の同期である佐々木と手島 哲士、稲見 正一郎は朝から一緒に鍛錬を行なっている。鍛錬を行いながら、いろいろ話をする中で、僧侶の鍛錬が単調でやる気が湧きにくいのではないかという話になる。僧侶の鍛錬は大きく分けて2つあり、手のひらに色のついた光球を発現させるというものと、祈りである。光球発現は現在無色から白色、紫色、緑色の発現まで出来ており、次は桃色球の発現に向けて鍛錬を行なっているところだ。祈りに関しては探索において非常に重要である無効の祈りの精度を上げつつ、次の祈り効果である彷徨える塔を目指しているところである。ただ、彷徨える塔の効果に関しては先輩僧侶達の中でも懐疑的であり、物珍しさに一度は唱えてみるものの、実用的には足りないとのことで、実際には使用はしないということである。そこで祈りに関してはその先にある天罰の習得まで地道に鍛錬を続けることになるのである。
「成長がわかりにくいよな」
「その点罠解除士とか魔術師は良いらしいね」
軽くため息をつきながら手島が言葉を口にし、稲見がそれに返事をした。他の職業とは一緒に鍛錬を行わないし、鍛錬場に入ることもないので詳細を知っているわけではない。ただ、罠解除士は自分の現在のレベルを把握できる装置があると聞いているし、魔術師は攻撃魔法の段階が分かれているので次に目指す魔法がわかりやすく、その期間も僧侶ほど途方に暮れるような期間では無いのだ。
「誰が言ったか知らないけど本当にそうりょーって感じよね」
再度佐々木が残念そうにそうりょーと口にし、それに対して手島と稲見も大きく頷いた。ちなみに、このそうりょーと残念っぽく発音することについてだが、かなり昔に僧侶の応募が少ない事を憂いた佐々木 雅美がその理由を考えていた際に、魔術師の本田 仁が僧侶の人気がなく、対して魔術師は人気がある理由として、言葉のイメージであると説明したのである。僧侶のイメージをそうりょーといかにも残念に発音したのに対して魔術師のイメージをまじゅつしーといかにも楽しく発音したのが起源である。