1996年12月6日(金)《BN》
【紅蘭亭:前田 法重・佐々木 雅美】
「ごめんなさい。お待たせしました」
「いや、大丈夫。待ってないよ」
待ち合わせ時間に少し遅れてやって来た佐々木 雅美から声をかけられた前田 法重は平然と返事を返した。ここは『紅蘭亭』。熊本の老舗中華料理店である。本日午前中は迷宮探索を行った前田だったが、その後は家に帰って着替えた後で街に移動する。そしていろいろ準備をした後で『紅蘭亭』にやって来たのだ。最近前田は佐々木と同伴で『道』に行くことが増えている。『道』は居酒屋なので、店員と同伴する必要はないのであるが、佐々木は『道』で働く前に食事を済ませるので、その食事を一緒にいただくと、そのまま一緒に『道』に行くことになり、形上同伴ということになってしまうのである。今日もここ『紅蘭亭』で夕食を食べた後で、2人は一緒に『道』に行く予定となっている。もちろん佐々木は店員で前田は客としてである。
「あれ、何か今日ありました」
じろじろと前田の服装を見つめながら佐々木が声をかける。普段は基本的にカジュアルな格好をしているのだが、今日は少しフォーマルな服装をしている。もちろん似合うとか似合わないとかではなく、何となく違和感を感じるのである。
「いや、何かあるというわけではない」
一旦前田は否定してみせる。そこで佐々木はこれ以上詮索するのはやめておいた。ほどなく予約していた料理が次々と運ばれてきて、何気ない話をしながら美味しく食事をいただく。結構な量の料理が出てきたが、2人で完食することができた。
「いやー、お腹いっぱいや」
「私もです」
たくさん食べた2人は満足気な表情を浮かべて、少しまったりした時間を過ごす。そしてしばらく時間が経った後で前田が口を開いた。
「今日は雅美に話しておきたいことがある」
いつになく真剣な表情で話を始めたのを見て、佐々木も姿勢を正して聞くことにする。すると大きく息を吐いた後で話を続けた。
「来週から『道』の改装工事が始まって、来年の3月ぐらいには新しい『道』が出来る予定だ」
知っている情報だが、佐々木は何も言わずに静かに話を聞いている。
「雅美は今後も『道』を続けると思うから、新しく出来るビルに引っ越して来ればいいと考えている」
これを聞いて佐々木は思考を巡らせる。確かに『道』の上に住めるのであれば、それは便利かもしれない。自分のことを気にかけてくれているのだろうと思い、佐々木は少し嬉しい表情を浮かべる。
「ありがとうございます。ということは前田さんが2階に住まれると聞いているので、私は3階になりますかね」
素直な感想を佐々木が述べる。それを聞いた前田は意を決した表情で口を開く。
「いや、2階に住めば良い」
一瞬佐々木の頭は混乱する。2階は前田が住む予定である。それなのに自分も2階に・・・。
「雅美、俺と一緒に住んでくれ。人生を共に歩もう」
こういって前田は右ポケットに潜ませていた指輪ケースを佐々木の前に差し出す。このことを予想していなかった佐々木はかなり思考が混乱するが、混乱の中から喜びが湧き上がってきて、目から涙があふれだす。
「前田さん。ありがとうございます。よろしくお願いします」
こう言って指輪を握る前田の両手を外側から包み込み、佐々木は長年待ち望んでいたプロポーズを受け入れたのであった。