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能登半島地震と農業~珠洲の現場で感じたこと
リッカ・コンサルティングのフクダです。
先日、能登半島地震で大きな被害を受けた石川県珠洲(すず)市の農業法人・べジュールさんに伺いました。現地の農業の現状を見聞きして、考えさせられることが多くありましたので、今日はそのお話。
(2024年4月末当時の状況ですので、現在とは異なる部分があると思います)
珠洲市の農業に関わったきっかけ
私が珠洲市の農業に関わったきっかけは2015年ごろ。当時、前職で芝浦工業大学と産学連携に関わるお仕事をしていました。そこで知り合ったのが珠洲市出身の山崎敦子教授。私が農業関係の支援をしていたことから「珠洲市の農業支援に関わってほしい」とお声掛けをいただきました。
珠洲の農業におけるキーマンとして紹介されたのが、農業法人べジュールの足袋抜豪(たびぬき・ごう)さん。珠洲市出身の彼はスキューバダイビングのインストラクターをしていた頃、能登半島の海中が荒れていることに気づきます。田畑から海への距離が近い能登では、環境負荷の少ない農業をやるべきだと感じた足袋抜さんは、地元の若い人たちと環境負荷の少ない農業に取り組み始めたのです。
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ケール栽培にぴったりだった珠洲市
とはいえ、当時は農業を始めてまだ数年。トマトやかぼちゃなど色々な作物を作っているものの、栽培技術や品種選定のサポートが必要だと感じました。そこで、元々お付き合いのあったトキタ種苗さんをご紹介して、品種の選定や栽培技術指導をお願いしました。
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それから数年。芝浦工大と栽培のDX化に取り組みながら試験栽培を続けた結果、珠洲市はカリーノケール(サラダケール)の栽培にぴったりな土地であることが分かりました。ケールの大敵は高温多湿なのですが、能登半島の先端である珠洲市は梅雨前線の影響を受けにくく、海風が吹くので夏も涼しくカラッとした気候。さらに珪藻土質で水はけも良いのです。
他の産地の出荷がガクッと落ちる8月から9月にかけて、珠洲は安定的にケールを出荷できる貴重な産地となりました。
震災前の2023年には、べジュールさんだけで年間30tものケールを出荷するようになっていました。
震災で農業ができない。でも雇用は続けたい
震災後、トキタ種苗のスタッフが足袋抜さんと連絡をとったところ、大きな被害を受けていることがわかりました。
毎日畑を片付けているけれど、片付けるだけでは1円にもなりません。スタッフのお給料もかかります。農業を続けていくには収入のもとになる作物が必要です。
例年であれば3月に種まきするケールも、ハウスが使えないので苗が作れない。トキタ種苗の社長判断で、ケールの苗3万株を育てて無償提供、さらに現地で苗植えのスタッフも派遣することになりました。
金沢から140㎞、言葉を失う被災地の状況
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4月末、私もトキタ種苗のスタッフとともに現地を訪れました。大宮から金沢までは2時間。金沢駅周辺は国内外の観光客で賑わっています。しかし、ここから珠洲市まで、能登半島140㎞の道のりで「これが本当に同じ県だろうか?」と思うような大きな衝撃を受けました。
反対車線が完全に陥没してなくなった道路、沢山のつぶれた家、地面に飛び出たマンホール、傾いた電柱、明かりの消えたコンビニ。震災前に何度も訪れた中心地・飯田地区の市街は、変わり果てて人の気配がありませんでした。(つぶれた家の写真もいくつかあるのですが、持ち主のかたの心情を考えてここには載せません)
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水道もトイレも使えないけれど、ここで農業を続ける
待ち合わせ場所の畑に到着すると、足袋抜さんが笑顔で出迎えてくれました。やっていることはかなり熱いのですが、語り口はとても穏やかな足袋抜さん。被害状況をあらためて教えていただきました。
河口近くの畑は津波で浸水しゴミだらけ。片付けてなんとか苗を植えたけれど塩害などは分からない。
海沿いのビニルハウスは液状化してぬかるんでしまい、半分が使えない。
作業所の建物は冷蔵庫ごと潰れてしまった。
自宅は4ヶ月たった今も上下水道が使えず、毎朝親戚の家に井戸水を汲みに行き、トイレは使えないので近くのホテルへ。家も半壊して簡易ハウスのようなところで寝泊まりしているそうです。
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自分自身の生活もままならないのに、3人のスタッフの雇用は続ける。さらに足袋抜さんは引退した競走馬のホースパーク事業や、宿泊施設「木ノ浦ヴィレッジ」の運営も手掛けています。過疎と高齢化が進む珠洲で、ここまで頑張れる原動力は何なのでしょう。凄い。
生き残った畑にふたたびケールを植える
地震でケール畑の3/4ほどは使えなくなってしまいました。当日はトキタ種苗の研究農場スタッフと、なんとか使える状態の畑とハウスにケールの苗植え。さらに栽培アドバイスなどをお伝えしました。
当日の様子はいくつかのメディアでも取り上げていただきました。
ケールの収穫は6月ごろから始まります。既に多くの飲食店チェーンから「応援購入したい」というお話をいただいています。現金収入の目処が立ってきました。
農業の復興にはだかる壁①水
農業に詳しくない方は「田畑は建物みたいに潰れないのだから、津波にでも遭わない限り、すぐに復旧できるんじゃないか」と思われるかもしれません。
ところが、そうもいかないのです。
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上の写真は、珠洲の田んぼが広がるエリアです。4月下旬は田植えの時期ですから、本来であれば田んぼに水が張られているはずなのにカラカラです。
田んぼに水を通すための水路が地震で壊れてしまったり、地割れで畔が割れてしまったりして、田んぼに水をいれることができないのです。
能登半島は川が少ないため、伝統的に農業用水はため池から供給されていました。そのため池も、半分近くが亀裂・崩落などの被害を受けています。
地元のかたの話では、1反(1,000㎡)の田んぼを補修するのに100万円程度かかるそうです。(ちなみに、1反の田んぼで1年間に得られるお米の売上は10万円ほどです)
ただでさえ高齢化が進む地域で、個人農家が大きな投資をして田んぼを補修することはできるでしょうか。
農業の復興にはだかる壁②流通インフラ
田んぼに比べると比較的復旧しやすいのが露地栽培の畑作です。ケールも露地栽培の畑作です。しかし、これも流通上の問題があります。
まず、収穫した作物を大型冷蔵庫に入れて保管・出荷する必要がありますが、震災で多くの農業用冷蔵庫が建物ごと潰れてしまいました。大型冷蔵庫自体は数百万円で買い替えできますが、いま珠洲には大型冷蔵庫を入れる、丈夫な建物が残っていないのです。
本来であれば真空予冷庫といって、葉物野菜などを短時間で冷やして鮮度を保持する冷蔵庫が必要なのですが、1台数千万円するので小規模農家ではとても買えません。
さらに流通ルート。金沢と奥能登を結ぶ「のと里山海道」は、震災前は片道2時間程度で行き来できました。現在は崩壊箇所が多く片道車線のみしか使えず、片道3~4時間かかります。時間がかかる=流通コストが上がるため、ある程度単価の高い作物を作らないと、輸送コストに合わなくなってしまいます。
農業の復興にはだかる壁③人材
この問題が一番大きいかもしれません。珠洲にはいま、お金を稼げる雇用の場がなくなってしまったこともあり、多くの「働ける人材」が金沢などに避難・移住してしまいました。
農業は労働集約的な部分が多く、野菜の収穫や調整には多くのパート・アルバイト人材が必要になってきます。珠洲市は震災前でも人口1万3千人と、本州では最も人口の少ない市でした。今、珠洲に残っている人たちも「避難した人たちがどれくらい戻ってきてくれるのか見当がつかない」と言います。
収穫できる野菜があっても、収穫できる人・運ぶ人がいなくて出荷できない、という状況が起きてしまうかもしれません。
能登特有の土質が道路復旧の妨げに
私は2011年の東日本大震災のあと、ボランティアで宮城・岩手の津波被災地を何度も訪れています。当時と比べてみると、復興状況がかなり違うなと感じました。
具体的に言うと、現地で走っている復興支援車両、ボランティアがあまりにも少ないのです。倒壊した家の片付け、ライフライン復旧なども、現地のかたの話では「自治体から出された復旧見通しより、1ヶ月以上遅れている」とのこと。
これにはさまざまな要因がありますが、「土質による道路復旧の困難さ」とが大きく関わっていると感じました。
能登半島、とくに被害が大きかった場所の多くは珪藻土質です。能登半島は全国でも特に珪藻土の割合が高く、3/4が珪藻土質と言われているそうです。
珪藻土は軽くて吸水性・断熱性が高いため、珠洲では珪藻土を使った耐熱レンガや七輪、お風呂マットなどが名産品になっていました。
この珪藻土は便利な性質がある反面、軽くて大変もろいのです。
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金沢と能登空港を結ぶ自動車道「のと里山海道」は、道が大きく「ひ」の字型に陥没してしまい、そこに無理やりアスファルトを通して1車線作っているような場所が多くありました。地元のかたの話では、せっかく舗装しても雨などでまた崩れていってしまうのだそうです。
道が通らないと物資や人が届かない。すると上下水道などのインフラ復旧も遅れる。インフラが整わないと復興のための人材が現地に泊まれないので、さらに復興が遅れる…といった具合です。
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世界農業遺産の地域で、どうやって農業を続けるか
「能登の里山里海」は2011年に世界農業遺産に登録されています。
海沿いの棚田、ため池を活用した農業、揚げ浜式の塩田、能登の伝統野菜など、能登の地域特性を生かしたユニークな農林水産業の多くが今、存続の危機に瀕しています。
一度絶えた文化を取り戻すのは容易ではありません。足袋抜さんのような能登の心ある人たちが地域で事業を続けられるよう、私もできることを考え、実行していきたいと考えています。