『リテイク論』の前に
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『リテイク』の予告編を作ることになった。
「あの、中野さん。『リテイク』の予告編作りたいんですけど」
「え!?ほんと!?嬉しい、自分ではわかんなくて、一回作ったんだけど、なんだかわかんなくなっちゃったんだよね」と中野さん。
「あの、じゃあ、ほんと思いつきなんですけど、ぼくがやりたいだけだけど、やらせてもらいます」とぼく。
雨の車内、中野さんの事務所が移転することに決まって、そのお手伝いをしてる最中だった。もともとは、蔵まえギャラリーという酒蔵を再利用したつくりのギャラリーの二階に中野さんの事務所はあった。今回、蔵まえギャラリーの閉業に伴って事務所を移転することになったのだ。古い蔵の玄関はガラス窓で木造だから、ガラガラガッと引くと年季の入った引き戸の音とともにつっかえて外れそうになる。その存在感が中に入る人の気持ちを普段と違うものにした。入ってすぐに能の舞台のように存在する段差のある居間が現れ、ぐるりと見渡すと江戸の時代にはあそこに大きな酒樽があったり、ここでは正座した商人がそろばんを弾いたりしていたのかな、と思える間取りが目の前に広がった。要するに、江戸の商人の店の中みたいだった。でも、やっぱりなかなか年季が入っていて、親しみやすさがあった。ぼくには物珍しい形、色、匂い、空間だった。二階に上がる階段は『となりのトトロ』のメイとサツキが引っ越した家の階段そのもので興奮した。トントンとその階段を上って左手の部屋が中野さんの事務所で、そのほかにもいくつか部屋はあったが、閑散としていた。中野さんの事務所は散らかっていて、事務所移転のためにざっくりとまとめられた不要なものや機材、DVDがごろごろとあった。きっと、ジャガイモをこうやって置けば、たとえ「これは転がってるんじゃない、置いてるんだ」と言ってもごろごろと転がっているように見えるだろう - そんなことを考えた。2L飲料水のラベルがベタッと張り付いているふくらんだゴミ袋はまさにジャガイモみたいな形だった。メークインではなく、男爵いもって感じだ。中野さんの仕事用のパソコンは押入れを机にして置いてあった。窓辺には細かいモノと、『スタートレック』のエンタープライズ号のフィギュアがあった。とにかく片付けねば。
雨の中でも積めるだけの荷物は積み込み、中野さんとぼくは移転先の新事務所に向かった。新事務所といっても、今度も二階の一室を借りることになっていた。今度の事務所は、学童保育の場所になっている一軒家の二階。大きな荷物を階段のどんぐり(学童の子たちが飾ったもの)に当たって飛び散らないように、まずそれを取り外すことから始めた。テーブルや機材をうんしょうんしょと二階に運び、それが終わったらまた蔵まえギャラリーに戻った。『リテイク』の予告編を作るために、映像素材を中野さんからもらうためだ。
予告編を作りたいと思ったのは、ツムラ監督と話したからだった。
「映画でいちばん難しいことってわかる?上映する場所を確保することだよ」とツムラ監督。
ツムラ監督とぼくは、蔵まえギャラリーの客間でお弁当を食べながら話していた。その日は、中野さんがやっている子ども映画教室の子どもたちが作った作品の上映会だった。ぼくは中野さんの仕事に興味があったから、ぜひそういった節目の会には参加したくて、お手伝いという形で関わらせてもらった。その準備の間、腹ごしらえを済ませつつ、初めましてのツムラ監督とぼくは映画について語り合っていた。
ツムラ監督は70代くらいの、見た目はいたって普通のおじいさんという感じだった。最近はじめてドキュメンタリー映画作品を作り、蔵まえギャラリーでも上映させてもらったということで、その縁で今回子どもたちの作品にコメントをするという役割で来られたそうだった。もっとなにかいろいろ理由があったと思うが、今思い出せるのはこれくらいだ。
ツムラ監督は、ぼくにこう言った。
「映画はお金と時間さえあれば出来上がる。でも、上映して、ひとに見てもらう場所を作るのは、本当に難しい。なかなかできない」
ぼくはハッとした。中野さんの映画も、いつの間にか過去のものになっていっていることに気がついたからだ。映画は、上映されなければ、誰かに観てもらえなければ、固まったフィルムのまま冷たく眠っている。そんなイメージが頭に浮かんだ。
『リテイク』の話がしたい。『リテイク』は中野さんが監督した劇映画作品だ。あらすじは、ユウという女の子とケイという男の子、ふたりの高校生がひょんなことで出会い、ユウの思いつきで映画を作り始める、そのひと夏の記録、といった具合だ。主人公のふたりを取り囲む三人の友人、ウミ、ジロー、アリサも映画制作に関わることになり、群像劇にもなる。ジロー役でぼくも出演した。そう、ぼくは『リテイク』の出演者だった。話を戻して、『リテイク』は、ドキュメンタリータッチで高校生の映画制作の風景を切り取って話が進んでいく。でも、途中でなんだかんだあって映画制作は難航する。失恋や、友人関係、将来への不安、云々カンヌン、理由は様々あるが、とりあえず映画が完成するかしないかわからない。簡単に言うと、そういう映画。ただ、ここでひとつ仕掛けがあって、様々な理由で映画制作が難航するのはわかるけど、それをどうやって表現するか、映画が完成するかしないかわからないという可能性の話をどう表現するか、これを中野さんは「ループ」で表現した。途中で、主人公の男の子ケイが「カット!」って言ってカメラを切っちゃうんだ。そうやって何度も何度もリテイクを繰り返す。
『リテイク』についてなら、たくさん話せる。たぶん、何万字も書ける。だからとりあえずここで終わっとく。観てもらえたらいちばんだけど、その観てもらう場所がないっていうのがこの文章の主題だからさ。
さて、『リテイク』はPFFアワード2023でグランプリに輝きました。すごい!中野さんおめでとう!PFFっていうのは自主映画の登竜門で、ここでグランプリ獲ったひとで有名な映画監督になっているひとはたくさんいる。園子温、熊切和嘉、石井裕也.....あれ、今思い出せるのはこれくらいだ......もっといた気がするけど、とりあえず言いたいのは、面白くないとグランプリは獲れないってこと。そして実際すごく面白い。
ぼくは中野さんの母校の東京造形大学に通ってた。でも、コロナで大学が行けなくなったとき、美大は200万の年間の学費のうち半分の額を設備費に払ってるのに、大学に行けないならなんでお金払ってるんだろう、そもそも映画でご飯食べていけるのか?奨学金は返せるのか?どんどんずんずん気持ちが沈んで、大学は辞めた。後悔はない、と言ったら嘘になる。でも、間違いではなかった。それは「間違いない」。
大学を辞めた後、しばらくボーッとしてたら、造形の助教授の日下部さんから、「千葉くん暇ならぼくの後輩が映画作るから出てみない?」と声をかけてもらった。嬉しかった。辞めた後でも気にかけてくれたことが。本当に。
その「映画を作る後輩」っていうのが中野さんだった。
雨の車内。
「予告編ってテロップが大事じゃないですか」とぼく。
中野さんは曖昧にうなづく。でも、いつもよりリアクションは大きい気がする。疲れてるのかな、と思った。
「ぼく思いついたのメモしながら、笑っちゃいましたよ」
「そうなんだ」
「これです。〈幸せなのは時間の流れない世界へ行くことでしょうか?時間の流れる世界を引き受けることでしょうか?......リテイク〉」
ぷっと笑う中野さん。
「これもあります。〈少女の空想は容赦ない現実の冷や水を浴びせかけられる......リテイク〉」
おお〜と中野さん。
「ぼく、ツムラ監督と会って話したことが、予告編を作ろうと思ったきっかけになったんだと思います」とぼく。
「え?そうなの?」
「はい。ひとに観てもらうって難しいことだから。そういう場所を確保するってどうやるんだろうって思ったときに、たぶん自然と予告編のこと思いついたんです。そういえば『リテイク』に予告編なかったなと思って」
「うん。そうなんだよね。映画配給会社に売り込みに行こうかなと思うんだけど、予告編もないしな〜って、止まっちゃってた」
「そうなんですか」
「うん。ぴあはさ、海外には売り込んでくれるけど、国内ではあんまり」
「そうなんだぁ」
「うん」
「んー、ぼく園子温好きじゃないですか」
「うん?」
「それで、園子温は、たしか、『スターウォーズが海外でどんな賞獲ったか誰も気にしないだろ?そういうことだよ!』って、ざっくり言うとこんなこと言ってて」
「うーん、スターウォーズはねぇ、大ヒット作だから」
「うん、そうなんですけど」
あれ、ぼくの言ってること通じないかな、と思って、早口になりそうで、心のストッパーが働いた。早口はいけない。就活中のぼくにとって、早口になるのは日常生活でも嫌だった。面接の恥ずかしさが頭をよぎった。
「まぁ、いずれにせよ、国内で上映してほしいですよね」
「うん。そうだね」と中野さん。
蔵まえギャラリーに戻った後、ハードディスクに映像素材を移して、長い家路についた。
電車に揺られながら、中野さんが奢ってくれた八宝菜定食を思い出して、「美味しかったなぁ」と呟いた。ぼくはきくらげが好きだ。だけど、滅多に食べられない。あんまり調理法もわからないし、中華でしか見かけないから、食べるタイミングも限られる。でも、中野さんの手伝いに行くときは、ぼくは決まって中華を食べていた。いつの間にかぼくの中では、中野さんの手伝いと中華はセットだった。中野さんは絶対にご飯を奢ってくれる。ぼくも、手伝いの後だから遠慮せずに食べられる。きくらげの食感と、そのとき話していたスタートレックの話を、ぼくは満足感に浸りながら思い返していた。