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『リテイク論』の前に②

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  2021年の4月下旬から12中旬まで、約半年間かけて『リテイク』の撮影は行われた。その撮影現場は、今思い返しても独特なものだった。
 映画監督の諏訪敦彦は、女優のベアトリス・ダルから「鼻先までその曖昧さを吹きつけてくるような監督だった」✳︎1と言われているが、中野さんもそんな感じだったと思う。ぼくの記憶だと、ユウ役のうららちゃんは同じようなことを言っていた。うららちゃんは演技経験が無い。だから、「リテイクするにしてもどこがどうだめだったかをきちんと指摘してもらわないと治しようがない」と。中野さんは困ったように頭を掻くだけだった。うららちゃんは、PFFグランプリ受賞の壇上でも「いやあ、『リテイク』というタイトルなんですが、実際のリテイクもたくさんあって……」と恨み言を言っていた。中野さんは
「いやあ……すみません」
 そもそも中野さんは映画監督らしくなかった。中野さんは、統一された呼び方で撮影中呼ばれたことがない。ぼくは
「中野さん」うららちゃんは
「中野」ケイ役のむっちーは
「カントク」ウミ役のなこちゃんは
「中野さん」アリサ役のアレイナちゃんは
「中野」他のスタッフもまちまちで、比較的多いのは
「中野さん」
 そもそも現場は映画の現場らしくなかった。皆さんが映画の現場をどのように想像しているのかはわからないけれども、ぼくの中では確固としてあった。「こういう感じ」というものがあった。監督がいて、キャストがいて、その中心を取り巻くようにスタッフが大所帯で動いていく、そういった感覚があった。基本的にはそうなんだけれども、決定的に他の現場とは違うことがひとつあった。それは、役割が決まっていないということだった。
 映画は、だいたい脚本を映像化するためにひとびとが仕事をする。その映像化に重きを置くからこそ、仕事の役割分担が可能になる。でも、『リテイク』の現場には映像化への力強い求心力はなかった。「仕事」というような割り切り方ができない、役割の曖昧さがあった。ぼくは出演者として演技する傍らマイクや送迎、荷物運びをやったし、他のキャストも同じような感じだった。さすがにスタッフがキャストの代わりに出るということはないけれども、そもそもスタッフが中野さんと他二、三人だけということがほとんどだったから、車番や雑用にひとを割くと他のことはキャストでカバーしなければならない。夏場の撮影では川のシーンが多かったから、家族づれで来ているひとたちを一時的に静かにさせるという迷惑極まりない行為も、もちろんできる限り迷惑にならないように恐る恐る行なったりした。要するに、助監督の業務を手分けして行なっていた。中野さんひとりでできることなど限られているからしかたなかった。
 たぶん、今の風潮だとこういった言葉が出てくるんじゃないだろうか。
「責任感がない。きちんと体制を整えて行うべきではないか」
 確かに、その通りだ。ぼくたちは中野さんから給料をもらっていない。にも関わらず何日も映画製作に関わり、多様な雑務をこなしていた。実際、この曖昧さはぼくたちキャストを困惑させた。ケイ役のむっちーは俳優志望で、商業映画での出演経験もあったから自分の「当たり前」が通じないこの現場に苛立ちを隠せていなかった。むっちー以外の他のキャスト(ぼく含め)四人はそうでもなかったが、それは性格の違いというのが大きかったと思う。みんな、映画や演技、音楽など創作経験のあるひとが集まっていたから、「良いものを作る」という意識は高かった。役割のはっきりしない現場に苛立っていたのはみんなそうだったし、そのことに対する受け止め方がひとによって違っただけなのだ。でも、たぶん、そのことがむっちーには「みんな真剣にやっていない」という風に映ってしまったのかもしれない。馴れ合いに見えてしまったのかもしれない。
 中野さんは「監督であること」を振りかざして誇示しない。それは良いことのように聞こえるけれども、実際に目の前に現れるとひとは困惑する。その困惑がそのままぼくたちの「制度」に対する安心感を表している。こう書くとまた格好良く聞こえてしまう。ひとは本当に「自由」を目の前にするとただ困惑するのだ。『リテイク』の現場は「自由」だった。だからこそ、みんな苛立った。中野さんに責任感がないように映ったからだ。そこから、キャストのぼくたちは、どうすれば各々に責任感を持って現場に臨めるかを話し合った。誰も映画が完成しなくても損をすることはなかった。でも、なんとなく映画を完成させることだけは目的意識としてみんな共通していた。それは幸いだったと思う。途中で空中分解した自主映画製作の方が世の中には圧倒的に多いのだから。

 責任感をどう持つかというキャスト五人でのグループ電話は、何回か行われたと思う。ぼくはあらかじめ案があったから、長い文章を他の四人に送りつけた。そして、ぼくがそこで問題にしたことがそのままみんなの問題意識の通奏低音を為していた。お金の問題だ。
 『リテイク』の撮影は隔週土日、月に四日を予定していた。しかし、度重なる台風と悪天候による撮影延期とスケジュールの押しによって、ほぼ毎週のように撮影が行われるようになった。普通ならば出演予定の無いキャストは来なくていいが、スタッフとして役に立てると思う気持ちからその日一日はスタッフとして行動を共にしたり、なんだかんだ予定された撮影の日はみんな参加することが多かった。これ自体は悪いことではない。みんな、やりたくてやっていた。でも、反面、なんとも言えない違和感があった。ふいに「なんでこんなことしてるんだろう」と思うのだ。疲弊している証拠だった。労力をかけて作るこの映画がもしとてつもなくつまらないものだとしたら?そんなおぞましい考えも時たま頭によぎった。撮影現場ではひとが足りないから、そこに行けば何かしら役割が与えられて仕事をすることになる。助監督業務も徐々にみんな慣れてきて、仲も良くなってきていたから現場自体は楽しかった。ならいいじゃないかと思うかもしれないが、それこそが馴れ合いに他ならないことをぼくは知っていた。「知っていた」というのは、その時期に東浩紀の『ゲンロン戦記』という本を読んでいて、ホモソーシャルな空間が作り上げるダメな雰囲気というものがあることを知ったからだ。「ホモソーシャル」という言葉を、ぼくはざっくりと「馴れ合い」という言葉として解釈した。そこで東は「お金」と「事務」の問題を語っているが、『リテイク』の現場のことを言っているじゃないかと思ったのだ。そういった、知見、と言えるのかどうかわからないが、ぼくの覚えた感覚は間違いではなかったと思う。あのキャスト同士の話し合いのないまま映画を撮り続けていても、映画は完成したかもしれない。だけど、ぼくはそれではだめだと思った。この映画は、そんなことではだめだと思った。だから話し合った。
 話し合いの内容は、詰まるところ中野さんからお金を受け取るか否か、受け取るならばいくらの金額を提示するか、というものだった。受け取った方がいい、というひと(ぼく)と、受け取れるなら受け取りたいというひと(うららちゃん、なこちゃん、アレイナちゃん)と、受け取るでも受け取らないでもどちらでもいいというひと(むっちー)に分かれたが、みんなお金を受け取ること自体に異論はないようだった。では、金額は。これも、そんなに大きな議論もなく、〈ひとり四万円〉という価格に落ち着いた。その後で、いつ受け取るかという話になり、それは中野さんとの話し合いで決めようということになった。
 やっぱり、今思い返しても、むっちーと他のキャストとの間には『リテイク』に対する熱量に開きがあったように思う。むろん、むっちーは悪くないし、誰も悪くない。ただ、映画が完成し、PFFグランプリを獲った後でも、集まりに来なかったのはむっちーだけだ。キャストの中で男性はぼくとむっちーだけで、彼はぼくの二歳年下だったから、割と気さくに話していた。悪い子ではないが、非常に頑固な一面も持ち合わせていた。例えば、彼は高校時代陸上競技をしていたこともあって足腰が強く、大会でいい成績を納めるほどの身体能力を持っていたため割と筋肉質な体型なのだが、その頃に決めた約束事をずっと守っていた。ぼくたちふたりは電車に揺られながら撮影終わりに家路についていた。席が空いたので座ろうとすると、むっちーは
「あ、どうぞ。ぼくは座らないんで」
 え?と思って見上げると、彼の分の席も空いているのに本当に座らない。自分に対しての約束なのだそうだ。彼はその時十九歳だったから、三年以上はその自分との約束を守っていることになる。今もきっと電車の席には座っていないだろう。もう会わなくなって二年になる。
 そんな性格だから、自分の考えは頑として譲らない。『リテイク』の現場では中野さんがキャストに意見を求めることも多く、ぼく含めキャストは自分の考えを述べるのだが、むっちーだけは違った。現場で監督に口答えするのはご法度だという考えがあったようだった。ある日、遠方での撮影で車で帰る時、うららちゃんがぼくの車に乗る、と前もって言ってきた時があった。なんだろう?と思って曖昧に返事をしたが、何かあるな、とだけ思った。その日の送迎車はぼくと中野さんのふたつだけ(というかほとんどずっとそれだけ)だったけど、いつもなら中野さんの車に乗るうららちゃんがわざわざぼくの車を選ぶ理由だけは見当もつかなかった。ある程度ぼくに心を許してくれたのかなと思ったりもした。
 ぼくは、正直言ってうららちゃんにビビっていた。彼女はその時二十歳の年で、ぼくの一個下だった。ぼくは理屈っぽい性格で、彼女はその反対を地でいくような感じに見えていたから、相性は最悪だと思っていた。どれだけぼくが頑張って話しても、理屈っぽいひとが苦手なひとはぼくの喋り方自体が気に入らない。もしくは気になってしまう。ぼくはぼくで自分の喋り方が理屈っぽいと言われてしまうと、瞬時に「きもい」と言われているように感じて落ち込んでしまう。理由は、ぼくの妹がそうだからだ。情けない話、ぼくは妹から「理屈っぽい」「きもい」とぼくの話を簡単に一蹴されてしまうことに酷く傷ついていた。妹は二歳下だから、うららちゃんとそんなに変わらない。「そのくらいの年代の子」と括ってしまっている自分にも嫌気が差すけれど、それ以上に傷つくのが嫌だった。うららちゃんはぼくからはこう見えていた。
 はじめてキャスト全員と中野さんとで湖のロケハンに行った時、車の中でモゴモゴと話したぼくに対してうららちゃんは
「もうちょっと大きい声で話してくれるかな?」
「あ、ごめん、そうだよね」
とぼく。
 別にきついことを言われたわけでもないし、ただのぼくの年下の女性に対する偏見でしかないのだけれども、何度も言う通り傷つきたくなかった。新品のカードゲームのカードを指紋すらつかない手つきでそーっと保護フィルムに収めるようにぼくを扱って欲しかったのだと思う。……今もぼくにはそういうところがあるなと思った。妹の言う「理屈っぽい」「きもい」というのは、「扱いにくい」ということなのかもしれない。確かにぼくは、「扱いやすいひと」にはなりたくないと考えているところがある。誰かに「扱いやすいな」「ちょろいな」と思われるのが気に入らないからだ。でも、誰でもそうなんじゃないかな、という気もする。てことは、ぼくも妹も、お互いのことを「扱いにくい」と考えていて、それはどちらも悪いことではなくて、だけど良いことでもないということか。出口はない。もともとそういうものなんだと、考える他ないのかもしれない。
 ぼくはうららちゃんを「扱いにくい」と思っていた。残念な話だけど、それがぼくだ。ただ、ぼくにとって本当は彼女は「扱いにくいひと」ではなかった。うららちゃんは、少なくとも、ぼくにマイナスと受け取られるようなことは言わなかった。

 うららちゃんが助手席に乗り込んできて、ぼくが車を発進させてから何分か経った後、彼女は「あのさあ」と話を切り出した。後部座席にはアレイナちゃんとなこちゃんもいたと思う。つまり、むっちー以外のキャスト全員がぼくの車に乗っていて、その四人で話すことになったのだ。そう、むっちーのこと。
 うららちゃんの話した事の顛末はこうだ。むっちーとうららちゃんと中野さんとスタッフの四人で撮影に行き、ぼくたち他のキャストが荷物番をしている間に、むっちーとうららちゃんの間である事件が起こった。むっちーは知っての通り他のキャストとは『リテイク』の現場に対して考え方が違い、ある意味「監督主義」であった。だから、みんなが監督である中野さんに何かを言うのがよくないことだと感じていたのだ。中野さんに意見を出すうららちゃんに対して、むっちーは
「そんなことしてたら他の現場で嫌われますよ」
 この言葉にうららちゃんは傷付いた。むっちーからしてみれば自分の「当たり前」の感覚から出た言葉でも、うららちゃんからしてみれば「お前扱いにくいよ」と言われたも同然だからだ。
「ちょっと、もう、あーしむりかも」
 後日、むっちーを抜いた中野さん含めキャスト全員でグループ電話会議が行われた。
 うららちゃんは
「中野、ちょっともうあーしむりだよ、今のままだと」
「うーん……」
 会議は時折沈黙が生じた。中野さんはいつも通りというか、「うーん」とか「うんうん」とかの相槌が多かった気がする。主にうららちゃんとアレイナちゃんが会話の中心で、特にアレイナちゃんはうららちゃんの親友だから、彼女の性格を踏まえた上で発言し、場の空気を和ませたりしていた。一方、なこちゃんは、彼女もむっちーに思うところがあったみたいで、「もうあーしむり」状態だった。ただ、なこちゃんは協調性が高く、ある程度自分が無理をして丸く収まるならばそれがいいと考える子だったので、「もうあーしむり」状態でもなんとかなるようだった。ただ、うららちゃんは違った。電話していたのは確か夏頃で、撮影開始から何ヶ月か経っていたから、中野さんの現場での振る舞いに不満が溜まり始めていたときだった。うららちゃんは
「そもそもあーし役者じゃないし。気持ちを作ってケイ(むっちーの役の名前)に好感を持つとかできないし。この気持ちどうにかしないとアイツと演技なんてできない」
 なんというつんけんな態度だろう。中野さんは困り果てている様子だった。ぼくはと言えば、正直なところこの状況を楽しんでいた。実はうららちゃんはこの映画を辞めたいとは一言も言っていないし、どうにか完成させるためにこうしてぼくたちと電話しているのだということがつんけんな態度からも読み取れたから、前向きな議論だと捉えていた。ただ、行き止まりの多い町みたいな議論だとも思った。うららちゃんの気持ちをどうにかできないならば、むっちーの態度を変えさせるしかない。でもそれは難しいことだった。むっちーは監督である中野さんが何かを言えば、それをすんなり受け入れるだろう。しかし、それは本当のところ中野さんの望むものではないし、またぼくたちも望んでいなかった。ぼくたちは対等でいたかった。だから、むっちーに話すならば中野さん以外のキャストのぼくたちだし、その言い方もまた気をつけなければうららちゃんを映画作りから追い出しかねないと感じていた。ぼくは
「一度うららちゃんはむっちーと話し合うべきだよ。たぶん、むっちーもそんなに悪い人ではないんだよ」
うららちゃんはやっぱりそうなったかというようにこう言った。
「わかり切った展開がとてつもなく嫌なの。話し合って、お互いそんなに悪い奴じゃないってわかって、握手するみたいにお互いを称えあって終わりでしょ?それがとてつもなく嫌なの!」
ぼくはその気持ちが痛いほどわかった。うららちゃんは傷ついているのだ。ぼくは
「わかった。つまり、ぼくがむっちーをボコボコに殴って殴りまくるみたいな展開が欲しいってことだね」
「そう!そう!わかってくれる?」
もちろんそんなことはしない。中野さんは
「え?え?」
ぼくはこの一件でうららちゃんのことが少しわかった気がした。根本的に少年漫画の主人公みたいなひとなんだ。理性的な話し合いではなく、スポ根的なグルーヴを大事にするひと。このグルーヴ感を芯に持っているひとをぼくは漫画の中でしか知らなかったから、そのとき本当に「こんなひとが実在したんだ!」と思った。ぼくが大好きな少年漫画の主人公みたいなひと。彼女のイメージはそれからそういうものになった。
 これが本当に少年漫画の主人公か?と思うひともいるかもしれない。ただ、もう少し頑張ってみると、例えばあなたがひとの言葉で傷ついたとして、そのひとのことを好きになる役を演じなければならなかったとき、あなたならどのように解決するだろうか。もちろん、十人いれば十通りの解決策がある。こう考えるのが大人の態度だ。しかし、うららちゃんはそう考えなかった。「できる限り好意を持てるための努力」をした。解決すべき問題としてではなく、困難に立ち向かう姿勢を自分に問うていた。考えてみれば、『ドラゴンボール』でも『ナルト』でもなんでもいいが、主人公に問題解決能力なんてこれっぽっちも見当たらない。問題解決自体が問題にならない。解決するかしないかは問題ではない。問題に対する態度こそを彼女は自分に問うた。

 そんなこんなで、とりあえず電話会議ではなんとかうららちゃんの気持ちは前向きになり、なんとか撮影は続行できた。そこから一ヶ月くらいすると、中野さんの「その曖昧さを鼻先まで吹かしてくる」態度にむっちーも痺れを切らしたみたいで、彼も意見を徐々に口にするようになっていった。
 ある日、いつもの撮影の帰りの車内で、うららちゃんは「なんとかやっていけそうだよー」と言って
「むっちーも気づいたんだって!中野がこっちが何か言わないと進まないこと!」
 撮影開始から四ヶ月余り。合宿での撮影も二回挟み、やっと終盤に差し掛かったというところだった。中野さんは明らかに疲れの色が見えていたと思う。ちょうど、ほんとにちょうど、これくらいの時期に、やっぱりお金の話をしたんだと思う。中野さんが疲れているように、ぼくたちも疲れていた。撮影が終盤に差し掛かったと言っても、まだ半分近くあった。スケジューリングは大幅に遅れ、十二月にまで食い込んだ。その時点でまだ九月。中野さんの胆力は凄まじいが、キャストは何か仄暗い気持ちを持った。楽しい反面、何かが引っかかる。そう感じていたのはぼくだけかもしれない。たぶん、そうなのだろう。でも、やっぱりお金の話はしておきたかった。

 キャストだけの電話会議が開かれた。ぼくは、この映画製作に責任を持つためにも、きちんとお金をもらうべきだと主張した。うららちゃん、アレイナちゃん、なこちゃんは受け取ってもいいかな、という感じだったが、「でも、確かに…」という感じでぼくの熱量に引き寄せられていっているようだった。対してむっちーは、どちらでもいいという感じだった。もともと、給料は発生せず、食費と交通費のみという約束でこの映画製作はスタートしたのだから今更そんなこと言っても、ということも言っていた気がする。しかし、スケジュールは確かに遅れが出ているし、撮影日数も増えているから、そういったことも考慮に入れるなら、とも言っていた。
 ただ、むっちーにはやっぱり『リテイク』製作に対する距離を感じていた。今思えば、こういった製作に関する長電話も煩わしかったのかもしれないな、と思う。でも、むっちーも熱のある意見を出してくれることもあったから、なんとも言えないな、とも思う。彼はあの時十九歳だった。若かったんだ。ぼくの十九歳の時を思い出しても、胸が締め付けられるほど青くて、ある意味同情する。たった一年、二年の差で、とんでもなくひとの世界観は変わる。今のぼくは二十三歳だが、たった二年前のことでも、もうずっと前のことのように思う。あの時のぼくもまた若かったし、今ならもっとうまくむっちーのことを現場の輪の中に入れてあげることができたんじゃないかと思う。しかし、あの時のぼくにはあれが限界だった。
 いずれにせよ、ぼくたちは中野さんを交えて電話会議を行った。お金を支払ってもらいたいこととその金額、期限は中野さんの都合に合わせることを話した。中野さんは
「もちろんだよ。本当はこっちから話さなきゃいけないことなのに、ごめんね」
 ぼくはホッと胸を撫で下ろした。お金の話は、ひとによっては尊厳を踏みにじる行為になる。この文章では述べていなかったが、中野さんは当時三十六歳だった。いわゆる中年男性が、二十歳そこそこの男女五人にお金の話をされるのは、やはり、ひとによっては尊厳に関わることだろう。ただ、中野さんはそういうひとではなかった。「そういうひと」というのはつまり、お金のことと年齢を自分の尊厳と強く結びつけているひとではなかったということだ。ぼくが中野さんの立場なら、辛いところがあったと思う。もしかしたら中野さんも辛かったのかもしれない。けれども、中野さんは自分が悪かったと謝った。
 ぼくは理屈でお金を要求したと思う。中野さんにお金を支払わせることで、ある種雇用人と労働者の関係性を浮かび上がらせて、お金を貰った側にも責任感を持たせることで映画製作に好影響が出るんじゃないかと思ったからだ。でも、そうはならなかった気がする。中野さんからもらったお金はお年玉みたいな感覚だった。〈ひとり四万円〉をすぐには無理だから、二月、三月、四月、五月、六月と分けて支払ってもいいかとの相談にぼくたちはOKを出し、きっちり〈ひとり四万円〉を頂いた。クランクアップからかなり時間が経ってからもらったのでお年玉みたいな感覚になったのかなと思うが、本当のところはわからない。中野さんだからかもしれない。あるいはその両方か。もしお金をもらう約束をしなくても、撮影は問題なく完了したかもしれない。その後で、結果として中野さんからお金をもらえたかもしれない。しかし、中野さんからお金をもらう話し合いができたことは、ぼくの中では大きかった。ぼくの中で大きいものだっただけかもしれないし、キャストに責任感を出すということに成功したかどうかはわからない。けれども、ぼくは『リテイク』という映画をその製作過程も含め説得力のあるものにしたかった。そのためには、お金の話は避けて通れないと思ったのだ。
 お金には、責任の所在を明確にする機能がある。銀行と預金者を考えればわかるが、銀行はその預金額に「責任を持つ」。その責任を担保に他の人々にお金を貸すのである。つまり、責任とは信頼関係のことであり、その結び目が預金である。ぼくは中野さんとぼくたちの間に結び目を作りたかった。でも、うまくはいかなかった。
 ぼくは、『リテイク』の現場にむっちーが馴染めていないことを同情したが、根本的なところで自分も馴染めていなかったように思う。だって、その銀行の責任モデルそれ自体は、明らかに従来の映画の現場だからだ。ぼくは、映画監督らしくない中野さんを映画監督らしく、映画の現場らしくない現場を映画の現場らしくしようとしていたのかもしれない。それはたぶん間違いではなかったけれども、正解でもなかった。本当のところは誰にもわからない。
 いずれにせよ、お金の話をキャストの方から持ちかけられる雰囲気は『リテイク』の現場内にはあったということで、それ自体が中野さんの独特な魅力によるものだと言えるかもしれない。欠点は魅力と不可分の関係にある。中野さんの魅力は、ぼくたちキャストがあげつらった欠点によるものなのだ。振り返ると、不思議なひとだとそう思う。





✳︎1『誰も必要としていないかもしれない映画の可能性のために』諏訪敦彦著  p.72 フィルムアート社 2020.1.16

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