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リテイク論の前に④



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 ぼくの暮らす江東区は、東西南北に割と綺麗に特徴が分かれている。1年間住んだ印象論だけど、北の方は閑静な住宅街で、角を曲がるとときたま繁華街が顔を見せ、大人の雰囲気が前景化する。南の方は完全に埋め立て地で、計画された街並みや、科学未来館などの公共的な施設が整然と立ち並んでいる。西の方は浅草に近くなるぶん人の気配が多くなる気がするが、浅草は隅田川を越えて向こう側だから、やっぱり閑静な印象になる。浅草に人がたくさんいることを思うとなんだか寂しい気持ちにもなる。最後に、東。東は千葉に近いから、雰囲気が東京という感じではなくなってくる。具体的にいうと、駅のホームにいる人の服装が変わる。例えば、10代前半の女の子は、少し大きめのサイズの黄色いシャツに英語のフォントが書き込まれていて、それを肩を少し見せる感じで着ている。下はショートパンツで、秋なのに夏っぽい肌の焼け方をしていたりする。そのまま塾に行きそうだな、と思いながらぼんやり眺めていると、でも、休日の昼間に肩掛けバッグ一つで塾には行かないよな、と思い直し、あんまり凝視するのは失礼だからと目を逸らす。あとは、ベビーカーを押すママさんを多く見かける。旦那さんはおらず、一人でベビーカーを押して電車に乗っているのをわりと多く見る気がする。これは、東京では多くはない光景だ。
 そんな感じで、ぼくは江東区の印象を東西南北に分けている。わりとお世話になった。ぼくはもうすぐ江東区を出ていく。もうここにいる意味はないから。
 ぼくの住む場所は江東区のちょうど真ん中あたりで、近くにはモールがあり、家のすぐそばに砂町商店街という商店街がある。かなり高齢化が進んでいて、商店街にあるスーパーのアナウンスは音が大きい。客の年齢層が高く耳が遠いからだ。老人ホームも立派なものが2つくらい近くにあり、春にはその前の桜の木を施設にいる人たちが見上げている。モールにある1階から3階までのエスカレーター横の吹き抜けの穴の周りにあるソファには、昼間の間ずっとおじいちゃんおばあちゃんが座って新聞を読んだり眠っていたりする。UR賃貸住宅も近くにあり、モールに来る客はその団地の人がほとんどの印象だ。たぶんその団地の10分の1は外国人が住んでいて、そのほとんどが日本語を理解していない気がする。中東風の人が多い印象だ。ぼくの家の前の道を挟んで斜め前の一軒家も中東風の外国人の家族が住んでいる。立派な一軒家だから驚く。でも、休みの日に聞こえてくる子どもの遊ぶ声は英語だから、日本語は解さないのかなと思っていると、日本語で挨拶してくれたりする。
 ぼくの住む地域は、高齢者と、中東風の外国人と、団地に住まう核家族がほとんどだ、という気がする。もっと多様な人がいる気もするけど、十分多様な気もする。こんなライフスタイルがバラバラな人々が暮らしていけてるのだから、多様性があると言えるのではないか、と思う。
 そんな多様な人々ともお別れだ。
 ぼくはわりとこの地域の生活を気に入っていた。一人も知人はできなかったけど。

 ぼくは東京にとっては客だ。もっというと、この国にとって。
 その考えはぼくの中では水平線と空が繋がるみたいにすんなりと受け入れられるものだ。だからこそ、今までそう思うことすらなかった。自然すぎることだったから。
 しほにとってはどうだっただろうか。

 しほと別れることになった。
 約8年付き合った。
 なかなかきつい。
 気持ちはわりと整理できたが、「これからどうしよう」というのが本音だ。
 今住んでいるしほとの家は、賃貸契約者が彼女なので、ぼくは出ていかなければならない。ぼくは一人暮らしをできるほどの経済力がないから、実家の滋賀県に戻ることになった。
 別れた理由は書きたくなくて、でもぼくは別れたくなかった。しほは
「もう頑張れないの」
ぼくは
「そっか」
「人としては好きだよ。だから、変わって欲しいとは思わないの」
 深いところで気持ちが離れたのだなと直感した。
 いくらか粘ってもみた。しほは
「別れたらもっと自由に時間も使えるようになるよ。もっと本も読めると思う」
「そうだけど」
「時間の使い方が合わなすぎるの」
「そっか」
「うん」
「でも、ぼく、しほのために就職先だったり、いろいろ決めててさ」
「...」
「抽象的な言い方しかできなくて申し訳ないんだけど、不自由さが可能にする自由さっていうのもあって、だから、別れたら自由になるってわけでもぼくはないんだよ」
 間。
 しほは
「でも、やっぱりだめだよ。また同じことの繰り返しになる。しほはもう心から応援できないの」
 やっぱり何も言いたくないけど、議論じゃないことはここでわかった。気持ちが離れるというのはそういうことだ。
 ここまで話して、ぼくも納得できた。しほとはもう付き合えない。粘着力のなくなったセロハンテープみたいに、くっつこうとしても音もなくハラッと落ちるのは、しほの「頑張る気持ち」がなくなったからなんだ。気がついたらぼくの足元にはそんなセロハンテープが散乱していて、新しい替えもなくなっていた。ぼくは何をしてたんだろう。
 たぶん、ぼくなりに頑張ってたんだろう。何かの形を保とうとしてたんだろう。でもそれはぼくだけの力ではなくて、この約8年、ぼくはしほの力をたくさん借りて成長したつもりだ。形を保つには新しい技が必要だった。しほのおかげで保っていた何かの形は綺麗に元あったバラバラの形に戻っていた。
 しかたない。しほとは別れたのだから、次を見るしかない。ただ、違和感があった。次ってなんだ?今までしほがぼくの制約条件だった。だからこそ次を決める必要があった。でも、今はぼくには制約条件がない。いや、あるにはある。実家の家族がいるし、彼らのためにやるべきことも責任もある。ただ、それは「次」なのかと言われるとよくわからなかった。
 ぼくは江東区を出る。たぶん、その気になれば一人暮らしもできる。でもしない。それは、ここにいる意味がなくなったからだ。ぼくなりに形作ってきたしほとの暮らしというものがバラバラに解体されて、服や本や家具が暮らしから離脱する光景は耐え難いものがある。思い出が染み付いているからつらいというのもある。ただ、それと同じくらいに、形作ったものがこうも簡単に解体されるという現実に、むしろ現実感を感じなかった。まるでお店を出るときみたいに離脱可能な「暮らし」というものに失望した。「暮らし」は別に、尊い、かけがえのないものではなかった。ぼくはしほを失ったわけじゃない。恋人ではなくなったけど、お互いが嫌い合ってるわけではない。いわゆる円満な別れで、だからしほを失ったというのは違う。ただしほとぼくが形作ったものが解体されただけだ。しほはいる。現実にいるし、気持ちの上でもいる。死んだわけではないから会うこともできる。ただ、ふたりのあの空間を味わうことはもうない。ぼくはもう店を出たのだ。

 しほをサポートすることが大変だと前に書いた。ぼくは江東区の暮らしの中で、大半を裏方に徹してきた。その中でも、しほとのデートでは客になり、楽しんだりもした。でも、実は、ふたりの暮らしもオープンした店で、それを出れば客ではなくなることを知らなかった。ぼくらは東京に迎え入れられた客だった。金を稼いでいるつもりでも、ぼくはしほとの繋がりが切れれば東京を出ることになった。ぼくが東京にいる意味と、しほとの暮らしはイコールだからだ。店は複雑な制度や行政によって多層的に成り立っている。金を稼げばそれでいいわけではない。その複雑さ、多層性を切り分けることはできない。時折り自分自身が裏方にまわり仕事をすることで客のサポートに回る。それに誇りを持っていたけど、まさか「暮らし」というものまでここまで店的なのかと驚いた。尊さのかけらもなくて、膝から崩れ落ちた。
 でも、店の中であっても、確かな希望はあった。束の間の休息だったかもしれないけど、お互いのことを考える時間はあった。そのために生きているのだという実感もあった。これを大切にしたいと思えたけど、今は本当に困惑している。また違う店を探さなきゃいけないのか。そもそも探したいか?次ってそういうことなのか?いや、そうだけどそうじゃない。ぼくは実家に戻る。だから、次は勝手にやってくる。あの束の間の休息を大切にできるように働く。それが今のぼくの現在地だろう。

 ぼくは日本はとても平和な国だと思っている。一人ひとりの心の状態は戦争状態かもしれないが、少なくとも衣食住に困れば手を差し伸べてくれるサービスが普及していることは確かだと思う。この当たり前がぼくは平和だと思う。ただ、この平和も、ある日突然店を出たみたいにこの国からいなくなったりするのかな、と思ったりする。ぼくは、平和との時間もうまく取れていない気がする。また、しほと別れたみたいに、平和と一緒に店を出たら、ぼくの中の日本は解体されるのかな、と思ったりする。とても抽象的な話で、ぼくの気持ちの話だけど、ぼくが日本に住む意味も、本当は何もないんだと今は強く思うから、家族が日本にいるから、友達が日本にいるからという意味以上にぼくはこの国に住むことの愛着を持っていない気がするから、今一度、この約8年との時間が日本での時間だったということも含めて、何かを感じて生きていたい。何かを未来に思って生きたいと、たぶんぼくは思ってる。

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