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沖縄を歩く (5)

 先日沖縄を訪れて以来のブログです  
 今回は沖縄と本土との関わりについて話したいと思います
 中世において琉球は薩摩による侵攻で多難な歴史が続きましたが、その状況下では今日に繋がる互いの文化伝来がありました まずは私の地元 鹿児島に残る沖縄から伝えられた文化についてご紹介したいと思います

⚫さつまいも(甘藷)


 沖縄を歩く(3)でもご紹介しましたが、琉球の野國聰管が中国から苗を持ち帰り、儀間真常が琉球内で普及させ、その後薩摩に伝えられました 本土で続いた飢饉を救った貴重な作物です 
 鹿児島では食用や焼酎の原料の他、肥料や加工用と幅広く用途があり、県を代表する農作物になっています

⚫さつま揚げ


 さつま揚げは、魚をすり身にして油で揚げた食べ物です 薩摩では揚げ物が伝わるまでは 保存のため魚をすりつぶし 焼き蒲鉾にして食べていました
 薩摩への伝来は諸説ありますが、一説では江戸末期 揚げ物として琉球から伝ったとされています 当時は保存性のある食べ物として重宝されました ちなみに鹿児島では「つけ揚げ」関西では天ぷら等、各地で呼び名は違うようです 沖縄では「ちきあぎ」と呼ばれていて、薩摩ではそれが訛ったものと言われています


⚫焼酎

 焼酎は米麹(こうじ)と水に酵母を混ぜ発酵させ一次熟成の醪(もろみ)を作り、その後芋等を混ぜ発酵させさらに醪を作り、蒸留して取り出すアルコール飲料です 15世紀にタイから琉球に蒸留酒として伝わったとされ 原料はタイ米が使用されてます 薩摩への伝来は諸説あるようですが、一説では琉球から幕府等への献上品の一つとして薩摩に伝わったとされます 琉球では泡盛となり 薩摩では二次仕込みの主原料は雑穀からさつまいもへ、薩摩以外でもサトウキビや米や麦等、各地の特色を生かした主原料が用いられました

 では逆に薩摩から琉球に伝えられた文化についてご紹介します

⚫木綿


 沖縄を歩く(3)で紹介した、琉球の儀間真常が薩摩から木綿の種を琉球に持ち帰りました 琉球に戻った儀間は木綿を栽培し、薩摩出身の姉妹の手助けで周辺の人々に木綿織の作り方を教えたとされています その後、地域に広まり 木綿絣(かすり)として発展していきます

⚫製陶技術


日置市美山の登り窯

 焼き物を沖縄の方言で「やちむん」と言いますが、その歴史は古く1600年代に遡ります         
 薩摩にいた3人の朝鮮人陶工が琉球に派遣され技術指導を行った記録があります 
 そこで登り窯を用いたり基礎的な技術が伝わりましたが、その後 器の大きさや食器等の種類によっては中国やその他の国の技術を組み合わせたりして独自に発展していきます

 これまでの互いの交流について見てきました 
 調べた限りでは、琉球から薩摩へは食文化 一方薩摩から琉球へは職工技術であったことがわかります
 
 交流により互いの地域に必要なものを補っていたのですが、共通している事は今日まで脈々として受け継がれ、現代では互いの地域の主要な産業まで発展してきた事ではないでしょうか
 これからも更なる進化を遂げて人々の生活を潤すような品物が産まれる事を期待したいと思います


 ご覧いただきありがとうございました
次回は琉球への玄関口であった 指宿市山川に残る史跡をご紹介します



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