ジムで心身ともに健康を取り戻しながら…逃げ出しても逃げ出しても…。DVからの脱出(2)
2009.4.19のアメブロ記事をブラッシュアップ
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フィットネスジムで、心身ともに健康を取り戻していく私。
筋肉がつくと不思議と心も強くなるようだ。
2001年4月
ようやく「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(以下、DV防止法)が制定されたと聞いた。
同年10月より施行されたのだが…
そのDV法が施行される少し前の夏休み・・当時中学生になっていた息子が言った。
『今(家を)出ちゃわないとだめだよ。お母さんだって年取ったら仕事もなくなるよ』
その言葉で私は決意した。
子どものためと思って自分の気持ちを殺して暮らしていたが、こんな夫の顔色を見てオドオドするような毎日が、子どものためになるわけは無いのだ。
お母さんとの生活は楽じゃないよ。ついてくる?っと子ども達一人一人の決意を聞いて・・・今度は役所は絶対頼らないぞーっと(最初に家を出た時の情報が漏れてしまった経験から)・・・ たまたま、少し前に事故にあい示談金として振り込まれた保険金を手に(このときは車にいろいろ詰め込んで)家を出た。
そして何とかアパートを借り・・身よりもなく保証人になってくれそうな人のいない私はここで結構苦労する。
なんとか借りれた保証人不要のアパートは、近所のゴミ捨て場も利用できないような状況で怪しい人たちが住んでいた。
家の前にある公園には犬を飼っているホームレスのお爺さんが住んでいたりする。
昼夜働きながら・・頑張っていたのだが、ここも・・子どもの転校手続きを行った公の場から情報が漏れることになろうとは・・・・・(執拗に言葉巧みに迫る元夫に、根負けして住所は教えられないがと街の名前を教えてしまったらしい)
この夏・・アパートにへその緒がついたまま捨てられていた黒猫はその後8年ほど、我が家の一員として暮らしていた。
今は虹の向こうを元気に走り回っているはずだ。
この一時しのぎでの生活は一ヶ月強・・・ここでの仕事で知り合った人からいただいた名刺にのちのち助けてもらうことになる。
とても良い人でテレビがない私のアパートに大きなテレビを持ってきてくれたりした。
そのときは不動産屋さんと聞いていたのだが…実はのちにその知り合いの小指が無くなった。その筋の人だったのだ。
不幸中の幸いといおうか、この人たちが後ろにいたことで、保護命令が発令されるまでの間の旦那の動きをとめることとなってくれたのだが。
まだそのときは、そんなことすら知らなかった。
貧しいながらもささやかな至福の時、何とか生活らしい生活を精一杯過ごしていた夏の日である。
ここを夏休みの終わりごろに夫に見つけ出され(転校手続きで役所系に行ってしまった事から・・口のうまい旦那がうまくいる地域を聞き出すことになる) に連れ戻される前までがひどかった。
私が「絶対戻らない」というと、子どもが通う小学校に行って、大声であることないこと、聞いていられないようなことを叫ぶ日々。
子ども達が余りにかわいそうで・・・あきらめて一旦連れ戻されたときは最悪だった。
毎日のように風呂の湯服のまま浴びせられたり、はだしで逃げ出してそのまま髪の毛引っ張られ引きづられたり・・・
酔うと自分から離れようとした私への憎さが溢れ出してくるのだろう。
旦那の酔いがさめるまでよく近所の土手で丸まってた。
住んでいた市営住宅の裏には養老川が流れていた。
とても、寒かったなぁ。
一度、こっそり庭側に戻って自転車かごに入れておいた透明の雨合羽を持ち出し、それを着て寒さを凌いだこともある。
震える寒さ…鍵は閉められてこっそりと入ることも出来なかったり。
お散歩中の猫ちゃんに2度見されたり。
息子も一緒に付き合って飛び出してくれて、夜の道を一緒に歩き続けたこともある。
それが原因で息子もまた乱暴を受けてしまったりして切ない日々だった。
まだ幼かった娘が、窓からお父さんにきずかれないように洋服とか靴とか袋に詰めて投げてくれたりもした。
幼稚園にはいったばかりの末娘さえ 私をかばって間に身体を割ってはいってくれたり。
最終的にはあまりの怖さに息子に、『お母さんが助けて~って声をあげたときにはこっそり携帯で警察を呼んで』
そう、頼んだ。
が、警察よんだって民事だからと助けてくれない。
頼れる親もいない…この時は捨て子である運命を呪っていたかもしれないが…遠い記憶だ。
あの時は・・・辛かった。
もうすぐDV法が施行される。
その日が再びの日だ。
それだけを頼みの綱に生きていた・・魂の抜け殻のようにただ日々を耐え忍んでいたような日々だった。
数年前までは、元夫から逃げている夢をよく見たものだ。