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君はどうしたらいいと思う?という言葉で追い詰められる?

びっくりした。

『失敗してしまった時に、そうならないために、君はどうしたらいいと思う?』の例題を聞いた方が、ハッとされ、「(上司が)これを学んだからか、最近『〇〇君はどうしたいの?』と、似た言い方をするようになって、そう言われると"その言葉"に追い詰められる気持ちになるという。
(口調のニュアンスもあるのかなぁ)

逃げ場がない気持ちになってしまうという。

言ってしまったら出来なかった時どうしようかと考えるの怖いという。

そう考えちゃうか…想定外の言葉に脳裏にあれこれ浮かぶ。

いや、想定外というより、確かに昔の私もそうだったかもしれない。

何かそこに正解があって、間違ったことを言ってしまったらどうしようという気持ちもあるのかも知れない。

下手に間違ったことを言って怒られるよりは、指示され、こうしなさい、こうしろと提案され従う方が確かに楽なのかもしれない。

また、『こんな言い方してたら場が、だらけないかなと思う』との意見もあったり。やはり指導する側の意識にそれがあるのか。

"より強く"指示し、それに黙って従う

そうやって多くの人が暮らしているのが今の日本だ。

自分で考え、自分の意見や思いを言葉を発することは責任が生じる。楽な方に人は流れていく。

(流れに向かう魚たちの姿が脳裏にチラつく)

正解を言わなきゃと焦ってしまうかもしれない。

今なら

『こう考えてます』とすぐ出ないときには、『少し考えてまとめてからお話しします』とか言えるかもしれない。

また、『〇〇と思いますがどうでしょうか』とその場で伺いを立てるなども出来そうだが、相手次第かなとも思う。

そこで考えを問いかけた側も、『そうか、それを一旦やってみたら?』とか『それもいいな、こういう例もあるけどどう思う?』など提案などしていく余裕があれば、そこからブレインストーミング的に話が進み自分の中からも相手の中からも、新しい気付きが生まれていったらいいのだが。

ただ、相手次第というか自分も含め、そこには信頼関係や、安心感の土台が必須なのかもしれない。

私自身も気質が近い相手とわかっている状態で、いろいろ意見を交わしている時には比較的自由に想いや考えを伝え、私はこう感じるけどどうなのかなぁと投げかけることもできる。

それは10年間のHSPに向けた活動の中で、この気質をベースに持つ方の多くが、相手の言葉を遮ったり頭から否定することもなく、また其々が深い思考を持ち、自分の中から素直に出てくる言葉を相手にわかりやすい言葉にして紡ぎ出してくれることを知ったからなのだろう。

内向型であろうタイプの多かった(社交的な隠れ内向型含む)職場でも比較的意見を伝えやすかったのを思い出す…そこで私は初めて長く(7年間だけれど)働けたのだった。

それ以前の私を思い浮かべると…意見を言うことなどなく、決められたことをこなしていく方が得意だったのかもしれない。

それは、意見を言って馬鹿にされたり否定されたりの経験の積み重ねで、威圧的なタイプが昔の私の周りには多かったからかもしれない。

理不尽なことに憤慨したとしても、言ったところで変わらないだろうと感じることが多かったようにも思う。

『女が意見を言うことは生意気だ』とか『勉強すると生意気になるだけだ』言われて育った世代だ。

いろいろな心理学や哲学、書物で出逢う世界が私の世界を変えてくれた。やはりいろいろな考えを知ること、そしてそこから内省し思いを巡らすことは大切だ。

あまりにも長い間、上からの強い指示をこなすだけ、そういう環境で働いていると、波風立てず誰かが作ったレールを外れないように生きること、誰かの〇〇すべきというルールで…

自分で考えない、従順なしもべ…そんなものを育ててしまう日本の教育環境は、いつからなのか。

役職を持つ方々への勉強会
相手に配慮しつつ、率直に自分の気持ちや考えを伝えあい、話し合うアサーションを実際の例題を使っての学びの中で、妙な衝撃を感じたひとコマを寝起きに思い出し、思うままに綴ってみた。

ふと、武士道ってどんな教えなのかなと浮かんだので、今度本などでも詳しく調べてみようと思う。



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