涙が顔に見えたから。
「……彼女は、君をいじめていた生徒達とは何も関係なかった筈だ」
「………」
「それを君は、帰路に着いていた彼女を後ろから、用意したナイフで何度も……何度も何度も刺して殺してしまった。……話を聞けば、彼女はむしろ度々君を庇っていたそうじゃないか」
「………コーヒー」
「……ん?」
「コーヒー」
「これか?……このコーヒーがどうした」
「結露して、水が垂れてる。机に付いた水滴を含めて、拭いてください」
「はぁ……?何を言って……」
「早く」
「………あぁ。………これでいいか?」
「ネクタイ」
「何?」
「そのネクタイも、今すぐ外してください」
「……それに何の意味があるんだ。話を続けるぞ」
「早く。今すぐ外してください。お願いします。水玉が不規則に並んでいて、気味が悪い」
「………殺人犯に、ネクタイのセンスについて文句言われるとはな。……まぁ好きにしたらいいさ、外すよ」
「ありがとう、ございます」
「で、単刀直入に聞くが……何で殺したんだ?境遇の違う者への妬みか?それとも、事情を知らない彼女の善意が、君にとっては煩わしいものだったのか?」
「腕時計」
「………」
「外してください」
「言っておくが、この尋問に時間制限は無い。下らない戯言で時間を稼ごうとしても無駄だ」
「ペン立て。一本抜いて二本にするか、一本足して四本にしてください」
「お前……!!」
「扇風機。つまみの部分を覆って下さい」
「いい加減にしろ!自分の立場が分かってるのか!!!」
「………」
「人を二人も殺しておいて……お前は……!!!」
「……………」
「何とか言えよ!!!このガキ!!!」
「……………シミュラクラ現象と、言うらしいんです」
「……あ?」
「点などが、逆三角形型に三つ並んでいる。それが人の顔に見えてしまう」
「………」
「その顔が、一切瞬きをしない。一切口を開かない。けれどじっと、延々とこちらを覗いている。どうして皆さんは、それを怖いと思わないんですか?」
「いきなり何の話だ……!さっきも言ったが、無駄な話で時間をかけても……」
「彼女は、顔にホクロがあったんです。右頬に。三つ。さっきも言ったように、三角形に並んで」
「………」
「彼女はいつも優しかった。惨めな僕にも、いつも声を掛けてくれて。放課後も”一緒に帰ろう”と言ってくれて。帰りながら色々と話を聞いてくれた」
「それなら何故彼女を……!」
「いつもなんです。優しく笑っている彼女の顔には、不気味に僕を睨んで、何も言わずに目を開いている別の顔がいるんです。彼女の顔を見なくても、視線はいつも感じていたんです。ずっと避けていたのに。こうなってしまうから、今までだって、今だって、ずっとずっと避けてきたんです」
「”今”だって……?」
「何度も言いました。構わないでと、でも彼女は優しいから。だから、二度とあの顔に見られないように、刺しました」
「………それが動機だとでも、言いたいのか……?」
「それ以外にはありません」
「そんなことで、一度だけじゃなく何度も、何度も刺し殺したって言うのか!?」
「首を切らなければ、一度で済みました」
「何……?」
「あんなに血が飛ぶとは思いませんでした。アスファルトに血飛沫が滲んで、いくつもの点が赤黒く染み込んでいきました」
「……………っ………お前、まさか………」
「今度は、無数の顔が、足元から僕を睨んでいました。一度染み込んだ血は簡単には消えないでしょう。だから、顔が消えるまで。もう一度、もう一度、何度も。点が重なって一面に広がるまで、血を出しました」
「……………」
「死刑にするなら、それでもいいです。でも、血を流したくはありません。……死ぬ直前に、あの顔に見られたくはないので」
「………母親は」
「………」
「彼女の母親にも、そんなホクロがあったのか?」
「………」
「それとも……単に殺害現場を見られたからか?」
「………」
その時、傍らに置かれた物が目に入った。
腕時計。文字盤に、クロノグラフが三つ。逆三角形に並んで備わっていた。
ネクタイ。不規則に並んだ水玉が、同様の塊を無数に形成している様に見えた。
次に、視線を室内へと移す。
扇風機は調節用のつまみが三つ、ペン立てには鉛筆が三本。上から見れば、点と言える。
「帰り道、後ろから彼女を殺しました。……偶然それが彼女の自宅の前で。悲鳴を聞いた母親が、飛び出してきました」
「………」
「母親は、一瞬固まって、次に叫んで」
そして、もう一つ。
「次に泣き崩れました」
既に拭いてしまったが、結露したコーヒー缶から机に落ちた水滴。
「僕がせっかく染めて、消した顔のすぐ横に、滴り落ちた……」
血飛沫でさえ、そうだったんだ。