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脱出のきっかけ

結婚してからDV気質が見え始めたモラオですが
子供も産まれ私も着々と洗脳され
おかしいなと思う事があっても
私が我慢すればという思考になっていました。

ただ、子供たちが幼稚園に上がり始めた時から
だんだんと標的が私から子供たちへ移り始めました。
やはり可愛いだけの赤ちゃんではなく生意気な事も言うようになってきます。

私に暴行すると一度保護された経緯があるからか
同じように警察→シェルター→裁判所となってしまうと感じていたのでしょう。

私の目から見ても躾にしては度を越えているなと思い
子供に暴力をふるわないように言いましたが
聞き入れて貰えませんでした。

今思えばなぜその時にすぐに行動を起こさなかったのかと後悔ばかりですが
今更そう思っても時は戻せません。

ただ息子たちがほぼ同じタイミングで
ほぼ同じ内容で
私にここから逃げたいと勇気を出して話してくれました。

それを言われたのは別々の時でしたが
内容が全く同じで
兄には弟と、弟には兄と相談したのかと聞いたくらいです。

息子たちの悲痛な願いを聞いた私は
迷っている場合ではないとお尻に火が付きました。

漠然と離婚して子供をつれて出ていきたいと思っていたのですが
決意をし、家を出るまでに約3か月間かかりました。

当時まだ低学年だった子供達にはどこかで父親(モラオ)に漏らしてしまうかもしれないと
準備の内容は言えませんでした。

息子たちからの悲痛な願いを聞いたときにそれぞれに聞きました。
「ある日突然お友達と会えなくなることになるけどいいの?」と。
寂しくないとは言えないけど、ここから逃げ出すことが先決だというような
ことを言っていました。

低学年の子が意を決して私に打ち明けてくれたことを
私がこの子達にしてやれなくてどうすると
それが私の原動力でした。

もちろん私一人の力ではなく警察、役所、児童相談所
そして両親など
様々な機関の方が助言、協力をしてくださいました。
今でも本当に感謝しています。

新しく住む家のこと、子供たちの学校のこと、仕事のこと、生活のこと
そして一番はやっぱりお金のこと
引っ越すにしても何にしてもお金がかかります。
どうやってそれを工面すればいいのか?

それらを全部解決するまでに約3か月間かかりました。
それが早いのか遅いのかは私には分かりませんが
結果としてやっぱり離れて正解だったということです。

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