NO55 ありがとう スキ
ときさんはインスリン注射を食前に朝と夜、腹部に打っていた。
糖尿病なのだ。と言っても日常生活ができないわけではない。
多少、トイレが近いとかノドが乾くとかはあるが、いたって健康だ。
ある時、春樹は玲香に頼まれて、
お父さんに柿と梨を4個ずつ持って行った。
ときさんにも柿と梨をあげるようにとお父さんに伝えたのだ。
お父さんは、ときさんと一緒に食べようと、
ときさんの部屋に行くとドアをノックしても応答が無い。
ドアのノブをひねるとドアが開いた。
お父さんは、テーブルの上に果物を置いて部屋に戻ってきた。
しばらくすると、ときさんがお父さんの部屋に来て
「太一郎さん、親しき仲にも礼儀ありって言葉を知らないの」
って怒っている
「いやぁ、悪かったな、息子が果物を持ってきてくれたので
そそわけにと思ったのだが・・・」
「いくらなんでも、誰もいない部屋に勝手に入ったら泥棒と同じよ
それに、私は糖尿だから、糖分はダメなの知っているでしょ、
これ返すから」と言って、部屋から出て行ってしまった。
たしかに、黙って入ったのは悪かったが・・・糖尿病も聞いてはいたが・・
お父さんはがっくりだ。よかれと思ったことがあだとなってしまった。
夕方、スタップの人が夕食ができていると呼びに来たが、
お父さんはときさんと顔を合わせることが辛くて、
体調が悪いのでいらないと言って断った。
お父さんは翌朝になっても、食堂へ足を向けることはなかった。
スタップの人が心配をして様子を見に来る。
お父さんはベットから出たがらない。
通常であれば、デイサービスの人に病院へ連れて行ってもらうのだが、
お父さんはデイサービスの契約はしていないのだ。
あかねに電話がかかってきた。
老人ホームから、お父さんの様子がおかしいので
見に来て欲しいとのことだ。
あかねは玲香にお父さんの様子を見に行くように頼んだ。
「お父さん、大丈夫、みんな心配しているよ」
「玲香、来てくれたのか、わしはもうだめだ・・・」
「どうしたの?何がダメなの」
「いや、いいんだ・・・自業自得だ」
「なにが自業自得なの、なんなの・どうしたの・・話して・・お父さん」
「じつはな、こないだ、だれだっけ・・玲香の旦那」
「春樹?」
「その春樹が柿と梨を持ってきてくれてな、
その半分をときさんの所に持って行ったんだが、
部屋には誰もおらんかった、鍵が開いていたので、
テーブルに柿と梨を置いてきたら、
後で、ときさんが来て、黙って部屋に入るのは泥棒だって、言ってな、
しかも、私が糖尿病って知っているくせに、
果物を持ってきたのかって散々だった」
「ときさんって、まだまだ、女なんだわ・・・
それで、ときさんに会わす顔がないから、部屋にこもっているんだ
ふ~ん、お父さん かわいい」
玲香はお父さんにハグをした。
「おい おい おい」
お父さんは恥ずかしそうに避けた。お父さんの顔が明るくなった。
「今、15時ね お父さん、
夕食には、まだ早いからイオンに買い物に行こうか」
玲香は冷蔵庫を開けると、何もない
「ビールとおつまみと・・・買いに行こうか」
玲香はお父さんを連れてイオンに行った。
その間、玲香はお父さんに色んな事を話した。
「お父さん、人にスキって言った事はある?」
「スキなんて、誰に言うんだ、玲香になら言えるぞ」
「私だけじゃなくて、お父さんを助けてくれるスタップの人や
優しく接っしてくれる人たち、みんなにありがとうのあとにスキって言うの
お父さん ありがとうは言うでしょう」
「そりゃ、言う時は言うさ」
「じゃぁ そのあとにスキって言ってみて ねぇ、言ってみて」
「今か?」
「そう、早く」
「ありがとう・・・スキ」
「ダメ ダメ そんなんじゃダメ、もっと スキのキは上げるの
スキって言う時に相手の顔を見てニコッとしてスキって言うの もう一度」
「ありがとう スキ」
「大分良くなったけど、もうちょっとテンション上がるといいんだけど」
「お父さん、これ、このブドウはスキ?」
「あぁ、食べるけど」
「もう、好きなら、スキってニコッとして言って」
「これは!」
「スキ」
「お父さんできるじゃない その調子」
「おいおい、みんな 見てる」
「いいの、お父さん、バナナは」
「スキ」
「ビールは」
「スキ」
「えぇ、ただのスキじゃないでしょう」
「ダイ スキ」
「お父さん、できるじゃない、玲香もお父さん 大好き・・」
玲香はお父さんがスキって言った物を全部、買って帰った。
へやに戻ると、早速、ビールを飲み始めた。まだ、夕食前だ。
玲香はスタップの人たちに、
お父さんは、もう、大丈夫だと挨拶をして帰った。
早朝、ラジオ体操の時にときさんと会った。
「太一郎さん、昨日、見かけなかったけれど、 娘さんの所へ行っていたの」
「昨日は娘とイオンへ行って買い物をしてきた」
「そう、私、昨日、おはぎを頂いたけれど、糖尿病でしょう
断るのも失礼だから貰ったのだけど、
それを太一郎さんにと思って持ってきたら居ないじゃない、
あとで取りに来て」
「ときさん ありがとう スキ」
「ちょっと、なによ、おかしいんじゃないの スキって・・」
「だって、娘がありがとうのあとにスキって言えって・・」
「変な人」と言いながらも、ときさんは悪い気がしなかった。