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NO10 1時間の幸せ

春樹が仕事を終えて会社に戻ると玲香は納金を済ませていた。
納金とは、今日の売り上げを会社に提出しなければならないのだ。
玲香が春樹を見つけると今度の火曜日、
休みが一緒だから食事に行こうと誘いに来た。

「いいですね、でも、お酒は飲めないから、居酒屋も好きじゃないし」

「どこか行きたい所ありますか」 玲香が聞いた。

「そうだね、上野さんはウナギは好きですか、
女性の方は苦手な人が多いみたいだから」

「はい、好きです!名古屋はやはり蓬莱軒ですか」
玲香はうなぎ屋と云えば蓬莱軒しか、頭に浮かばないのだ。

「いや、俺は澤正へよく行きます。よくって言っても年に2回程度ですが、
安月給なので中々行けません」と言って苦笑いをした。

「澤正って初めて聞きますが、何処にあるのですか」

「観光ホテルの西側、角のセブンイレブンの南側にあります」

「ありましたっけ」

「あります 昔からあります、老舗です。 
そこのウナギは後味がいいんですよ、
ウナギを食べた後、仕事をしていても
一時間は口の中がしあわせ、幸せってほころんでいます。
嫌な客が乗ってきても、なんとか、ウナギがカバーしてくれるので、
本当、一時間の幸せ、最高です。他のウナギ屋も行った事はありますけど、
大概がお店の中だけで食べて[おいしかった]ですが 、
一時間の幸せはついていません」

「へぇー 、じゃ、私もその一時間の幸せにつかりたいです。
是非連れて行ってください」
玲香は春樹を上手く誘えた事にガッツポーズだ。

翌、火曜日、玲香は午後6時に
本山駅のセブンイレブンの前で待ち合わせをした。
春樹は時刻に合わせて行くと
まだ少し早かったが、玲香はすでに立っていた。
玲香を乗せると広小路通りを西へまっすぐ走る。慣れた道だ。
仕事では、この広小路通りを中心にタクシーを流していると言っても過言ではない。
伏見を超えヒルトンホテルの前の信号を北に曲がる、一方通行の道だ。
中ノ町通りの呼び名がある。右側は観光ホテル、そして左側に澤正がある。
駐車場には5台ほどの枠があるが、
まだ、時間が早いのか1台も止まっていなかった。
お店に入ると向かって右側は4人掛けテーブルが四つほどある、
左側は2人掛け用のテーブルが4台並んでいる。
その奥は、個室席か、畳席か、仕切られているのでよくわからないが
部屋がある事は確かだ。
春樹は、ここに来る時はいつも隅の2人席に座っていた、
仕事の制服を着て食事をするのは少し抵抗があったのだ。
 一番最初に、この店に入った時、[すみません、制服でもいいですか]
と云って入った事を記憶していた。
制服を見ればすぐにタクシーの運転手とわかりそうな制服なのだ。
店員さんは気持ちよく案内してくれた。
それ以来、何回かは来てはいるが、
いつも、静かに目立たないようにポツンと
一番手前の2人テーブルに座っていた。

  今日は、堂々と入れる。ドアの開け方も、なんだか、堂々としていると
春樹は思った。
4人掛けのテーブルに座ると、店員さんが注文を聞きに来た。
玲香はひつまぶしを注文しようとしていたが、
春樹は「うな丼2つ」と言って注文してしまった。

玲香は申し訳なさそうにビールをせがむ。
その時、丁度、店員さんが来たのでビールを頼んだ。

「ごめんね、今日はうな丼にしよう。ひつまぶしもいいけどね、
だし汁をかけて食べたら、一時間の幸せが半分になってしまう。
うな丼なら、しっかり味を堪能できて口に残るから、ね」

それも、あったが、実は普通のうな丼でも3500円だ。
2膳だと7000円、ビールが600円、春樹には痛い出費なのだ。

「そうなんだ、そうか、お茶漬けにしたら味が残らないのですね、
どうしよう、ビールと一緒に食べたら、ウナギが消えちゃいますか」

「さぁ~、食べたらわかるよ」そう云っていると、うな丼が運ばれてきた。
「おいしそう、いい匂い」
玲香は箸を割ると、ウナギを口にほおばった。

「美味しい、香ばしい、本当だ、おいしい」
 笑顔、満タンで箸が進む。春樹も黙々とうな丼を食べた。

「どう、一時間の幸せはありそう」春樹が聞く。
 最後のビールを飲むと、
「美味しかった。今、わたし、最高に幸せです」と言って玲香は笑った。
春樹がレジで支払いをしようとすると、玲香が横から
割り込んで店員さんに「これでお願いします」と言って一万円札を出した。

春樹の心の中では、女性に払わせるなんて、さまにならんと思う自分がいた。
「今日は私が払うって言ったでしょう」
なんだか、昨日までのよそよそしい玲香じゃないと春樹は思った。
すごく、身近に感じるのだ。
時計を見ると、午後8時を過ぎていた。
「どうする、もし、まだ、飲みたいのなら、
1軒、知ってるスナックがあるけど行く? 
1時間くらいなら付き合うけど」

「えぇ、どこどこどこ、行く、行く、行く 」
 玲香のテンションが上がっている。
「錦のジャンボパーキングの近くだけど、本当に行く?」
「行くったら、行く 行きます」

 春樹があかねに電話すると、
「あら、どうしたの」
受話器から優しい声がした。いつもの、上から目線の声じゃない。
「ママ、今から行ってもいいかな、二人だけど」

「いいわよ、ただね、今日、ビルの配管が詰まって、今、工事中なの 、
だから、お店は今日はお休みだけど、おいで! 春樹
2人って、れいちゃん? 修平さんは仕事中だし・・・・・れいちゃんでしょう」
声が大きいので玲香にもつつぬけである。

「あれ、れいちゃん? 上野さん? 何で知っているの」
春樹は上野さんの顔を見ながら確認を取る

「知ってるわよ、茜の専属タクシーは修平さんと春樹とれいちゃん 
3人なの 知らなかった? 」

「いつから、全然 知らなかった、誰も何も教えてくれないし」

春樹は上野さんの顔を見て
「なんで教えてくれなかったの」ってつぶやいた。
春樹があかねに問う、
「休みなのに、本当に行っていいの」

「だから、おいでって言っているでしょ、休みだからいいんじゃない」
と言ってあかねは電話を切った。

春樹はなんで休みの方がいいのかよくわからなかったが、
そんな事、考えても仕方がないと思った。玲香が問う。

「泉さんって、茜のママと親戚かなんか?」 春樹が答える。

「そんな、親戚でも何でもないし、
知り合ったのも去年の暮くらいからだし、よくわからないけど、
ママは俺にはいつも、あんな態度なんだ。
修平には修平さんって言っているくせに、俺には春樹っていつも呼び捨て、
なんだかな~、どうでもいいけど・・・・・」
 ジャンボパーキングに車を入れると、茜に向かった。
まだ、工事をしているようだ。3人の作業員がパイプを交換していた。


身も心も過去もすべて受け止めて

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泉 春樹
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