NO47 錦の中で
10月17日 木曜日
街は選挙演説で賑やかしい
街の至る所で選挙演説をやっている。
春樹は交差点で手を振っているお客さんを見つけた。
いそいそと寄っていくと、選挙の関係者が旗を持って手を振っていた。
まぎらわしい・・・いい迷惑だと独り言をつぶやきながらお客を探した。
夜、23時頃、春樹は新栄から錦の雑居ビル(中央マンション)まで
若い女の子を運んだ。
すると、すぐに50歳過ぎの男性が乗り込んでくる。
名古屋駅までのお客さんだ。時間が無いから急げと言う、
「お客様、錦の中で、急げと言われても、ご覧の通り、渋滞の最中です。
お急ぎでしたら、桜通りまで出て、タクシーを拾われた方が
よっぽど早く名古屋駅に到着しますが・・・」
仕方なさそうにお客さんは、納得して下りていった。
いつもの事だが、錦の中は空車のタクシーが列を並べ、
ゆっくりゆっくり進む。
お客さんが乗車されるまで動きたくないのである。
春樹は、このような流し方が好きでは無いのだ、
一刻も早く、通りに出たいのだが、動かない、今は我慢するしか無い。
と、思っていると男性のお客さんが三人乗ってきた。
「ありがとうございます、どちらまでですか」
「近くて悪いんだが、池田公園まで頼む」
池田公園とは、一区間離れた所にある飲み屋街だ。
フィリピンやアジア系のお店が多い場所だ。歩いて行っても、10分も掛からない
春樹は、下車が近くだと分かり、すぐにメーターを入れた。
「おい、普通、錦の中でメーターを入れるか、
錦を出てからメーターを入れるのが常識だろう」 お客が怒り出した。
「お客様、そんな常識はどこにもありません、
遠くへ帰られるのであれば、運転手の気持ちで錦を出てからメーターを入れる事もありますが、それはすべて運転手の器量によるものです」
「こんな所でメーターを入れられたら、お金がいくらあっても足りんわ、
下りようぜ、おい、運転手、まだ、全然動いていないんだから、
お金なんか払わんからな」と言って、三人は下りていった。
春樹は、口からやれやれってこぼすと
タクシーを通りに出るまで回送にした。
錦の中は酔っ払いばかりだ。
分かってはいるが、あほらしくてため息が出るのだ。
玲香にプレゼント
10月19日 土曜日
いつものように、仕事前に玲香の元に走る。
病室に入ると、玲香はテレビも付けず、猫のクッションを腰にあてて
ベットの上で座っていた。
「どうよ、調子は・・・ちょっと、顔色悪くないか」
「今、起きたばかりだから、そんな風に見えるのよ、大丈夫」
「昨日、忙しかった?」
「うん、それなりにね、豊田のお客さん、島さんたち送っていったから、
売り上げ五万一千円できた」
「そうなんだ、幸ちゃんと山田さん、なんか言っていた」
「みんな心配していた、玲香は交通事故って話になっているから、
つじつまを合わせるのが大変、
で、二㌧トラックに追突されたって話になっているから頼むな、
そうそう、昨日、ドンキホーテでこんな物を見つけてきた。
どう、使えそう」
春樹は袋からカリンバと書かれた箱を玲香に手渡した。
「これ、カリンバじゃない・へぇー面白そう」
と言って、箱から出すと、早速、鳴らし出した。
しばらくすると、ドレミファソラシドが弾けている。
「なんで、そんな簡単に、弾けるんだ?」
「楽器って、必ず、階名があるから、それを探せば
曲も弾けるようになるわよ、ありがとう、楽しい時間を過ごせそう」
「ふ~ん、まぁ、喜んでくれたのなら嬉しいけど、じゃ、行くよ」
玲香 抑うつ状態
最近の玲香はよく眠る、1日の殆どがベットに居るわけなので、
寝ていてもおかしくはない、ただ、わけの分からない夢をよく見る。
そこには春樹もあかねも修平も出てこない。
東京でのAV女優だった頃の夢をよく見る、
その夢たちのストーリーは、目が覚めると大概は飛んでしまう。
何だったのか、よく分からない、そんな夢を見て疲れる、抑うつ状態になる。
私はAV女優に戻りたいのだろうか、あり得ないと思う。
総武線の大久保駅界隈は昔、私が住んでいた所だ。
その付近の人々が頭の中で交差する。
東京でタクシーを流している自分がいる。
AV女優をしている自分がいる。わけが分からない、
特定の人が出てくるわけでも無い。
今日は、あの強姦事件が、撮影場になっている。
スタップが、(そこで、もっと、股を開いて・・・)って言っている。
これは撮影だったのかと、安堵する自分がいる。
ハッと目が覚める。なんだ、撮影だったんだ。と思うと、ここは病院だ。
胸に手を当てる。強く押してみる。いたい、痛い、痛い、現実に戻る。
なんだか、死にたくなる。生きている事に耐えられない。
あれが撮影だったなら、どんなに気が楽になるのだろう。
とは言っても、AV女優なんて2度としたくないと思う。
春樹と一緒に人生を過ごしたいと思う。
なのに、夢の中には春樹もあかねも修平も誰も出てこない。
不思議だ、私ばかり、イヤな目に遭う、
臼井の時は、確かに私が招いた事件かもしれない。
しかし、今回の強姦事件は、私で無くてはならなかったのか、
女の運転手なんて、いくらでもいる。なのに何故、私なのだ。
もしかして、AV女優をしていた事で、
男をその気にさせるにおいとか空気とかが
身体に染みついているのだろうか。
死んでしまいたいと思う。
私は、この先、生きていても何があるのだろうか。
疲れた、人生がイヤになってしまった。
今度こそ、自分の幸せを掴みたくて、
東京での過去をすべて捨てて、やっと幸せを手にしたというのに、
次から次とイヤな事に阻まれる。
しかし、こんな夢、春樹さえ出てこない夢を、誰に口にできるのだろう。
馬鹿らしくて、むなしくて、疲れてしまった。
春樹が持ってきたカリンバをならしてみる。
しかし、気が乗らない、テレビを見ても、ただの雑音でしか無い。
玲香は寝る、また、イヤな夢を見るのかもしれない。
とは言っても、起きているよりは楽だと思った。