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【雑談】大事なのは過程?結果?
夏の終わり、将来の夢、大きな希望を忘れない雑談🧨
現実世界では台風やらなにやらで夏の終わりらしい天気に見舞われた中、アニポケでは雪山で熱いバトルが繰り広げられていた。
HZ61話・62話ではロイがライムの応用テストに挑戦。一度は敗北したものの、ホゲータと自分にとっての「歌」の意味を問い直し、ライムのストリンダーを打ち破って合格を勝ち取った。
続く63話でリコもいよいよグルーシャに挑んだ…のだが結果としては敗北。決して悪い試合内容ではなかったが、グルーシャの判断はそのまま不合格。再戦の見込みは今のところ立っていない。
テラスタル研修では試合の勝敗に関係なく試験官であるジムリーダーがバトルの内容で合否を判断している描写が続いていた。研修生であるリコロイドットもここに至るまでにそれを「学習」してきている。
ロイ:大丈夫だよ。リコはすごく頑張ったし一生懸命やったんだ。バトルに負けたって合格できるかもしれないよ。
ドット:そうだよ。結果よりバトルの内容を見てくれるかも。ボクもそうだったし。
これに関しては以前記事にもしたが、テラスタル研修がジムバトルとは異なり運転免許試験のような位置づけにあるからではないかと考えられる。すなわち足切りを目的にしているのではなく、条件を満たせば全員を合格しても問題ないとする研修プログラム。
しかし、グルーシャはそれとは異なる基準でリコの不合格を判断した。理由は試合に負けたという「結果」から。
グルーシャ:不合格だ。
ロイ:そんな…あんなに頑張ってたのに。
ドット:もう一度お願いします。
グルーシャ:頑張ったかどうかは関係ない。そして真剣勝負にもう一度などありえない。何があろうと結果が全てなんだ。
47話にて最初のテラスタル研修の試験官を担当したカエデは「テラスタル研修にバトルの勝ち負けは関係ありません」と語っている。カエデの言葉を信用するならバトルの結果ありきの判断はグルーシャの独断ということになるが、実際テラスタル研修についてどこまでジムリーダーに裁量が任せられているかは今のところ判断できない。
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グルーシャが「結果」にこだわるのはスノーボーダーの選手として活動していた過去によるものだと推察される。プロのスポーツ選手にとってなによりも大事なのは結果。グルーシャは事故を起こして選手を引退するが、それも満足のいく結果を出せなかったことによるものらしい。
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グルーシャの背景の掘り下げは原作ファンからも望まれていたことであり、グルーシャなりの筋の通し方はシンプルで分かりやすくもある。一方でこれまでのテラスタル研修の流れをぶった切るような言動に戸惑った視聴者も少なくないようだ。
グルーシャが結果を重んじるのはよしとしても、ジムバトルではなくテラスタル研修の試験官として適切な判断が出来ていないのではないか…、というような批判も当然浮かび上がってくる。
個人的な感想としてはそのような批判の妥当性も受け止めつつ、グルーシャの判断に納得もしている…というなんとも中途半端なポジションなのが正直なところだ。
グルーシャがテラスタル研修とジムバトルの区別が出来ているかは確かに怪しい。少なくとも再戦を受け付けない(ように見える)スタンスはかなり独断専行で、この後クラベルとオモダカから叱られないか心配するレベルだ。
一方で、物語の主人公であるリコが抱える課題を提示するという意味では非常に重要な役割を果たしているように思う。「頑張ったらいい」「バトルの内容がよければいい」…テラスタル研修でリコロイドットが「学習」したことは果たして今後の冒険によい影響を及ぼすものだろうか。
何のために人は努力するのか、冒険をするのか。大本に立ち返れば臨むべき「結果」に到達するためだろう。もちろんその道中は確かに経験となり、財産となる。それでも「結果」を求めなければ「努力のために努力する」というドグマに入り込むこととなる。
ポケモンで似たような事例を挙げると、ホウオウを追いかけるマツバが思い浮かぶ。マツバはホウオウを信仰しており、ホウオウに出会うために長年修行を続けてきた。いつしかマツバにとって「信仰」そのものが重要で尊いものになっていく…。
信仰が対象への愛であると仮定したとき、信仰そのものが自己目的化すれば愛はどこへ向かうだろうか。そしてそれは「正しき心」によるものだろうか…。
話をアニポケに戻そう。リコ達はそもそもなぜテラスタル研修を受けることになったのか。46話にてクラベルの問いかけに三人はこう答えている。
クラベル:一つ聞かせてください。あなたたちはテラスタルの力をなぜ求めているのでしょうか?
ロイ:僕、必ずもう一度バトルしたい強いポケモンがいるんです。
リコ:私、ニャローテ達と見つけたいところ、見たい景色があります。
ドット:僕は…知りたいんです。この世界のポケモンの謎、すべてを。
ロイとドットは自分なりの目標をそのままクラベルに伝えている。ロイはレックウザとのバトルの為にテラスタルを身に着けたいという目的意識があり、ドットもポケモン世界における現象の一つとしてテラスタルに興味をもっていることが分かる。
一方でリコにとってテラスタルがどんな存在であるかはこの問答でははっきりしていない。黒いレックウザとの対決で力不足を実感してテラスタル研修へ…というのが物語の流れだが、リコ自身なぜテラスタルの力が必要なのかはっきり認識しているのだろうか。
クラベルとの問答ではぼかしているが、リコの最終目的はテラパゴスを"ラクア"へ連れていくこと。"ラクア"に到達するためには六英雄と呼ばれるポケモンと出会い"いにしえのモンスターボール"に収める必要がある。
#アニポケ 六英雄を振り返り
— アニメ「ポケットモンスター」公式 (@anipoke_PR) December 10, 2023
ルシアスと冒険したポケモン「六英雄」#オリーヴァ、#ガラルファイヤー
に続き、第32話で #ラプラス がいにしえのモンスターボールに納まりました
次回は、#黒いレックウザ が再登場💥#テラパゴス が…
次回放送前に、32話をご覧ください!https://t.co/PMa5mbFhWR pic.twitter.com/BTgKkJO4wF
現在、オリーヴァ・ガラルファイヤー・ラプラスをゲットしている…が、ここまででテラスタルを使う必要があったかと言われればNOだ。テラパゴスを通じてリコと心を通わせることで自主的に"いにしえのモンスターボール"に収まるという流れで半分まで来ている。
では、改めてリコがテラスタルを習得する必要性はどこにあるのか。メタ的な考察をすれば、物語的にテラスタルを使わないと乗り越えられない「壁」があるからだろう。それは"ラクア"の扉を開く鍵かもしれないし、六英雄を呼び出す儀式かもしれないし、EXPなどの外敵から身を守るための防衛力かもしれない。
いずれにせよ、リコロイドットの中でリコは一番「結果」が求められる位置にいるのは間違いない。頑張って応戦したけどテラパゴスを奪われた…なんて展開はどう繕ってもバッドエンドにしかならない。そういう意味でグルーシャの言葉はリコに突き刺さるものだっただろう。
グルーシャの判断がテラスタル研修の試験官として適切であったのかはさておき、リコの物語的に重要なものであることは確かなはずだ。今後の展開がどうなるにせよ、その行く末を見守りたい。
心配するとすればグルーシャが物語の都合で自身の言葉を歪められないか…ということ。キャラクターの発言にはそれなりの重みがある。見せかけだけの厳しさほど寒いものはない。
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まだまだ暑い季節が続くが、心は熱く保っていたい…To Be Continued.