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【雑談】世界観の構築は1日にしてならず

涼しくなってきたのはいいけど秋晴れが恋しい雑談🍂

先日のHZ70話にてドットのカヌチャンがナカヌチャンへと進化した。これでリコロイドットの主人公組の手持ちは全員中間形態になった(テラパゴスを除く)。

カヌチャン族の生態は「ハンマー作り」と共にあり、ナカヌチャンに進化した後も変わらずハンマー作りに打ち込む様子が最後に描かれている。タイトルにもなっているように「カヌチャンのハンマーは1日にしてならず」なのだ。

ポケットモンスター(2023) EP70:カヌチャンのハンマーは1日にしてならず

話は変わって、今秋「POKÉTOON」の新シリーズが展開されているのはご存じだろうか?「POKÉTOON」はアニポケとは異なる軸のWEBアニメシリーズで公式youtubeにて公開されている。今回は特に音楽タイアップがテーマになっているようだ。

今企画ではショート尺(60秒)と長尺(10~15分)の異なる尺の作品が毎週水曜日にアップロードされている。音楽タイアップ以外の共通したテーマはないようだが、一つのポケモンにそれぞれ焦点を合わせた作品作りをしている。

現在、「パモパモットパーモット!」「怒りのオコリザル日記」「ドオー大量発生ちゅう?」「ゴーゴートに乗って」「コアルヒーだいすき!」「ラッキーなサファリでおにごっこ!?」の6作品が公開されている(詳細は公式HPのリンクから)。

所謂、「アニポケ」とは異なる軸のアニメ作品シリーズがここまで継続して続いているのは時代の流れを感じる。本来2Dドットのゲーム作品を一つの世界に立ち上げるのは間違いなく「アニポケ」の役割だったはずだが、最早そのチャンネルは一つではないのだ。

かつて、『Pokémon LEGENDS アルセウス』が発売される頃(2022年)に「アニポケが作ってきた『ポケモンらしさ』についての私見」という記事を書いたことがある。

ここではターン性コマンドバトルをアクションにしたこと、バトル史上主義の否定、「自然VS人間」のモチーフなど、アニポケが作ってきた「ポケモンらしさ」について掘り下げている。ポケモンが生まれて30年近い時が過ぎようとしているが、その中で形成された「ポケモンらしさ」の一端は間違いなくアニポケが担ってきたと私は考えている。

「ポケモンらしさ」という言葉は「ポケモンの世界観」とも言い換えられる。ゲーム上の世界をより立体的に立ち上げる為にマンガ・アニメなどのメディアは様々な工夫を凝らしてきた。その歴史もまた「1日にしてならず」なのだ。

ゲームの世界では都合上簡略化されたり省略されたりする要素が数多くある。基本的なところでは「ポケモンセンターでのポケモンの回復」などはゲーム上ではずっと簡略化されてきた部分だ。

『ポケットモンスター 赤/緑』

しかし、実際にポケモンが生きている世界であれば傷ついた生物がボタン一つで回復するというのは説得力に欠ける。実際にジョーイさんが手当てをする場面を描くことで「ポケモンが生きている世界」を成立させることができる。簡略化できない面倒で大変なことこそが世界を形作っているのだ。

「ポケットモンスター(1997)」EP2:たいけつ!ポケモンセンター!

最近公開されたPOKÉTOONの「ラッキーなサファリでおにごっこ!?」もポケモン世界における面倒で大変なことを描いた作品だ。

作品の舞台はとあるサファリゾーン。どの地方のものかは明言されていない…というか恐らく各世代の要素を混ぜていると思われる。サファリゾーンといえば、多様なポケモンが生息しトレーナーが自由にそれらをゲットできる施設。

ゲームプレイヤーからすればあくまでポケモンを捕まえる為だけの場所。でも実際にそれが世界にあったら…、当然誰かが管理しなければならない。この物語はメグという女の子の視点で進められるが、実質的な主役はメグの叔父であるサファリゾーンの管理人のボズリーという男性だ。

「ラッキーなサファリでおにごっこ!?」

サファリゾーンを管理する仕事は大変だ。サファリゾーンに生息するポケモンの体調管理、入園者の導線の整備などなど表には出てこない作業が山のように積み重なっている。

そして、あらゆる仕事がそうであるように良かれと思ってやったことが正の結果に結びつくとは限らない。ボズリーが入園者の安全の為洞窟を塞いでしまったせいで、ハネッコ達が一ところに滞留し、有害な粉を振りまく事態になってしまった。

「ラッキーなサファリでおにごっこ!?」

ボズリーの先代のサファリゾーンの相棒だったラッキーはこの事態に気が付いておりボズリーに伝えようとしていたが上手く意思疎通がとれず衝突してしまっていた。これもポケモンが実際にいたら起こりえるトラブルだろう。

「ラッキーなサファリでおにごっこ!?」

ままならないこと、面倒なこと、大変なこと…実際に誰かがそこに生きている「世界」であれば当たり前に存在すること。それらはゲームという世界であればない方が自然で楽しいものかもしれない。でもマンガ・アニメなどの物語の世界であればむしろ「味」になるのだから不思議なことだ。

念のために言っておくが、私はゲームの世界が無味乾燥なものだと主張したいわけではない。ゲームで不便を楽しむことだって勿論あるだろう。ただ、ポケモンというコンテンツにおいて世界を立ちあげてきたのはきっと面倒なことを掘り下げて続けてきたメディア・物語群なのだろうということだ。

そしてそれは視聴している我々オーディエンスにも向けられている。面倒で思い通りにいかない物語を味わう「がんじょうあご」を常に鍛え続けなくては…To Be Continued.


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