【雑談】自分ではない誰かに声を届けるということ
急な冷え込みで体がついていかない雑談🍂
現在、リコ達は六英雄のバサギリと出会うためにキタカミの里の天狗山を探索中。道中の野生ポケモンは縄張り意識が強く「よそ者」のRVは歓迎されなかったようだ。
「よそ者」嫌いといえば、キタカミの里のトレーナーであるゼイユも似たような態度だった。アニポケが原作の時間軸のどのあたりに位置するかは明確にはなっていないが、ゼイユの「よそ者」嫌いは相変わらずなのは間違いない。
「よそ者」というのは縄張りを犯した存在のことだが、その縄張りは客観的に線引きできるものばかりではない。縄張りはある区画を"縄張り"として主張する特定の存在によって生まれる。人間であればそれに対して国境を定めるなどの施策を立てられるが、ポケモンなどの野生生物はもっと原始的なやりとりをしているだろう。
人間であってもポケモンであっても縄張りを持つ理由は大差ないはずだ。簡単に言えば自己防衛の為に自分の居場所を守る…というのが縄張りの持つ一義的な意味となる。心身の安全を確保する為に縄張りを持ち「よそ者」を排除する。自己と他己の境界が具体的な領分の境界となり、コミュニティの境界へと拡大していく。
自分と他者が異なるのは当たり前の事実、自分を守るために他者と線を引くのは当たり前の権利。ではそんな「当たり前」を乗り越えてどうやって他者に自分の思いを伝えるのか?これは古今東西の物語が主題としてきた課題だ。
ポケマスEXにて先日配信されたアカデミー創立編「地獄のアイドル登場!」においても同様の課題を主題として取り上げていた。
現在、ポケマスEXの舞台であるパシオではボタンやクラベルらが中心になって「パシオアカデミー」を創立するために活動している。「パシオアカデミー」は文字通りパシオにおける学校の役割を果たす施設のことで、キャラクター的には特にスター団が活躍することが多い。
今回のストーリーではスター団かくとう組のボスであるビワがアカデミー創立の機運を高める為に奔走する…というのが主軸になっている。しかし、ビワの言葉は思うようにパシオの人々に届かない。彼らはビワのことを自分とは関係のない「他者」だと突き放してしまっていた。
これらの反応に対して、ビワは自分ひとりが「悪役」を引き受けることで強烈な悪感情を引き起こせばパシオアカデミーに関心を持ってもらえるのではないかと思い至る。
ビワの自己犠牲的なアイディアは作中の誰にも支持されることはなく頓挫することになる。健全な物語としては当然の流れだが、大事なのはビワが何故そのような思考に辿り着いたのか…ということ。
ビワはかつて学校でいじめを受けた過去があった。いじめっ子に対して蜂起したこともあったが、そのせいでスター団という居場所を失いかけたこともあった。
ビワは自己と他己の分断によって起こる悲劇を知っている。そして人々が団結するために何が必要なのかも。それは決して綺麗なままだけではないもの、ともすれば誰かを傷つけてしまうかもしれないもの。
本来バラバラの存在を繋ぎとめる為に何が必要なのか。ポケマスでは過去にそれに対する答えを提示している。悪の組織編におけるキリヤがたどり着いた「中庸としての黄昏」の境地。
「正義」と「悪」どちらに振れすぎても間違った道に進んでしまう。今回のビワもある意味振り切ったが故の暴走(未遂)だといえる。それは皮肉にもビワの話を聞かなかったパシオの人々の精神性とも共通しているものだ。
「正義」と「悪」が割り切れないように「自己」と「他己」を割り切ることはできない。ポケマスの物語において自己犠牲が否定されるのは、自分を傷つけることによって自分を思う誰かを傷つけてしまうからである。
自分と他者はもちろん違う。分かり合えないことだってある。でもどこかで団結する為には極端な割り切りではない方法を地道に模索していく他ない。結論は出さない。故に…To Be Continued.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?