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Immortality
年齢的になのか親しい人のお祝いのイベントが減ってきて、自分をとりまく環境では弔事が増えて来た。
慌てなくても良いようにとの意味もあるが、本当に大切な意味で、自分用の喪服をきちんと持っておきたくなった。
今まで喪服を用意してなかった訳じゃないが、きちんと用意しておきたいという理由は、ご縁や繋がりを大切に思う人へ向き合う気持ちが、適当ではなくなってきたのだ。
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去年の夏、母方の祖母を亡くなっだ後親戚付き合いのあった人が何人か亡くなり、先月になるが、私の父方の祖母もやはり高齢で亡くなって、四十九日を終えたばかりだ。
若い頃は、弔事の大切な意味なんて解らず、ただ悲しかったり寂しかったりする場面だった。
今になって思うけど、繋がりのある人との最後のお別れは、お祝いの場面とは逆の空気になるが、自分にとっては本当に大切な瞬間だという事だ。私もそんな事に気づく時が来たんだろうと思う。
特に、順番通りに身内とのお別れの席という経験を繰り返すのは、その人達との思い出が甘くなくても自分が自分である為に欠かせない瞬間みたいに思えてきた。
弔う気持ちと、ありがとうという気持ち。
ブラックフォーマルというが、元々は喪服は白い色だった事は知る人も多いし、白を着る所も残ってる事も聞いたことがある。
私は、黒を着る常識しか見たことがなくて、深く追求はしないが、黒は私にとってなんか清潔感を感じる色なので普段もよく着る色だ。
調べてみたら、黒にはネガティブなイメージもあるが、良い意味もあるし、私が納得する意味も持っている。
黒には、「自己確立」の意味があるそうだ。
「自分を知ること。」
私にとって、弔事はそれを意識する場面だ。
若い自分親切だった親戚の女性の死を、嘆いてばかりで、最後の顔を見るのに打ち覆いを取るのも躊躇していた私は、もういない。
故人が存在した事に感謝が強いほど、御涙頂戴ばかりでいられなくなったのだ。
特に父方の祖母の死から、それを教わった。
私は性格的には、家族の誰よりもこの祖母に似ているので、仲良くケンカもしたし、厳しくもされた。
祖母は辛口だったし、割とお転婆な所も祖母譲りだ。作法にこだわるより、気取らず地味に家全体を大切にしていたこの祖母の気持ちは、側からは見えにくいものだった。
自分の、この祖母に似た所が、いま始めて有り難く思えたのだ。
母方の祖母が亡くなる前、介護施設にいたこの父方の祖母にも会いに行かなきゃ、と。強く思っていた矢先の事だった。
一度施設から短い手紙を、もらったもののコロナ禍では面会が難しい状況だった。
面会が徐々に出来るようになってきて、食事を取らなくなった祖母。何度かそういう状況に陥り、何度も持ち直して、また楽しく過ごしているという知らせに慣れてしまっていたけど、親から、もう今度は皆会いに行かなきゃダメだと言われて、会いに行ったのは随分久しぶりの事だった。
その翌日、亡くなり、家に帰って来た。
この祖母への思いは大切なものだが、説明するのは一言二言では済まない、複雑な所もあるし、書き出したら止まらなくなると思う。
普段あまり他人に話す事もない。
ご縁を感じる人への思いというのは、なかなか他から解ってもらったり、イメージなどの良し悪しではかれる物じゃない。
孫の私から見てそういう物に余り頓着のなかった祖母なりの品性が好きだからこそ、余り話そうとも思わないという感じだ。
他に葬儀を済ませた、他の親戚の人にしても、大切な気持ちがある。
色々な職業、その人の世界、身近でも様々だけど、最後の瞬間は同じだ。
大切に思う人と、最後一緒にいて見送るという場面は、私にとってはその人に抱いていた大切な気持ちから、その人の今までに感謝する事で、強い心が得られる瞬間だ。
なので、黒のブラックフォーマルを、適当にしておきたくなくなった。
昔、こんな風に思える時が自分に来るとは思わなかった。こう思えて来た自分に満足感があるのは、私でも「最高の出会い」をした証拠として納得した。
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亡くなった2人の祖母とか、一昔前の人は、ここが良く分かっていたんじゃないだろうか、と思う。
私でも、それが分かった方がお祝いの場なんかも一層嬉しいものになり得るんじゃないかと信じるようになってきた。
私から見るとお別れの葬儀の場も人が繋がれて行く為のものだ。
その人が残した人達が集まって、それぞれの自分の思いはあっても、最後に故人の自然な姿を見て、皆が心を一つにするのだから。
読んでいただきありがとうございます🪷