センスとは


最近、ありがたいことにセンスがいいねと褒められることが多い。それは素直に嬉しい。けれど、「良いセンス」というものが果たしてその人が生まれ持った才能で出来ているか、つまり、センス=生まれ落ちた時点で決まる かと問うとどうも違う気がする。というのも、僕は昔からテレビっ子でありラジオリスナーで、特にバラエティー番組を観たり聴いたりのが大好きだ。これまでの人生の1/3くらいはお笑い番組を見るなどエンタメに費やしてきたのではと思うほど。特に、高校や大学など、与えられる試練の難易度が難しくなっていけばいくほど、バラエティー番組を見て笑い飛ばし、その時間は日々の辛さ、抱えた心の闇を忘れてきた。ホントに大いにお世話になったし、今もなっている。そのお笑い番組を観る習慣が、僕のセンスを育てたのではないだろうかと思うのだ。全く言葉をしゃべられない赤ちゃんは、言葉を喋られる大人に囲まれて生活していくことで、誰に教えられたわけでもなく自然に言葉を学び、いつの間にか喋られるようになる。それと一緒で、何のセンスの欠片もなかった俺も、優れたセンスを持つ芸能人の言葉や芸をテレビやラジオから長年浴びたことで、自然といいセンスというのを学び、今こうして褒められるに至ったのではないかと思う。これはほんと色々サボり続けて、テレビばっか観てたからこそ得られたなんの努力もない偶然の賜物だけど。これと類似した話で、僕は親戚のおじさんおばさんに「あなたは小さい子と遊ぶ才能があると思うわ。保育士になったらどう?」と言われたことが何回かある。確かにやけに懐いてくれたりするし、そんなにちびっ子と遊ぶのは嫌いじゃなかった。もしかして向いてるかもと思い、本気で保育士を目指しかけた時期もあったが、いや重労働の割に給料すくねーな!ということに気づき、その夢はひとまずお預けにした。じゃあなぜ俺は保育士に向いてるとか言われたんだろうとグッと考えると、僕の小学生時代を思い出して合点がいった。というのも僕はその頃、妹が友達たちと遊ぶのに付き添いで行ってた。それも結構な頻度で。そして、年の離れた、ちびっこ達の中に自ら混じりにいって一緒に遊んでいた。まぁ面倒を見てた半分、楽しく遊んでた半分ですけど。その年下のちびっ子と遊ぶ経験が豊富だったから、僕は自然と子が喜ぶ遊びの付き合い方を学習して、結果周りから子の世話が向いてるねと言われたのだと思う。何かの能力の体得の仕方は千差万別だが、僕は、今持つ自分の能力というのは生まれ持った先天的なものというよりも、経験や努力、周りからの影響のような後天的なものから成り立っているのではないかと信じてる。だから、何でもかんでもこれは向いてない才能がないと投げ出すのではなく、いつか何かの能力が上がっている未来を信じてひたむきに頑張るというのを忘れずに生きていきたいなと思った。
だから初めは下手でも上手くなる日を信じでなんでも挑戦してみようって思ってる今日この頃の俺だ

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