下諏訪を考えるプロジェクト始動
皆さま初めまして
大自然の中で自分を見つめ直しながら、
noteの記事を書いています。
このnoteシリーズでは、
長野県下諏訪町にある空き家を改修し、
地域を活性化の素敵な家に生まれ変わるための
途中経過も含めて綴っていこうと思います。
タスク・スケジュールの整理も必要なのですが、
最初の記事ということで、
簡単に自己紹介や背景について説明したいと思います。
まず自己紹介ですが、
出身は岡山県倉敷市という地域です。
白壁造りや美観地区が有名な観光地です。
大学入学のタイミングで東京へ上京し、
今は日本橋エリアに住んでいます。
普段の仕事は、東京の会社で
営業企画・システム企画の仕事を
10数年ほど携わらせていただいています、
平日仕事に並行して、
下諏訪に何か貢献できることができないかと模索しています。
それがまさに今回の実家の空き家を改修するということです。
続いて背景についてですが、
私と下諏訪町との繋がりは、
先祖代々下諏訪の人間で、
下諏訪町の赤砂という土地の開墾に尽力した一族の末裔です。
祖父から先祖の昔話を聞かされつつも、
祖父も含め、私自身先祖のルーツには
ここ数年興味はありませんでした。
というのは、社会人になって数年間は、
特に何も考えず、目の前のことに全力投球していました。
働けど働けど、何か違う、自分のやりたいことと違うという感覚を持っていました。
ただ、一体何がどう違うのかは自分では答えが出ていませんでした。
毎日のように、仕事の帰り道、
「自分が本当にやりたいことはなんなのか」
と自問自答していました。
やりたいことという質問が自分自身には最も難しい問いでした。
思えば、今まで自分で何かしたいという選択を取ってこなかったかもしれません。
大学も仕事も、やりたいことではなく、
「自分ができること」を選択していました。
そこで、自分への問いを変えてみることにしました。
やりたいことではなく、少し角度を変え、
一生続けられるかどうかに焦点を当ててみました。
つまり、「どれだけ辛くても、続けられることって何か」
この問いも、簡単なものではなかったですが、
1番最初に出てきたのは、祖父の姿でした。
祖父の姿を思い出した時、
祖父が愛した下諏訪に貢献することが、
誰に反対されたとしても、家族に反対されても、
もし仮に祖父本人が求めてなかったとしても、
自分は一生続けられる仕事だ、と思うようになったのです。
しかし皮肉なことに、私がこの答えに行き着いた時には、
祖父はおらず、本人にこの想いを伝えることはできませんでした。
もし祖父が存命であれば、私の考えが、どう受け止められたのだろうか、
今となっては、誰も知る由はありません。
でも、それでいいんだと思います。
祖父は私のことをいつも応援してくれていました。
そんな祖父への恩返しとしても、
祖父が住み馴れた下諏訪へ貢献することを
今までと同じように応援してくれると信じているからです。
長々と書いてしまいましたが、
あらためて自分の想いを見つめ直してみました。
これから、諸々を進めていく上で、
さまざまな壁にぶつかると思いますが、
その時には、1番最初に書いた、
この記事を読み直し、奮起したいと思います。
ここまで読んでいただいた方へ
感謝のほど申し上げます。
これからも随時更新していきますので、
よろしくお願いいたします。