自称ftmについて
診断を受けた訳ではないのと、自分の中でも迷いがある為「自称」としています。
自分の過去を振り返りながら備忘録として。
1、幼年期
あの頃の自分がどう考えていたのか、今となっては思い出せませんが可愛い女の子だったのは覚えています。髪は2つ結びをして、お気に入りの髪ゴムをして、出先で可愛い指輪を一度だけ買った記憶があります。ですが女の子の友達と遊んだ記憶はなく、男の子の友達と粘土遊びをするか、大半は1人でお絵描きをして過ごす大人しい子供でした。
理由はおそらく兄の存在があると思います。兄の遊びについて回り、兄の遊ぶもので遊ぶ。それが女の子らしくならなかった理由の一つかと思います。
この事で周囲や両親を咎める意図は決してありません。そうしたのは紛れもなく自分の意思なので。
2、小学校期
1年生の頃は男の子とばかり遊んでいました。DSを持ち寄って通信対戦をしたり、友達の家に上がって格闘ゲームをしたりもしていました。女の子の話題に混じれなかったのもありますが、何と無く“女の子”という存在から遠ざかりたかった思いがありました。
しかし小学2年生の時に女の子の転校生がやってきました。その子と私は親友と呼べるほど仲良くなり、その子を通じて女の子のコミュニティで遊ぶ様になりました。同時に男の子と遊ぶこともなくなっていきました。
男の子と遊ぶ頻度が減った反面、私の趣味はどんどん女の子から離れていきました。兄のお下がりをねだる様になり、髪の毛も一本結びにこだわりました。(天然パーマがコンプレックスだったため、ショートヘアにしようという考えはありませんでした)
田舎の学校では野生児も多くて、私は性自認なんて考えることもなく中学校へ進学しました。
3、中学校期
中学校ではある一定の時から周囲と疎外感を感じる様になりました。そのきっかけになったのが生理でした。クラスの女の子たちの「生理が始まった」「あの子の胸が大きい」なんて話を横目に、自分の身長が小さいことも相まって「自分は子供のまま成長できないのではないか」と悩んでいました。
ある時から私にも生理が来ました。初めて来た時は特に驚きもせず「体が女なんだから当然の生理現象」としか考えていませんでした。しかし回を重ねるごとにそれが嫌悪へと変わっていきました。生理が重たかった事と、女子同士の内緒の話という括りに言いようのない気持ち悪さだけがありました。
この頃に「自分は性同一障害なんじゃないか」と悩み始めました。
服はジーパンにパーカーなど、当たり障りない物を好む様になっていました。母から可愛い服を着なさい、髪を可愛くアレンジしなさいと叱られていましたが、母の機嫌が悪くなければ断るようにしていました。
4、高校期
高校では少し離れた友人のほとんど居ない高校へと進学しました。普通の学校ではありましたが、少しヤンチャな生徒が多い印象でした。
そんな学校では友達もほとんど出来ず、休み時間は寝たふりをして過ごしていました。しかしそうしているとクラスメイトの話が耳に入ってくるわけで。メイクの話だったり、彼氏とどこまで進んだかだったり。そういった男と女を感じさせる話が何よりも苦手でした。
衝撃的だったのは同学年の長期で休んでいる子が妊娠しているのではという話題でした。それが私の生理嫌悪を加速させました。自分もそういうことをすれば子供が宿る、その事実が嫌で嫌でたまりませんでした。
これがきっかけで私は「男になりたい」のではなく「女でいたくないだけなのでは」と考え始めました。
高校を卒業する最終日に、私は初めて髪を短くしました。コンプレックスの天然パーマも縮毛矯正をかけました。親のお金で縮毛矯正をかけるのは本当に申し訳なくて今まで出来ていませんでしたが、翌月から就職が決まっていた為お金を前借りするという取り決めでようやく切る事ができました。
数少ない友人から「そっちの方が似合ってる」と言われとても嬉しかったのは記憶に新しいです。
5、社会人期
社会人になってからも悩みは尽きませんでした。
入社式の為スーツを仕立てに行った際、ズボンとスカートの2種類を合わせました。鏡に映った自分は明らかにスカートの方が似合っていました。ズボンを履いた自分のそれはそれは不恰好なこと。髪を切って少し女の子から離れられたと思っていた自分は酷く絶望しました。
そんな中とある企業の事務員となりました。自分と年齢の離れた上司ばかりの職場でしたが、何とか仕事をこなせていました。引っかかったのは私の扱いでした。きっと年が離れていたから孫に接する気分だったのでしょう。私に無理はさせず、椅子などを運んでいると男性の上司に「俺がやるよ」と気を使われ、仕事中でも「疲れたら事務所に戻っていいよ」など。さらには事務所内でお菓子が配られる際に「女の子には特別に2個あげるよ」とよく女性社員が優遇されていました。
優しさだと分かっていても「女の子扱い」されることに酷く傷つく自分がいました。
それから上司に愛想よく振る舞う自分の女声が嫌になって、笑い声が嫌になって、仕事着に着替える時の女子更衣室が嫌になって、生理で仕事を休んだ翌日体調を気遣われるのが嫌で。
それが直接の原因ではありませんが、1年半もしないうちに私は退職しました。
きっとどこに行っても自分が女性扱いされない場所はないし、男性と同じ扱いをされても同じような結果を残すこともできない。そんな考えから再就職の目処も立ちませんでした。
6、今現在
今は実家で無職です。ごく稀に小説執筆の依頼を受けて数千円稼ぐ程度。
身体嫌悪は止まらず、今は目立ち始めた自分の胸が嫌で外出する際は胸潰しをして過ごしています。
自分は「女扱いされたくない我儘な女」なのかもしれません。
性から生じる役割から逃げたくてftmを名乗っているだけなのかもしれません。
ですが女性でも男性でもいられない自分を表現するには「ftm」しかなかったのです。
自分はこの議題を考えるときに多くのエッセイ本やネット上の人生史を参考にさせていただいたので、性別に悩んでいる誰かの参考になればと自分史を綴らせていただきました。
今回自分の人生を振り返りながら、性に囚われない生き方が出来るならそれほど素晴らしいことはないと私は思いました。