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多摩川の生き物とヒト その257 旅 佐川しまなみ海道へ その2 `24/10/29和歌山から奈半利まで

和歌山からフェリーで四国徳島へ。和歌山駅近くまで無料の高速道路が使える。地方線の強敵は高速道路だと思う。
私が昔、自転車で渡ったフェリーで今度は自動車で渡る。自転車の時は東京から1週間程度こぎ続けたので、船でゆっくりと休めたのを思い出した。
和歌山が遠ざかった思ったら、すぐに淡路島が見えてきた。明石海峡大橋も確認できた。そうこうするうちに徳島に着いた。昔は隣の小松島だったと思う。
55号線のコンビニでカップヌードルとワンタンで遅い昼食。郷土料理など、美味しいものと思うが、時間の関係でどうしても簡単なものになる。さらに、フェリーでカメラを落とし、追い打ちでコンビニではコーヒーをこぼしてしまった。そのため、出発が遅くなってしまった。

和歌山にある和歌山城。徳川御三家の城の一つ。
勇壮な石垣。石工の軌跡が残っている。
人や馬などが簡単に侵入できないようにくの字型になっている。
白炭に使うウバメガシ。西日本などに分布する広葉常緑樹林の代表的な樹。カシ科。
かたわらにはキノコが生えていた。
ナナミノキ。関東ではあまり見かけない。クロガネモチなどと同じ科。モチノキ科。
和歌山港。紀ノ川が注ぐ。
しばらくして、乗る船がやってきた。
岸壁には石炭や廃棄物などが山積みになっていた。
遠く、熊野方面が見える。
こちらは淡路島方面。
淡路島と四国を結ぶ神戸淡路鳴門自動車道(本州高架橋)も見えた。

南阿波サンラインに入ると、一旦、山に入り、また、海沿いに出て来た。太平洋の荒々しい海が見え、もっとゆっくりしたい所。
夕方、やっと、阿波海岸鉄道宍喰駅(ししくい)に到着。高架橋の一階に駅舎があるが、駅前には店などは無く、寂しい限り。水槽があり、イセエビの駅長がいた。鉄印と好きなグッズを求める。
雨が強く降ってきた中、室戸岬の手前で御厨人窟(みくろど)を見る。崩壊の恐れがあるので、すでに立ち入りできなくなっていた。こんな小さな洞窟に空海がいたのか。

阿佐海岸鉄道宍喰駅。DMVなどで盛り上がっているかと思ったが、静かだった。
イセエビの駅長。よく、ウサギやネコの駅長はいるが。
タケで作ったシェード
駅の待合室にあったタケのランプ。どこで作っているのかもわからず。
美しいタケのランプ。
JR北海道が諦めたDMVが実用化され、走っている。
阿佐海岸鉄道の鉄印。阿佐海岸鉄道は元鉄道建設公団が阿佐東線として建設したもの。鉄建公団は勝手にローカル線を作るために産まれた。役目が終わったのに地下鉄建設などでしぶとく生き残っている。
DMV導入当初は珍しい事もあり、賑わっていた。その後は伸び止んでいる。やはり、奈半利から室戸岬を経由して走るようにしないと、伸びないだろう。また、直通していた牟岐線に入れなくなったのも痛い。
泊まったゲストハウスよろずやさん。へんろ宿 ドミトリーとも言う。 ドミトリーは相部屋の意味。民宿みたいで面白い。
普通の家を泊まれるようにしたもの。簡単に泊まれる所が少なくなっている中、そのような意味でも貴重。

雨が降る中、岬をめぐり、安田を通り、奈半利(なはり)へ。途中では雨に打たれても歩いているお遍路さんを見かけた。今夜はどこまで行くのか。白衣(はくえ)が死装束とも言われるのも分かる気がした。
奈半利の手前で左へと別れ、宿を探す。私は勘で探す。妻はどこの横なのかはっきりしないとダメな性格。市街地の橋を越した所で再度電話。妻が電話をしている人を見つけて宿を見つける。行き過ぎた。
宿は普通の民家で看板も小さく、目立たなかった。宿には先客がいて、フランスの方だった。逆打ちしているらしく、46番目まで回っていた。夕食を食べに行く前に風呂などを案内していただいたが、水を出す時、栓を持ち上げる等、かなり古びている。
夕食を取る場所がなかなか見つからず、結局、ホテルのレストランへ。戻ってから床に入ったが、枕などはかぐわしい匂い。諸国を回っているお遍路さんと同じで、泊まれて休めるだけで、良いだろう。
明日はいよいよ、牧野さんの故郷へ行く。

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