能はこんなに面白い・その三 「船弁慶」前場

能は「わかるのではなく感じるもの」

「演者と同期して、身体的共感が高まり演者と見る側が一体となった時、はじめて唯一無二の作品になる  いつでも発見がある  だから面白い」というわけだ。
能の謡をちゃんと身に着けたら、故事来歴から文学まであらゆる知識を身に着けられる。
        「能はこんなに面白い! 観世清和+内田樹 小学館」        

さあ! 古典を片手に、身体的共感を求めて、能を感じよう。


源義経(九郎判官)は今日でも人気のあるヒーローの一人だろう。
能で登場する義経は、どうした訳かほとんど(知っている限り)子方(*1)として登場する。
過日、MOA能楽堂で鑑賞した「船弁慶」の義経も子方だ。 


MOA能楽堂

MOA能楽堂のホワイエは、船弁慶(宝生流)を楽しもうと集まった観客でムンムンしている、ヨシコもクニオもその渦中の人、少々上気した気分で開場を待っている。

船弁慶(宝生流) 前場
義経主従が都落ちして西国に下ろうと大物浦に着く、ここで同道した静は、弁慶の諫言もあって都に帰るよう諭される、悲願にくれる静御前、別離の酒宴で別れを悲しみつつ舞を舞い、一行の船出を見送る。
後場
やがて、船が沖合にさしかかると、にわかに海が荒れ波濤が逆巻く中に、不思議や平家一門の亡霊(平知盛)が現れる、知盛の亡霊は大薙刀を振り回して義経に斬りかかる、弁慶は数珠を押しもんで祈り退け、亡霊は次第に遠ざけられて引き汐と共に消えていく。 

“船弁慶って意外性のある曲なんだぜ、知ってる?”
 小耳にはさんだ話をさも得意げに話すクニオ。
 
ヨシコはどうせいつもの知ったかぶりだろうと
“へ― そうですか”と軽くいなす。
 
冷ややかなヨシコの態度に、少々不満げな表情を浮かべながら
“前シテ(*1)と後シテが同一人物ではないって珍しいと思わない?”
 
 能は前場と後場でシテと呼ばれる主役が別人物を演ずる例はあまりない。 
船弁慶では主役のシテが、前場では静御前を、後場では知盛と別人格を演じる、対照的な演技を一人の演者演じさせる能は珍しいようだ。
 
義経を慕う静御前なる美しい女性が舞う優美な前場から、亡霊と化した知盛が義経に復讐しようと襲い掛かる激しく壮烈な後場へと劇的に変わる、この意外性のあるドラマチックな舞台構成が素晴らしい。

大物浦に着くや、女人連れは足手まといとばかりに、静御前に帰れと諭す弁慶。

シテ(静) これは思ひもよらぬ仰せかな。何く迄も御共とこそ思ひしに。
      頼みても頼みすくなき人の心。あら何ともなや候。

“連れて行けばいいのに、すでに儚い命なんだから”
“イヤイヤ、ここは、恋仲より逃げ延びて再起を目指す  さすが弁慶とほめるべきではないかな”

 
“本当の強さは、猛々しさでなくてしなやかなこと、慈悲の心よ”
“いやいや、源平の戦いに慈悲は無用、うたかたのごとく消えいるのが能なのさ“

 
“賢しいことを言うわね!” 
“それが能の美意識なの!”

 
 さらに口を挟もうとしたその時ピーンと天女がヨシコに舞い降りた。
“ハーンわかったわ  ビンゴ!”
“何がわかったの”
と不審げな表情で上目使いにヨシコを見やる。
 
ヨシコは少々上気した笑い浮かべ、勿体ぶって。
“作者は布石を打っているわね、いい よく聞いてね  ”
“「静か」を拒めば海は「荒れる」ってことじゃない“
(*2)
 
静かを拒めば海が荒れるとは 奇妙なことを言うなとぶかるクニオ。
 
━しずか  いなくなる!  うみ  あれるか? ……    
   
確かに後場では知盛の怨念すさまじく海は激しく荒れる。
能にそんな「言葉遊び」的な趣向をしのばせるのかと、納得出来ずにいる。

 ━しかし、まてよ!
“静かを拒めば海は荒れる、道理の因果を語っているのかもしれないな”と思い直す。
“人の道を諭しているのか?”

 
“だとすれば   ウーム   ありうるかも”  
“いやいや そんなはずはない、単にあざとい作為ではないか “
 
悩むクニオを横目に
“前場の静御前の登場はこの後場への布石ね! だから静を帰す演出が必要だったのよ”ヨシコは、今日はいい仕事をしたとばかりに、淡く微笑む。
 
舞台では静御前の別離の宴が始まろうとしている。

子方(義経) 静に酒を勧め候へ
ワキ(弁慶) 畏って候。げにげにこれは御門出の。行末千代ぞと菊の盃。
       静にこそ勧めけれ。

見所(*3)のクニオはヨシコの説に、一瞬たりとも納得してしまった自分に …………
口惜しさをにじませ佇むばかり 口惜しさをにじませ 佇むばかり。
 
 
静御前は別れを悲しみつつ、優美な中ノ舞を舞う。 

シテ その時静は立ち上がり。時の調子を取りあへず。戸口の郵船は。風静 
   まつて出ず。
地謡 袖打ち振るも。恥かしや。
シテ 立ち舞ふべくもあらぬ身の。
 中ノ舞
シテ ただ頼め。しめぢが原の。さしも草。
地謡 我が世の中に。あらん限りは。
中略
シテ 静は泣く泣く。
地謡 烏帽子直垂脱ぎ捨てて。涙に咽ぶ御お別れ。
見る目も哀れなりけり 見る目も哀れなりけり。 

                中入り
                                                            
                        To be continued
 
(*1)シテ方にはシテ(主役)、シテツレ(準主役)、トモ(シテの同伴者)、子方(子役、地謡(合唱団)、後見(進行補助役)などの役があり能に出演する。
(*2)「静か」を拒めば海は「荒れる」は『「能の平家物語」秦亘平(文)・堀上謙(写真)朝日ソノラマ鍵』船弁慶の解説ヒントに創作した。
(*3)観客席

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