堀元見氏によるこうちゃんへの「悪口」の、誹謗中傷である点

堀元氏のnoteの問題点

堀元見氏によるこうちゃんへの「悪口」は、

こうちゃんという演者は面白くない 態度が不遜、発言が凡庸、機転も利かない 制作者としての企画力も乏しい
QuizKnock時代のこうちゃんが何万人ものフォロワーを獲得できたのはQuizKnockのプロデュース力の賜物であるのに自身の実力だと思い込んで独立した
案の定こうちゃんが独立後に開設した個人チャンネルはまったく伸びていない

というものである。

上記の主張は
・転職、独立などはキャリアアップ、さらなる栄達を目的に行われるものである
・YouTube動画に求められるのは、何万人もにリーチする面白さである 数千回しか回されない動画(やその制作者)には価値がない

という、資本主義や拡大主義に基づく画一的な価値観を言外の前提としている。

堀元氏は、自らを覇道を進むマジョリティからは退けられた社会の隅っこにいる存在と位置づけ、強い者が弱い者をいじめる構図を避ける体裁をとりながら、その実マジョリティ的な拡大主義の論理を押し付けてこうちゃんを攻撃している。

このエントリは長々と書くかもしれないが、私が今回の件で堀元氏を悪辣だと思っているのはこの点に尽きる。

こうちゃんは株式会社であるワタナベエンターテインメントに所属し、会社の予算を計上されて動画コンテンツを制作している 更新頻度は低くないようなので、かなりの額を投資されているだろう。
だから当然、こうちゃんは何らかの形で株式会社ワタナベエンターテインメントに対して収益をもたらさなければならないはずだ。
その具体的な形として、YouTubeを何万回も再生されることを目指している蓋然性は確かにある。
なら、堀元氏はこうちゃんの動画の内容をコケにしはじめるときの前置きに、
「こうちゃんは金銭の回収のためにYouTubeを何万回も再生されたいと願ってそのための動画作りをしているはずだ。」と書けばよい
なんなら、その前提に確証が持てない状態で
「こうちゃんは金銭の回収のためにYouTubeを何万回も再生されたいと願ってそのための動画作りをしていると仮定しよう。」と書くのでもよい

そこから「しかしこうちゃんの企画やトークは何万回も再生されるようなレベルに達していない」とはじめたなら、資本主義、拡大主義的な見地を堀元氏が意図的に選択したうえでの悪口だという共通認識のもと読み始められる。そうすれば、あくまでその一面から見た時の批判だととらえることができたはずだ。そうしなかったから、全面的な人格否定のように読めてしまってここまで炎上したのではないだろうか

どの土俵で攻撃するかを宣言するのではなく言外の前提としてから悪口を書くことで、あたかもこうちゃんが天与の原理原則から見てコケにされるべき存在であるかのように誤認させている。
これは立派な誹謗中傷だ。

たとえばこうちゃんが妙ちきりんな金策に奔走しているような動きを見せたり、タイトルやサムネで再生回数稼ぎの釣り行為をしたりと、資本主義の土俵でのたうちまわっていることが明白なのであれば、何の前置きもなくその土俵で攻撃されるのももっともなことだと思う
しかし今回の件はそうではない
堀元氏が金銭を好きでいる自由は尊重されるべきだが、金銭を稼ぐことが得意でない人が金銭を稼げる組織から独立したことを思い上がりの末の凋落とみなすことには根拠がないし、その無根拠さを隠して悪口を吹聴するのは誹謗中傷でありいじめだ。

なお、私が問題としているのは、天与のものでもなければこうちゃんが必死にしがみついている様を見せているわけでもない資本主義を「言外の前提」として押し付けていることであって、こうちゃんが内心どの程度収益や再生数を欲しているのかを問題としてはいない。
とはいえこの点に関する意見も口々にありそうなので、私の想像も述べておく
まず、独立は、キャリアアップのためとか少なくとも目先の収入のためとかではないだろうと思う
(新しい環境で頑張ってみることで成長したい、ということなら広く「キャラリアアップのため」に含まれるかもしれないが)
金銭を目的とするなら、テレビ出演や講演会などタレントとしての個人活動は事務所を通じて収入となり、QuizKnock(株式会社baton)での正社員雇用もされている身分をやすやすと手放すとは思えないからだ 収入第一でライフプランニングをしてはいないのだろうと想像する
つづいて、再生回数は、最終的にどの程度のラインに乗せることをこうちゃんやこうちゃんサイドの人々が目標としているのかは分からないしもしかしてその目標に対して現状に危機感を持っているのかもしれないとは思うが、それはそれとして数千人しか喜ばないような自分語りや内輪ネタに終始している動画もファンサービスとして重視しているのだと想像する
歴史解説動画などリーチの長そうな動画は受験系YouTuber界に参画して再生回数を得ることも目的に含めて制作しているのかもしれない。実績がなければYouTubeを続けさせてもらうことが難しいだろうし。一方、それ以外の動画はタイトルやサムネを見ただけで熱心なこうちゃんファン以外は回れ右しそうなものも多い、さすがにこれはファンサービスのつもりでなければ作らないだろう。またYouTubeライブでは、スクショタイムを設けたり、お悩み相談に応じたりしている 自分語りや内輪ネタを楽しんでいるようなファンを喜ばせたがっていることの証ではないだろうか

私が書きたかった本題は堀元氏のかしこがったその実ファルスマッチョなだけのしぐさについてなので、ここから先は蛇足とはなるかもしれないが、今回の炎上で起こったいくつかの論争にも首を突っ込んで私見を述べてみよう

悪口noteで儲けることは悪なのか

今回の炎上で多く見られた意見のひとつが、「他人の悪口を書いたnoteで収益を得るなんてひどい」というものである。
私はこの意見には反対である。
悪口noteは、書かれた対象を原作とした二次創作のようなものだと思う 二次創作を多く売りさばくことのできたクリエイターは、当然収益を得る権利がある。
(原作者が収益の分配を望むならそれを得る権利もあるかもしれないが、それについての法律はあまり整備されていないだろうから意見が割れるかもしれない)

こうちゃんによる悪口noteの紹介はファンネル煽りだったのか



こうちゃんは堀元氏による悪口noteを自身のファンからの告げ口で発見し、そして自身のXアカウントで紹介するに至った。
堀元氏いわく、「これをきっかけに、お怒りの声がわんさか届いた。」とのことである。
本人がそう言うからには、実際にこのタイミングでこうちゃんファンからの非難が激増したことは事実なのであろう。(その紹介ツイートがなく同じだけの時間が経過した場合との比較はできないのだから、厳密に紹介ツイートの影響を測定することは難しいかもしれないが
noteにはどこからの遷移で表示されたかを執筆者が知ることのできる機能はあるのだろうか?)

このこうちゃんによる紹介をファンネル煽りと受け取った人も多かったようで、この点も論争になっていた

1.こっそり書かれている有料noteに本人が言及するのはマナー違反ではないのか
2.その言及はファンネル煽りではないか
3.もしファンネル煽り説が正しいなら、それはしてはいけないことではないか

という論点がある

1について
名前を出さないでほしいという執筆者堀元氏の注意を破っている点を問題視する意見もあるが、その注意書きの意図は堀元氏によればこうちゃん本人に届くことを避けるためとのことだったので、この点を争う必要はない。
また、アングラな場に本人が言及するのは野暮だとの意見もあった。
ナマモノ二次創作を本人は黙認すべき、という言説に近いものを感じる。
黙認をお願いしたくなる気持ちは理解できるが、「黙認の要請」は矛盾している。野暮と受け止めるのはその人の感性だから仕方ないが、本人が言及する権利を否定すべきではないだろう。

2について
まあ、そう見えるのはそうだよなあと思う。ネット社会では黙認が美学とされる節があるから、その禁を犯すのにはそれなりの強い動機が必要なはずで、そこに怒りという感情を想定すれば理解しやすい。また、結果的にはそれと時を同じくしてファンネルが増えたらしい。
すでに燻っていたファンネルの気配を収めるために注意喚起のつもりでツイートした説もあるが、そうだとしても逆効果になったかもしれない。
こうちゃん本人は一言一句すべて素直に思ったことをツイートしただけ、との見解もあった。私はさすがにそうとまでは思わない。世間の声を気にした結果せざるを得なかったツイートだと想像している。
「死んでくださーい」と言われて世間から圧倒的な同情を集めているお笑い芸人でさえ、素直に悲しみをツイートすれば「寛大さを見せるべき」との非難を浴びてしまう世の中で、怒っていない素振りをツイートしないわけにはいかなかったのではないか。こうちゃんの心情を読むことなんてできないので、完全な想像だが。
こうちゃんの立場で、堀元氏を叩かせることに別にメリットがないのと同じくらい、許容している姿勢を見せることにも、ただ素直な感情のみにしたがえば別にメリットはないはずである。「この件について知ってるんですよね?寛大さを見せないんですか?」みたいなリプが来ることが懸念されない世の中であったなら

(横道だが、ファンネル煽りをガッツリやってやりたいなら、もっと「書かれた方への攻撃等は私は本当に望まないのでおやめください。」部分を自分のファンに向けて強調するポーズを取るとか、野次馬という仮想敵を設定したりファンチの出現を想起させる余地を作ったりとか、他にもっとするべきことがある。)

3について
煽ってはいけない派もいるが、大きなインプレッションを集めていたツイートは「自分への悪口で100万円稼いだなんて言ってるやつにはそれくらいしてもいい」という意見などだった。
私はそもそも2の説を否定する派ではあるが、上記の意見にはちょっと笑わせてもらった。

QuizKnock動画内での演者・こうちゃんの言動はつまらなかったのか

QuizKnock動画内でこうちゃんが務めていた役割は、堀元氏やその愛好者たちのようなかしこがり層をうざったがらせるものだったかもしれない。
しかし、その役割は、お茶の間にも受けるメディアを目指したQuizKnockにとっては必要なものだっただろう
(とか書いておけばかしこがっている氏たちは自分のアイデンティティと矛盾せずに聞き入れることができて満足するだろう)

動画制作に携わるたくさんの人達にはそれぞれ役割がある。
ある一部分が気に入らなかったとして、それを担っている人を嫌って「この人を除きさえすればQuizKnockはもっと面白いはずだ!」と信じるのは視野が狭い。
結果的にはそういうオタクの脳内妄想通りに現実が進行したわけだが、それをもって自分が正当化されたと思っているのだろうか?

こうちゃんが果たしていた役割は、副産物として堀元氏のような層のヘイトを集めるものであった。

ところで、悪口というのはただ自分の視点から吐き出していても、周囲から反対され、窘められて終わるだけである。盛り上げるためには周囲の人々(の半分くらいでも)から共感を狙うことが必要だ。態度が大きいように見えるとか、うるさくて調和を乱しているように見えるとか、悪口を言う大義名分がある程度無ければいけない。

堀元氏はこうちゃんを馬鹿にすることで従来の購読者たちからの共感を得られて笑いを取れるともちろん分かっていたはずだ。
もし、という話なんだが、
もし、堀元氏が、「こうちゃんの役割は結果的にヘイトを呼んでいるはずだ」と理解していたからこそ、こうちゃんへの悪口には共感を得られるはずと踏んでいたのだとすれば、それはとても邪悪だなと思ってしまった。
堀元氏は底意地こそ悪いが話せば良いヤツというキャラなので、そんな考えはなくて単に視野が狭かっただけだと思いたい。

余談


堀元氏はQuizKnockを大変敬愛しており、本気か夢か定かではないがいつかゆる言語学ラジオがもっと有名になったらコラボをしてみたいとも言っていた。
仮にすでに去年以前の段階でコラボを果たしており、そこでこうちゃんとも会って談笑などをしたことがあったのなら
堀元氏は同じように今回のnoteを執筆していたのだろうか?普通に興味がある。
堀元氏は「実際会うと良いヤツ」的なキャラを武器としているので、逆に自分が実際に会ったことのある人間についても悪く書けないのだろうか?それとも、それはそれとして何食わぬ顔で悪口を書いていたのだろうか?

元従業員にこれだけの悪口を言うなんて、コラボはもう諦めたのだろう。(定期購読者以外の外部に漏らされず炎上していなかったら、それはそれとして何食わぬ顔でコラボしたいと言い続けていたのだろうか?)
いつかコラボしてみたいという話には相方の水野氏も同調していたと記憶している。もし本気だったなら、知らぬところでその未来図を潰された水野さんは気の毒かもしれない。

さて、堀元氏は、悪口雑言の応酬に慣れすぎているのではないかと思う。
ひどい悪口を書いているとき、自分自身が同じだけひどい事を言われるところを想像しても、インターネット芸人にはよくあることとして違和感なく受け入れてしまうのかもしれない。
しかし、水野氏やほかのゆる学徒系列の番組の面々が同じように中傷されているところを想像したならどんな顔をするだろうか。
悲しむと思う。根は良いヤツブランディングを守るために悲しい顔をしてみせるはずだと言いたいわけではなくて、ただ悲しいと思う。
自分自身が言ったり言われたりすることにはもう感覚が麻痺しているからひどいことを言いすぎるのではないだろうか。感覚をどこかで一度リセットしてもいいのでは?

こうちゃんと堀元氏のコラボの可能性

堀元氏自身がこうちゃんとのトークイベントなどの可能性を検討しているようだが、ネット上でも両者のコラボを望む声は多いようである。
私は被害者にも寛大さを要求する風潮を苦々しく思うが、おそらくこうちゃんサイドにとってもその世間からの要求に応える様を見せられるコラボの話はメリットの無いことではないはずだし、ファンネルしたと世間の一部に思われたままでいることもよしとしていないかもしれないし、(資本主義的な解釈を当てはめるならYouTubeチャンネル立ち上げ期の成長戦略の一環として)動画でのコラボにも積極的なようだから、堀元氏から誘われれば断らないのではないだろうか。

堀元氏には自分なりのルールがあるようで、

今回の件で僕は思いのほか儲かってしまったので、こうちゃんにも儲けて欲しい。僕は底意地が悪いがフェアネスを重んじる人間なので、自分だけ儲かっていると気持ち悪いのだ。

とのことである。私の意見としては、中傷した側の自己肯定感を傷つけないためだけにおこぼれを受け取ってやる義理なんてないだろうと思う。
堀元氏が今回のこうちゃんの立場に置かれたら、その儲けはありがたく受け取るんだろうなとは想像が付く。終始一貫している人なので。

とはいえどんな形であれ、ここまで騒ぎが大きくなってしまったからには双方とも騒ぎを収束させないことにはデメリットが生じうるから、利害が一致してコラボするかもしれない。あと勝手な想像だけどこうちゃんは純粋に許してくれそう。
一緒にウミガメして仲良くなれない人はいない、ってマックで女子高生が言ってたから、カプリティオさんにでもお願いしてウミガメしたらいいんでないの。
チーム制のウミガメとかインサイダーウミガメみたいな協力や裏切りが発生する形式にして、こうちゃんと堀元氏の間でそれらが起こるみたいな展開でネタに昇華できるかもしれないし。不仲ネタのさばき方にも一日の長があるからあのチャンネル。

自分なりに精一杯考えた礼節の尽くし方が「収益の分配」になるような相手との対話である。さらに、会見後に「堀元さんは良いヤツでした!」とツイートするノルマ付きである。
せめてこうちゃんに優しい人の立ち合いのもと行われてほしいと思う。

失敗たとえは時として悪

最後に、もう一つ私が気になった点を述べたい
凧のたとえである。

こうちゃんはきっと、「自力で飛べると勘違いした凧」なのだと思う。本当は糸を掴まれて飛ばせてもらっている存在なのに、「糸を持っている人間なんて邪魔なだけ」と勘違いしてしまった。
だけど、実際にはそうではない。糸が切れた凧は、電柱にでも引っかかってビリビリに破れて、あとは地面を転げまわるだけだ。

堀元氏の画一的な見方によれば、こうちゃんとはQuizKnockの一員としては得られない富や名声を求めて独立し、それに足る能力はないから落ちぶれたYouTuberである。
凧のたとえはそれによく対応している。
半導体をプリンにたとえていた人間にしてはなかなか上出来なたとえ話だと思う。

しかし堀元氏の考えが及んでいないことがある。

たとえは、多層性を持ち得るのである。

具体的な主張から、いちど抽象化を経由して、はじめの主張とは別のものを媒介に再び具体化したものがたとえである。
そのプロセスゆえに、はじめの主張とたとえは一対一対応ではない。
堀元氏は、ただYouTuberとしてのこうちゃんの富や名声が失われていく様だけ託したくて、ビリビリに破れる凧を登場させたつもりだったのかもしれない。
しかし、読む側にしてみれば必ずしもそればかりが想像されるわけではない。「こうちゃんは凧である」と言われてしまえば、読者は一人の人間としてのこうちゃんがボロボロに傷つく様を想起させられてしまう。さらにいえば、もっと人として一線を踏み越えたような発言に読めたしてもおかしくない。(少なくとも私はそれを強く想起させられたから怖くなってこの章を書いている)
堀元氏に悪意がなかったとしても、人格否定に読めてしまう。悪意さえなければ許されるとは、私は思っていない。

プリンのたとえでゲラゲラ笑えたのは楽しかった。でもあんな失敗たとえが数週間に一回ポンポン出てくるそもそもの原因は、堀元氏のたとえの構造理解の浅さにあるのかもしれないと、今回の件で思った。

堀元氏は、自分たちで築き上げてきたゆる学徒のYouTubeに大層誇りを持っているようである。
また、自分たちで築き上げてきたメソッドから、こうちゃんのように態度が不遜で発言が凡庸で機転も利かず企画力も乏しい面白くないパーソナリティが出てくることなんてありえないと考える程度にはその面白さを信じているはずだ。
そのゆる学徒の面々が受け継いだり発展させたりしているメソッドに、堀元氏の失敗たとえも組み込まれてしまっている。笑える間はいいが、悪口のために使い始めたら番組全体が危険だと思う。

誹謗中傷をしている堀元氏は、滑稽ではあるが面白くはない。

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