もしもピアノが弾けたなら
きっと自分に聴かせていただろう…
と思う。
生まれながらに発達障害をもつ私
は、ある一定のことが出来ない。
音楽が好きで、歌手になりたいと夢見ていたが
今の時代とは違い、歌詞を覚えることもできない私には夢のまた夢だった。
現代なら方法は色々あるけど…
夢を叶えるのに年齢は関係ないと言うけど…
そんな簡単なことじゃないよね、
人の心を動かす才能もなければ、運を味方につける才能もない。
きっかけや力をつける為の丈夫な体と経済力もない…
人の心を動かし、思わず立ち止まって涙をさせる人間になれる人は、砂漠の米つぶみたいなものだ。
西田敏行さんのような、観るものにも聴くものにも感動と喜びを与えられるような人は、天国でもきっと、その偉大さを発揮するのだろう。
でもせめて、もしもピアノが弾けたなら
そんな自分の心を癒し、励ますことが出来ただろう…
西田敏行さんの訃報を知らせるニュースで目が覚めた。
この人ほど、亡くなったことが実感できない人は滅多にいない。
「もしもピアノが弾けたなら」
この曲を聴くたびに、瞳が涙で滲んだ。
ドラマだけでなく、画面に顔が映るだけで
つい、魅入ってしまう表情と、優しい声は、
観るものの心を穏やかにさせる。
改めて、過去の歌番組で歌っている姿を見てみると、西田さんの声の温かさに、悲しみの感情よりも、温かい感動の涙が滲む。
年の瀬に近づいてくると、訃報が続く。
目覚まし代わりにアラームをかけているテレビの声が、目覚めとともに悲しい気持ちになる。
でも、今日は違った。
旅立ったことの実感が無さすぎる。
西田さんは、私にとってはそれだけ大きな存在感ある人なのだ。
人の訃報や、病気を知らせるニュースが流れると即座にチャンネルを回してしまうほど
人の生死に関わる話が苦手で、自分の周りの人で、体調が悪いと聞くだけで、胸が痛くなってしまう。
病院ドラマも苦手だ。
だけど、ドクターXは観ることが出来た。
救ってくれるという安心感があるからかな…
だから、訃報を聞いて記事に書こうと思った人は西田さんが初めて。
本当に旅立ったのだろうか
全く信じられない。
きっと、ドラマの最終回で
旅立つ役だっただけ…