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調整期間

姉が留学していた時の話をされた。

日本人は時間に敏感で、遅刻に厳しい。
電車の遅れがあれば、駅員が謝罪を放送し、ホームで待っている人はいらいらし始めたり、焦ったりなど空気感が少し窮屈になる。

でも姉の留学していた国は違うらしい。

電車の遅れはよくあることで、そのホームにいたおじいさんはこういったらしい。

「おかげでコーヒーを一杯飲む時間ができたね。」

考え方を変えるだけでこんなにも時間が優雅に進むのだ。


いつか見たYoutubeで印象にのこっている言葉がある。

「すべての出来事がいい方向につながっている。」

この言葉を聞いてから、自分が今置かれている状況を楽観的に受け入れることができるようになった。



この前大学にいる時突然雨が降った。

急いでラウンジに避難したら、そこに偶然友達が3人ほど座っていた。

その日雨が降らなかったら、その日その友達とは話すことがなかっただろう。

雨が降ったのはいいことだったのかもしれない。


大学受験で2月に受けたものはすべて不合格だった。

努力は報われないのだと思った。

3月に少しだけ募集している学科を受験した。

入りたい学科ではなかったが、合格した。

今はその学科で多くの楽しいお友達ができ、その人たちと過ごす時間が非常に多い。

もし2月に受かっていたら、その子たちとは出会うことができなかっただろう。



昔から感じていたことがある。

すっごく悪いことがあった後にはとんでもなく幸せな出来事があることが多い。

波はちゃんと同じ高さで来るのだ。


でも、もちろんそれは逆の場合もある。

すごく幸せな時期は少し不安になる。

この後どんな悪いことが起きるのだろう、と。



ずっと幸せなままではいられない?



それは求めすぎなのだろうか。

いつももうすぐでうまくいきそうな時に障害が生まれることが多い。

私の波の間隔はすこし短い?


でもそしたら私はいつうまくいく?




いや

それか


波は毎回おなじ高さではない?


私がうまくいくのは「調整時期」なのか?

それはいったい誰が決定権を持っているのだろうか。


それを自分でコントロールできる人もいれば、自然な流れに任せる人もいるだろう。

私はもう少し自然な流れに任せてみようと思う。


それは心に余裕を持ちすぎか?

でも心に余裕がある人はきっと魅力的なはずだし、
これから起こることに対して驚き悲しみ、それすべてを含めて楽しめる人でありたいと思う。

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