オナニズムに耽溺する年老いた全共闘世代
かつて、三島由紀夫との対談において、芥正彦は、オナニズムという言葉を多用して時の潮流を批判していた。
三島由紀夫に「持続性」のなさを喝破された全共闘世代は、年老いた現在、かつて自分たちの用いていたオナニズムに耽溺している。
「本来は権力に歯向かっていくべき芸術や文化が潰されているという危機感が根底にあって、『新聞記者』の映画化に突き進んだ」
と望月は河村を語ったが、それに私は、
「飼い慣らされない野性こそが芸術の輝きだったのに、いま多くの芸能人は権力の家畜になってしまった。全共闘世代の河村さんはそれに苛立ちを感じていたんだろうね」
飼い慣らされない野性こそが芸術の輝きだった
と述べているが、輝いていたのは彼らではない。彼らより上の世代の輝きに憧れて、その背中を追いかけていただけなのに過ぎない。
年老いてもなお、彼らは全共闘世代のままなのだ。
日本の凋落は、バブルが崩壊した頃から始まったと言えるが、そのころ社会の中心にいた彼らは、自分たちにその責任があるなどと想像すらできないのだ。
逃避するように、かつて批判していた自分たちこそオナニズムに耽溺している。そして、そのことに気づいていない。