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ウポポイで感じたあの焦燥感は一体何だったんだ

こんにちは。Mataです。
前回の記事でアイヌ語と縄文語の繋がりについてまとめました。興味のある人はどうぞ。

今回も前回に引き続きアイヌについて考察していきたいと思います。

さて、前回は言語に着目しましたが、今回は本州との関わりに着目していきます。本州、その中でも幕府との関わりですね。
まあ、結論から言うと幕府そんなに関係ないって話に終始するんですが……

これは先日北海道白老町にあるウポポイに行った時のこと。

ウポポイの謎の生物

アイヌの博物館が施設内部にあり、その中を同じ歴史マニアの友達とあーだこーだ議論しながら(私が一方的に教えてもらう側だったとは言えない)隅から隅まで展示を見ていました。
すると、ある異変に私達は気づきました。

丸に隅立て一つ目紋………!!


三つ巴紋………!!

いやね、アイヌ人も和人との繋がりは最低限あったし私も丸に隅立て一つ目紋くらいの何かマイナーな家紋くらいじゃとやかく言いませんよ。

問題は三つ巴紋だろぉぉ!!!!

なんでそんな重要な家紋がアイヌの祭具に描かれてるんです?三つ巴紋なんて日本の家紋の中でも超重要じゃないですか。西園寺家や山本勘助などの家紋としても知られていますが、この家紋にはもっと別の重要な意味があるんです。

全国各地で八幡神社の瓦として使われているんです!

はい、どいうことか説明しますと、三つ巴紋は八幡神、つまり応神天皇を表しているんです。

応神天皇って古事記や日本書紀にしか登場しない、一応誉田御廟山古墳なんて墓もありますけど実在がめちゃめちゃ怪しい天皇です。
次代の天皇は大仙陵古墳で有名な仁徳天皇、祖父はヤマトタケルです。伝説上の人物でしょこんなん。

つまり、和人はアイヌ人に神道を強制的に信仰させてアイヌ人を和人と同じようとしている…?

それは韓国併合ならぬ蝦夷併合。朝鮮ならぬ蝦夷で行われた皇民化政策。
初めて博物館で悪寒が走りました。

三つ巴紋………!!

しかも三つ巴紋が描かれている祭具の数が多い!
これ不可解なのが全て江戸時代以前の祭具なんですよね……

江戸時代以降の展示に入ったら葵紋が沢山描かれてたんですけど、そこはまあ事実として江戸幕府がアイヌを抑制しようとしてたっていうのがありますし。

モヤモヤしたまま博物館出て、帰りのバスで閃きました。  

せや!検索しよう!

え?一発でなんかそれらしいの出てきたんだけど…

…つまり、コシャマインの乱の如く、和人の支配に堪忍袋の緒が切れたアイヌ人たちが小山さんの屋敷に攻め寄せたけどその時の小山さんの戦いぶりがあまりに強すぎて鬼神のようだったから神様として祀り、その小山さんの家紋、二つ巴をとある商人が「こっちのほうがいいよ」って巴一つ付け足したから三つ巴紋だけが広まったっていうことですか…?

誰だよ皇民化政策とか蝦夷併合とか物騒なことばっか言ってたやつ…

いやー、今のgoogleって凄いんですね!!終わります。

ありがとうございました!(何だったんだこの記事)

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