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緊急事態の空

ベリショーズVol.13収録『エントツケズリ』B面の物語


 新学期を前に、また引っ越すことになった。

「大丈夫、すぐ新しい友達が出来る」

 先生は電話で励ましてくれたけど、この学校でもしばらく友達は出来なかった。

 放課後、みんながデパートのゲームセンターや屋上遊園地で遊んでいる時、ぼくはその屋上のベンチに寝転がっていたんだ。

 でも、そうやって何もせず空を眺めているのも嫌いじゃなかった。たぶん、新しい学校でも同じ日が続くんだろう。

 次の引っ越し先は本州で、昔パパが住んでいた街だという。もしかしたらママにも会えるかもしれない。 


 出発の日、空港でお爺ちゃんとお婆ちゃんに見送られながら、初めて飛行機に乗り込んだ。

 そして座席の下からウィーンという音が聞こえてから飛び立つと、あっという間に街の建物が小さくなっていた。

「すごいや」

 思わず窓に顔を押しつけてしまう。

 それからもぼくの心は浮かれっぱなしだった。だっていつも見上げていた空が、すぐ目の前にあったのだから。

 でもそのせいもあるのかな。着陸する頃には、なんだか変な気持ちにもなっていたけど。


 新しい家は空港の近くにあった。

玄関を開けると、パパとぼくは早速荷物の整理を始めた。

「やれやれ、やっぱり初日はドタバタするな。さあ休憩だ」

 パパはちゃぶ台の上にお菓子を広げてチョコをつまむと、テレビのスイッチを点けた。

「……医療提供体制も逼迫してきているとされました。このような状況について全国的かつ急速な蔓延による国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼす事態が発生したと判断し改正新型インフルエンザ等対策特別措置法第三十二条第一項の規定に基づき緊急事態宣言を発出いたします」

 と、画面の向こうで首相が会見を開いていた。

「到頭か。これは新生活早々、大変なことになったぞ」

「どうなるのかなあ?」

「学校や図書館とかの公共施設はまたお休みが続くけど、今度は商業施設も営業停止だね。残念、久しぶりにあのデパートに行こうと思ってたのに」

 そう言ってパパは畳の上に寝転んだ。

 そして次の日、パパの言ったとおり休校期間が延びて始業式も中止になった。

「こんなに天気がいいのに、子供がずっと家に閉じこもっているのもなんだな。少し外に出てみれば?」

 パパがパソコンのキーを打ちながら言った。

「うん。じゃあ一緒に散歩に行こうよ」

「残念。僕はこれからリモート会議だ。悪いけど、一人で行ってきなさい」

「そう。じゃあ行ってくる」

「ちゃんとマスクを付けてな。あと、人混みは避けるように」


 さて、どこに行けばいいんだろう。

 考えながら大通りを歩いていくと、白く大きな建物が見えてきて、四角形の屋上看板にはパパの言っていたデパートの名前が書かれていた。

 どうせ、中のお店はお休みだろうな……。

 正面玄関から入ってみると、食品売り場の灯りだけ点いていて、薄暗い専門店街とはネットで仕切られていた。

 レジに並ぶ人もまだ少なく、買い物かごを下げたおばさんが店員さんに「本当にどこもお休みなるのねえ」と困ったように話し掛けていた。

 やっぱり思ったとおりだ。家に帰ろう。

 そうして外に出ようとした時、奥にある非常階段のドアが開きっぱなしになっているのが見えた。

 きっと初日だからドタバタしたせいだろう。昨日のぼくたちみたいに。

 でも、あそこから屋上に出られるかもしれない。パパが言うには、ここにも屋上遊園地があるらしい。

 ぼくは止まっているエスカレーターの脇をすり抜けると、誰にも見つからないようにドアの向こうに出て階段を駆け上がった。


 ノブを回して押すとそのままドアが開いた。   

 そしてその先には見慣れた遊具が並んでいて、中央にあるジャングルジムのてっぺんには、ただひとりの入園客が腰掛けていた。

「やあ、今日ふたりめだね」

 そう言ってこちらに手を振るそのお客は、ぼくと同い年くらいの男の子のようだった。

「やあ」 

 ぼくも手を振り返してジャングルジムに近づいたけど、その顔はよく見えない。

 それは、その子もマスクを付けていたからというより、周りが薄暗かったためだ。

 おかしい……。あれだけ晴れていたのに。

 真上を見ると、そこに青空はなかった。

 そう、だけ。まるでデパートの敷地に合わせたように空が薄暗くなっていたんだ。

「驚いたかい? ぼくも最初は驚いたよ。でもすぐに気付いたんだ。デパート内と同じように、デパート上も営業停止にしたということにね」

「デパート上も!?」

 ぼくはジャングルジムを駆け上がると、男の子のすぐ隣に腰掛けた。

 これで顔はちゃんと見えたけど、前にもどこかで見てるような気がした。

「ぼくたち初めて会ったよね?」

「ああ、初対面のはずだよ。ぼくは江久洲えくす、江久洲みのるって言うんだ」

 そう言って江久洲君は空を見上げた。

 ぼくも自己紹介をしながらまた上を向いたけど、前にもふたり並んで空を見上げたことのあるような変な気持ちになった。

「ほら見てごらん」

 江久洲君が、遠くからきた雲を指さした。

 その雲は、デパート上を避けるかのように変な曲がり方をして流れていった。

「本当だ。なんだか食品売り場と専門店街みたいだよ。でも、空まで営業停止にしなくちゃだめなのかなあ」

「おそらく、それだけ屋上から空を眺めるのを好きな人が多いということだろうね。閉鎖しても、鍵を手に入れてまで入ろうとするケースもあるのだろうな。そうやって誰かが入ってしまえば、自然と人集りも出来てしまう」

「なるほど。いつかパパも、昼休みに屋上の喫煙所から空を眺めるのが日課になっているとか言っていたっけ」

 そこでぼくはハッとして江久洲君に尋ねた。

「きみは、パパかママと来たんじゃないの?」

「ううん、ひとりで来たんだ。今日は母さんと会える日だったんだけどね。急に予定が入ってしまったんだって」

「会える日……?」

「ああ、家では父さんとふたりで暮らしてる」

「そうなんだ……。じゃあ、ぼくと同じだ」

 江久洲君がくるりとこちらを向いた。

「きみも同じ境遇なのかい。さっき、初めて会ったか訊いたよね。ぼくも以前にどこか別の場所で、きみと出会っているような気がしてきたよ」

「うん。こうやって空を……空は、この空は今日の空なのかな?」

「ああ、きっと営業してない今日の空だよ。明日からもこのままだろうな。でも宣言が解除されればまた空は変えられて、他の店舗と同じように営業を再開するだろうね」

「じゃあ、その日になったら……その日になったら、また一緒にここで空を見ないかい?」

 思わず出た誘いの言葉だった。

 でも江久洲君は、驚きもせずにその申し出を受けてくれた。

 それからぼくらは、誰にも見つからないように階段を下りデパートを出ると、それぞれの帰路についた。

 出会ったばかりで学校も違うというのに、初めて本当の友達が出来た。そんな変な気持ちに、いや、不思議な気持ちになる一日だった。


 宣言が解除されてから初めての休日、曇り空の下ぼくはデパートに向った。

 到着してから腕時計を確認すると、開店時刻まであと30分。正面玄関の前には、もうマスクを付けた人の行列が出来ていた。        

 約束の時間よりも随分早く着いてしまったけど、気が急いていたのはぼくだけじゃなかったみたいだ。

 やがて両開きのドアが開かれると、行列はゆっくりと建物の中へ吸い込まれていき、明るさに満ちたフロアに散らばっていった。

 どのお店も営業を再開している。

 玩具屋さんには新商品も用意されていてぼくの気を惹いたけど、すぐにまたエスカレーターに乗り上へ向った。


 屋上に人の姿はなかった。みんな他のお店に夢中なのだろう。

 ぼくは隅にあるベンチに腰掛け、江久洲君を待つことにした。

 陽の光が暖かい……。おかしいあれだけ曇っていたのに。

 見上げるとそこに灰色の雲は無く、デパートの敷地に合わせたように青い空があった。

 そうか、まだ再開したばかりだから中の準備でドタバタしていて、間違えて違う日の空に変えられてしまったのかな。なら、いつの日の空なのだろうか。

 太陽の側を、一機の飛行機が過ぎていった。


「どうした?」

「うん……なんだか、僕が乗ってるこの飛行機を僕が見上げているような、変な気持ちになったんだ」


(了)

初稿:ショート・ショート・ガーデン『空の欠片』2020/04/15

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