ラベンダー 第1回
冷え込んだ朝、峰坂市郊外にある小辻家の小さな花壇の土は、霜柱で盛り上がっていた。靴の底で押してみると、パリパリと音を立てて氷の結晶が崩れる。冷気で引き締まった清涼な空気に包まれたその日は、バレンタインデーだった。小辻渉は、いつもより少しだけ念入りにコーディネートに気を配って、職場に出かけた。黒のスキニーパンツに焦げ茶のVネックセーターを組み合わせて、渋いオレンジのウルトラライトダウンのジャケットを羽織った。ジャケットからはみ出る丈の長いセーターは、一見ミニのワンピースにも見える。白髪染めを兼ねて、黒に近い落ち着いたブラウンに染めた髪は、短髪ノーセットで、丸みのあるウルフカットだ。
数日前に買い揃えた、義理チョコの小さな五つの箱を入れた紙袋を持って、渉は車に乗り込んだ。彼が勤める和菓子の老舗丸岡屋菓子舗の営業課には、男性が彼を含めて四人、女性が二人いる。日本中の多くの職場同様、バレンタインデーには女性陣から男性陣にチョコレートを、ホワイトデーにはそのお返しにクッキーを贈り合うのがオフィスの習慣だった。しかし、二年前に渉が女性陣に加わって三人の男性に、さらに二人の女性にもチョコレートを渡し始めてから、少し様子が違ってきた。
就職して二年目はボタンの色やデザインに、ほんのわずかに柔らかさを感じさせるワイシャツを着るようになった。三年目からは、寒い時期の事務仕事の時に、ジャケットの代わりに少し丈の長いカーディガンを着たり、ネクタイやニットのベストの色合いにピンクや紫を配したり、差し色として散らしたりすることが増えてきた。やがて職場の女性からは「小辻さんはおしゃれだよね」と、言われるようになり、男性からは「俺にはとても着こなせないな、その色は」と、驚かれたり、時には羨ましがられたりするようになった。
だが、明らかに女装と判断されるような服装だけは、その後三十年ほど慎重に避けて過ごしてきた。