ラベンダー 第11回
「大昔、人間は背中合わせに男男、女女、男女がくっついた三種類の二体一身の姿だったんだって。で、生意気にも神々に刃向かったので、ゼウスに体を分断されてしまうんだけど、それぞれの昔の相方を求め合って以前の姿に戻ろうとする。それが愛の始まりで、だからヘテロとゲイとレズビアンの三つの形態がある、という説をプラトンが紹介している。
ちょっと極端でコミカルな話だけど、自分の性認識や、愛情の対象に関しては、現代人よりおおらかだったんじゃないかな。今の社会では、つい一世紀前までは、性認識は男か女かの二択、愛の対象は基本的には異性と、少なくとも表面的にはそうなっていたから大昔より窮屈だよね。ただそういう性と愛の交通整理が進んだので、社会が機能的に働いて文明が発展したのかも知れない」
きょとんとしている翔子を見て、千尋は「ふふっ」と、かすかな笑いを漏らしながら、励ますようにことばをつないだ。
「便利だから、心じゃなく頭の言うことに従って、男と女のどっちかに限定しているわけよ。二つの要素の表れ方は千差万別、十人十色で人それぞれ違うはずなの。
多くの人は普段0か1かで暮らしているんだけど、翔子の連れ合いは、そうじゃないやり方をしたいんだと思う。0.1と0.9とか、女性性一割に男性性九割とか、両方の要素を同時に持ちたいと思いながら暮らしてる人は多いと思うよ。渉さんは、その気持ちを完全にはさらけ出すのを、世間の手前、あるいは家族のことを考えて我慢してたんじゃないの? 人生の折り返し点を過ぎて、渉さんは自分が社会で当てはめられた枠組み以外の要素も、かすかでもいいから表面に出したくなったんだろうね。
それで、渉君はそれを開けっぴろげに軽やかに出してくるから、周りをほっこりさせるんじゃないの? だから翔子も応援したくなるんだよ。周囲の人もそういう気持ちで見ていると思うな。職場とか近所でもトラブったりしてないんでしょ? だったらそれでいいのよ。翔子の納得の仕方もそれでいいんだと思う」
千尋が、渉さんから渉君へと呼び方を変えた。私も本気の時は君付けになるけれど、千尋も親身になって心配してくれてるんだ。翔子にはそう思えて、少し胸が熱くなった。