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ラベンダー 第5回

 娘の陽向が二歳になったばかりの頃、試しに練習のつもりで、夕食のスパゲッティを渉も翔子も手伝わずに一人で食べさせてみたことがあった。服を汚さないように、新聞紙を二枚重ねて広げ、丸い穴を開けた即席のエプロンを頭からかぶせて、髪を耳の上にツインテールにして跳ね上げて、口の周りにかからないようにした。そして、幼児用の椅子に座らせて、新聞の折り込み広告を敷き詰めたテーブルに向かわせた。陽向は、最初はプラスチックの先割れスプーンを振り回してスパゲッティと格闘していたが、ほどなくスプーンを放り出して、素手でスパゲッティに挑みかかった。
 手づかみで口に押し込むところを、じっと我慢して手を出さずに眺めていると、やがて彼女は、一本のスパゲッティを両手で左右に伸ばして口に持っていき、首を左右に振りながら、唇で器用にスパゲッティに絡んだミーソースをしごき始めた。ミートソースをこそげたスパゲッティは、最初は丸めて口に押し込んでいたが、やがて皿に戻し始めた。スパゲッティを一本つかんでは、口でソースをしごいて味わい、薄い黄色に戻ったスパゲッティを皿に放り出す。手も口の周りもソースまみれになりながら、お腹いっぱいになるまでそれを繰り返した。
 翔子は「子どもって、スパゲッティじゃなくてミートソースが好きなんだ、そして好きなほうから、いや好きなものだけ食べるんだ」と内心呟き、新しい発見をしてひとつ賢くなったような気がした。渉は「いいとこ取りかあ」と、感心したようなことばを漏らし、大人同様にフォークを使えるようになっていた元希は、ついこないだまで似たような食べ方をしていたくせに、珍しい動物を見るような目でそんな妹の姿を見つめていた。
 あっけにとられた翔子は、私だってカレーライスの二回目のおかわりは、カレーだけちょっとすくって食べたりするもんね、と少しこじつけながら娘に味方したい気分になり、後始末のことなどすっかり忘れて、妙に落ち着いて娘の姿を眺めていた。渉の話にさほどうろたえない今夜の私もそうなのだろうか、と翔子は訝った。渉君を、幼児のように見ているから? まさか……

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