
フリオイグレシアス黒い瞳のナタリー
エレクトーンが壊れてから、『黒い瞳のナタリー』のことを忘れていた。ところが昨日、それはあまりにも突然に私のなかで鳴り響いて、あわててパソコンを開いた。
すると、You Tubeにいくつもこの曲が上がっていた。そのなかで、若者がサーフィンをしているビデオに目がとまった。フリオがあの魅惑的な声で、"ナタリー”と歌い始めると、もうもう私のすべてがフリオの甘い声と『黒い瞳のナタリー』一色になってしまった。
サーフィン…、なんて私には無縁の世界のことだと思っていた。のに、私は食い入るようにサーフィンをしている若者を見つめていた。私の深い意識の底から浮かび上がってくるこの強烈な感情に、私は戸惑った。サーフボードの上に立ち、ただひたすら波を待ち一気に波の形成する斜面を滑走する若者たちの姿が、人生の一番大切な一瞬に見えた。
私の人生に、こういうただ本能に身を任せた煌いた一瞬があっただろうか。いつも私を支配していたのは理性という、安全装置だった。そのおかげで、なんとかここまで平穏無事に暮らしてきたのだが…。
青い空と海、私の知らない異国の海辺のものがたり。ふと気がつくと、私の中に太陽と海と波の音が流れ込んでいた。どこか空の高いところで、フリオが『黒い瞳のナタリー』を歌っている。
太陽の光のきらめきと波しぶきが混じりあう海は透き通っていた。波は強くなったり弱くなったり。だけど、一直線に私を呼び寄せているのだと私ははっきりと感じ取ることができた。私の目の前を若者がすうっと滑走していった。
私はこわごわサーフボードの上で立ち上がった。それからボードの上に腹ばいになって両手と両足をばたつかせて、海の沖へ向かって泳いでいった。
ここ、ここがいい。私はサーフボードの上に立ち上がった。さあ、押し寄せてくる一瞬の波に乗るんだ‼
乗った。太陽の光と海と私が混じりあい一つになって透き通っている。私はこの一瞬を欲していたのだと思った。長い人生のなかで。