四人目の三人官女
ほんの隅っこでいいですから、私を、そこに置いていただけませんか?
一応、主婦歴40年ですから、何でもできますよ。そうでもないかな・・・
実家の床の間にずっと私の雛人形が飾ってあった。両親が他界したのち私はそれを自宅に持ち帰った。古ぼけた黒い木枠はがたがたで、埃で曇ったガラスがなんとか嵌まっている。内裏雛と三人官女は愛らしい顔立ちでひっそりと並んでいた。
雛人形を買い求めたときのことを私はよく覚えている。だって、町中を探し回ったんだもの。そして、「やっぱり、これにしますわ」と母が言ったのは最初に入った店だった。へとへとに疲れ切った母の顔、声、そして見上げたお雛様のことを私はずっと忘れなかった。
それから母はなぜか一年中雛人形を箪笥の上に飾っていた。それはどこに引っ越しても同じだった。雛人形の髪がカッパのように広がるのを気にして、母はしょっちゅう頭に紙を捲き輪ゴムで止めては外していた。
そのお雛様、今は私の家の玄関にある。しばらく忘れていた雛人形にハタキをかけていたら急にもの淋しさが私の胸を塞いだ。心が震え目を閉じると私の中で伏木の雪景色が広がり、そのうちにガラスケースが雪を被ってかまくらみたいになった。
「できたよー!」 洋ちゃんはかまくらを作ると息を弾ませて私をその中に座らせた。冬になるとほっぺ真っ赤っか、手足が氷のように冷たくなる私にとって炬燵から無理やり引っ張り出されてかまくらの中に座らされるのは嫌だった。が、洋ちゃんは妹がかまくらの中で喜んでいると勘違いしていた。だいたい、子供の頃から洋ちゃんはいつも一方通行なんだ。
吉幾三の「雪国」が流れていた。まだ弔問客のいない椅子に座り、次兄と話をした。
「とうとう、家族は私たち二人だけになったね」と私が言うと、
「えっ? K子にはH君もTさんもいるじゃない」不思議そうな顔で兄がつぶやいた。私は黙って遺影の洋ちゃんを見上げた。私は洋ちゃんたちのようないい夫婦になれなかった。哀愁のある曲が一層私の心を暗く沈ませた。
何事もトップでないと気が済まない父と、兄は事あるごとに衝突、対立した。私が中2のとき、父から勘当された兄は免許を取ったばかりで買ってもらった中古の軽自動車に乗って家を出て行った。母は泣きながら、洋ちゃんに布団と腹巻き(洋ちゃんはすぐお腹が痛くなるので)、なんだか思いつく物を車に積んでいた。Nちゃんは、そのときの布団と腹巻きを大切に持っているのだという。
「だって、捨てられないもの。洋ちゃんがこれ持って、京都に来はったと思ったら」
こういうときの京都弁て、なんていいんだろう。
一人の部屋で私は今、急に心細くなり立ちすくんでいる。確かに兄を亡くしたことで私はなんとか保っている心のバランスを崩している。窓からの光が私を包み込むようにしながら雛人形を照らしていた。
私は一段一段、小さな置き畳を踏みしめて雛人形のガラスケースの中に入っていった。すると、不思議なほど私は穏やかな気持ちになった。
私を、ここに置いていただけませんか?