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猿廻し

 子どものころ路上で遊んでいると、秋の陽の自分が長い影を曳いていることがあった。いつの間にか石蹴りもゴム跳びも終わっている。あたりは暗くなりはじめていた。
 そんなとき、薄暮れの向こうへ何かが遠ざかってゆくのが見えた。淋しげで単調なメロディーと、トントントン小さな太鼓をたたく音がする。
「なんていう曲だろう…」 その音のする方へ歩きながら、私は呟いた。
「恵子! ごはんよ。いつまでお外で遊んでいるの」 母の声が幻をかき消した。
 私は薄暮れの道を歩いてなんかいなかった。さっきまでみんなと一緒に遊んでいた、石蹴りのロウ石で描いた輪のなかにひとり佇んでいた。
 大人になって、淋しげな曲はサーカスのジンタ。小さな太鼓の音は猿廻しの音だと知った。
 そういうことがあったことなんて、もう忘れていた。
忘れていたといったけれど、私はあのときのことをはっきりと覚えていた。
 十年ほど前のことだ。正月、私と夫は遠出をして九州国立博物館と太宰府天満宮へ出かけた。博物館に「永青文庫」所蔵、菱田春草「黒き猫」がやってきたからだ。
 思った以上の衝撃に、私はしんと息をのんだ。「黒き猫」は私を自分の世界に招き入れることも、拒絶することもせず、ただ静かに確かな存在感でそこにあった。
「下で、待ってるよ」 衝撃を受けるとしばらく固まってしまうのはいつものことなので、夫が気をきかせてそう言った。
 黒猫の金色の瞳が強さを増してくる。そろそろ、ここを離れる時がきていることに気付いていた。そうじゃないと、私はそこに入り込んでしまい、もう二度と戻れなくなる。
 エスカレーターで一階に下りていくと、売店の前で夫が黙って座っていた。私は、「黒き猫」の複製画と数点の絵ハガキを買った。
 お昼は、博物館から天満宮へ行く道のお食事処でいただいた。デザートは梅が枝餅。
 太宰府天満宮はいつ訪れてもいい。表参道から正月気分の人がなだれ込んでくる。ほんとうは一月の終わりか、二月ごろがいい。全国各地から天神さんに献げられた197種類、6000本にものぼる梅が次々に花を咲かせるのだ。
 確か…、私が猿廻しと出会ったのは、表参道から左に曲がり境内に繋がる心字池にかかる橋のあたりだったと思う。トントントン小さな太鼓をたたく音がする。
 小さな人垣の中にいるのは、一匹の猿と親方だった。猿は不愛想なくせに親方に命じられていろいろな事をしては皆を上手に笑わせる。だけど、そろそろ終わりに近づくと楽しんでいた人が一人去り、二人去り…、とうとう私と夫と二人きりになった。
 猿がきちんと終わりの挨拶をしたので、私はお正月ということもあり紙幣を二つに折って籠の中に入れた。すると、猿が私に向かってお辞儀をした。
 なんだか楽しかったのに、物悲しい。幼い三人の子どもを連れた若い父親が慌てて立ち去った姿がとても嫌だった。
 そろそろ帰ろうとしているとき、楼門のずっと先を猿廻しの猿と親方がゆくのが見えた。
 猿は先ほどのように二本足で立っているのではなく四つん這いだった。
 親方が突然、振り返った。そして、猿に何かを命じた。すると、猿は急に立ち上がって二足歩行で立ち去って行った。
 私はなんだか身動きができないほど戸惑った。私は薄暮れの向こうへ遠ざかってゆく二つの影をいつまでも見送っていた。


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