山懐の闇が折り重なるように深くなって、やっと柩車は止まった。その中にぽつんと火葬場はあった。
空へ向けて高く積み上げられた煉瓦の煙突が黒煙を吐き出している。これから、父もこうなっていくのだ。なにもかも燃えつくす炎が肉体をすっかり消し去り、形骸としての骨だけを遺すのだ。
ざわめいていた控室をでて、火葬炉に近づくと八番のランプが点いた。
皆、そこに現出する静かに横たわる父の姿を思い描いていた。
が、一同、呆然となった。
父が、骨になってもなお生前のままの「父」として火葬炉から出てきたのだ。なぜか、皆がどっと笑った。
それは、それぞれが思いを曝け出した後の純化された笑い声だった。
「どうだ」、父の眼窩が得意そうにこちらの様子を窺っている。
その眼光の鋭さは生前の父となにひとつ変わらず、いや、むしろ生きているときとは少し違った鋭い洞察力を感じすらした。
強靭な肉体と精神で己の道を上り詰めていった父だった。が、尊大で人を見下ろすところがあった。ちょっとしたことで憤り、いつも孤立していた。それはもしかしたら僅かにある吃音が影響をもたらしたのかもしれなかった。コンプレックスの裏返し。うまく言葉が出てこないと、英語に堪能な父は英語でまくし立てた。不思議だ。日本語だとすぐ言葉がつっかえるのに、英語だと言葉がすらすらと出た。そうすると、ますます周りとのコミュニケーションが取れず癇癪を起こす。誰との関係も長続きしなかった。
そういう鬱屈したものが、微妙に父の顔を変えていったのは事実だ。父は自分の顔が嫌な顔をしていると思い込み、顔にコンプレックスを持っていた。確かに美男子ではなかった。だけど味のある顔をしていたと少なくとも私は思っている。
私とも事あるごとに衝突を繰り返した。絶縁状態にも何度もなった。それは、誰よりも私が父と似ているからだ。
晩年、父が入退院を繰り返していたころ、私、また父と大喧嘩をしてしまった。少し父と距離を置いていたあの夏の日、父は急逝した。
再び父に会ったのは仮通夜でのことだった。私は白い布を取り父の死に顔を見た。穏やかでとてもいい顔をしていた。父は少しも嫌な顔などしていなかった。
本当の父の顔を初めて見たような気がした。そう思ったとき、体中が涙で震えてどうしようもなくなった。
せめて、遺骨を灰まで搔き集め、父の好きだった海に散骨したかった。
のに、父の強靭な肉体と精神がそれさえも許さなかった。
父の頬骨は生前のまましっかりと突き出、胸骨と肋骨はくっつきながらますます強度を増し、腰骨は牛の骨を連想させ、投げ出された手足は尊大な「父」、そのままだったからだ。
過去よりも、今を生きろ。
皆を驚かせた父の遺骨は明るく笑い飛ばして、そう言った。