石黒智子さんの人付き合いの知恵に学んだこと
失業して時間ができたので、本棚にある自分の本を読み返しています。
石黒さんは建築家の妻として、自分の基準で生活を楽しんでおられる方です。厳選した暮らしの道具やインテリアがそれはそれは素敵な生活の達人です。
暮らしや家事についての内容が多い本ですが、人付き合いでなるほど!と思った個所がたくさんありました。その中の一部を抜き書きしてみます。
私も久しぶりにあった知人から「元気?」と言われることがあります。挨拶の枕詞のようなものですから、知人は深い意味は込めずに言ってるのでしょうから、とりあえず「元気よ」と答えます。
でも、本当に元気な時はよいのですが、今のように自分が好調ではない状態にあるとき、嘘をついているような、もやもやした気持ちが残ってしまいます。
自分が元気とは言えない状況のこともあるし、逆に知人がそのような状態のこともあると思います。
また、「元気そうね」という挨拶は、その言葉をかけてもらった方が仮にその時「元気」ではない状態にあったとしても、「あ、私、元気そうに見えるんだ」と、自分にちょっと自信が持てる、よい言葉かけだと、石黒さんの知恵に脱帽しました。
石黒さんは3歳の時から生け花をされています。生け花から学ばれたことを次のようにまとめておられます。
石黒さんの著書や雑誌記事などを目にするたびに、この方は独自の視点を持っていて、ブレないなあ、すごいなあ、と常々思っていました。もともとの性質もあるのでしょうが、生け花から学ばれたことを読んで納得しました。
あいさつって大事ですね。私は、なるべくあいさつをするようにしているのですが、相手から返ってこないと反射的にがっかりしてしまうことがよくあります。
この箇所を読んだ時、以前ベストセラーになった「置かれた場所で咲きなさい」の著書・渡辺和子シスターも、石黒さんと同様のことを書いていらしたのを思い出しました。
あいさつをするのは、相手のためというよりも自分のため、と考えれば、思ったような反応が得られなくても心を乱されません。
これはあいさつに限らないかもしれません。
人に良かれと思ってしたことに対して、思ったような反応が得られないときなど。
例えば、私には、誕生日にささやかなプレゼントを贈る友達が数人いるのですが、送っても友人が、うっかりポストを見るのを忘れていたり、「届きました」の知らせを忘れたりすることもあります。
何年も前に「置かれた場所~」を読んだ時から、プレゼントを贈るのは、相手のため、というよりどちらかと言えば自分のため、と考えるようになりました。
もちろん、相手が喜んでくれたら、それが一番良いです。でも、思ったような反応がなくても、年に一回でも誕生日を思い出す人物がいることに対する感謝の気持ちを自分で確認する、という意味合いが強くなりました。
あいさつに話を戻しますが、今回、私は職場でパワハラにあったときに貴重な体験をしました。
誰かにあいさつをしてもらったときに、あいさつを返すには返すのですが、自分の中のエネルギーが枯渇しているのか声が出にくいのです。当時、自覚はなかったのですが、夫から「最近すごく声に力がない」と指摘されてハッとしました。
もしかしたら、いっぱいいっぱいで、誰かがあいさつしてくれていても気が付かなかったこともあったのかな、と思います。
こんなことがなければ、あいさつできない人もいる、ということに私は一生気がつかなかったかもしれません。