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姉 末期がん

姉が末期がんである。
もう終末期で、おそらく今週もつかどうか。
吐き出す場所が欲しくて、ここに今書いている。

姉は50歳。
まだまだこれから長いはずだった。
8年ほど前だったろうか。
乳がんが見つかった時、既にステージ4だった。
正確な罹患時期は私は知らない。
当時私が妊娠〜授乳中だったため、家族が気遣って隠していたからだ。

10日前、腹水が溜まって辛そうではあったけれど、まだ普通に会話ができた。

一昨日会った時には、会話が噛み合わなかったり、意味不明のことを口走ったり、しくしく泣き出したり。
お腹は腹水でぱんぱんで、痛み止めが切れると「痛い、痛い」と苦しそうにもがいていた。

今日会ったら、痛みは落ち着いているようだったけど、もうあまり会話ができない。
「食べる?」「いらない」など、簡単な会話なら通じるときもある。
痛み止めの麻薬で意識が朦朧としているようで、目の焦点も合っていない。

聡明で冗談が好きだった姉とは別人のようで、でも整った目鼻立ちや、私とよく似た声は正に姉のもので。
なんだか悪い夢を見ているようで、まだパラレルワールドに迷い込んでいて、現実はあの日常が変わらず続いているんじゃないかと思う。
覚悟は決めているはずなのに、壊れていく姉を見るのが辛い。
布団をしきりにいじりながら、「そういうことじゃないんだよな」「こうじゃないんだよ」「絶対におかしいよ」と、少し呂律の回らない口で、元気だった頃の面影のある口調で繰り返す。

がんで亡くなるとは、こういうことか。

学生時代に姉と4年間二人暮らししていたことがあり、姉との思い出はその当時のことが多い。
4歳上で社会人だった姉は、給料日には近くの店に外食に連れて行ってくれた。
チーズハンバーグの美味しいハンバーグ屋さん、全く臭みのないピータンを出してくれる台湾料理屋さん、そば屋さん…

子どもの頃は、何でもできる姉といつも比べられていた。
勉強も運動もでき、友達もたくさん、異性にもよくモテた。でも天然で憎めなくて。
不思議と妬みはなく、自慢であり、可愛い姉だった。

母も乳がんサバイバーだが、78歳の今でも元気。
だから、姉も、大丈夫と思ったんだ。
がんと知ってるけど、どこか現実味がなく、何となくずっと一緒に年取っていくのかと思ってた。
お互い別世帯だし、1,2ヶ月に1回会うくらいだけど、仲は良い方だったと思う。

「その時」は確実に近づいている。
一緒に両親を見送るはずだったのに、なんであなたが1番に行こうとするんだよ。
もっと、話そうよ。

家では子供たちが無邪気にふざけていて、それが救いでもあって。
まだ、泣いてはいない。
気持ちに蓋をできている。
まだ、姉が頑張ってるから。

いつものようにテレビを見て笑う。
必死で日常を過ごす。

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