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城内FC・納谷監督

静岡県静岡市葵区のある城内フットボールクラブ(城内FC)は、
三浦泰年さん、和良さんを輩出したクラブでもあり、僕が学校1年生から中学3年の9年間を過ごした、サッカークラブチームだ。
7歳から15歳の9年間、基本週7日の活動時間。雷と台風の日と試合の無い日曜日だけが休み。
小学校、中学校、高校、大学、会社・・・私の人生でダントツ一番濃い時間を過ごしたのが城内FCだ。
これまでの人生、今の自分。全て城内FCでサッカーを始めたことがベースとなる。

そんな城内FCを創った、納谷義郎監督が、3月20日に亡くなった。
静岡県の伝統高校のサッカー部へ入学することが出来、東京の大学サッカー部へ入学することが出来、社会人となり仕事をして、独立することが出来たことも、
間違いなく、監督の存在があったからだ。

毎年絶対に挨拶に行く正月の初蹴りに今年は居なかった時は、本当に寂しかった。
毎年、「何やってんだ?」「元気か?」「仕事は順調か?」と、いつも聞いてくれ、
話をするだけで、身を引き締め新年を迎えることが出来ていた。

家族と友達としか過ごしたことの無かった僕が、
小学1年で入団した時に初めて親以外から怒鳴られ叱られた。
声が小さい!挨拶が聞こえない!
なぜパスを出した!?なぜ自分でシュートを打たない!?
最初は本当にただただ怖かった。
けれどそれ以上にサッカーを上手くなりたかった。
相変わらず怒鳴られ叱られたいたけれど、気がついたら選抜チームに選ばれる様になり、自分は勝つことが当たり前となり、負けたら悔しく、勝てる様に練習する。
そんな習慣が自然と身についていた。
今思えば、自分のコンフォートゾーンが、
自然と勝っている、出来ている状態となっていたのだ。

NTT CUP

小学6年生の時に、ナショナルトレセンに選ばれ、初めて福島のJヴィレッジで合宿をすることとなった。
その時に監督は、私1人の為に、静岡から一緒に福島まで送ってくださり、途中静岡に帰り、またJヴィレッジへ足を運んでくれた。
今でも鮮明に覚えている、上野駅。
監督が歩くのが早く、合宿の荷物を持ちながら必死に銀座線からの乗り換えの人混みの中、監督を追いかけた時。
無事新幹線に乗れたら楽しそうにワールドカップの話をしてくれ、ナショナルトレセンに送り出してくれた。
最初は反対していた、藤枝東高校への進学も、初蹴りの時にはしっかりと状況を聞いてくれ、話をしてくれた。
2年になってもスタメンで出れず悩んでいる時も話を聞いてくれ、
「自分のやりたい様にやれ!やり続けろ。」と言って下さり、腐ることなくBチームでプレーが出来た。
2年の高校サッカー選手権後、新チームの体制を先生が発表したら、
なんとキャプテンが僕だった。
これは本当に驚いたけど、あの時監督が言ってくれた、
「自分のやりたい様にやれ!やり続けろ。」
この言葉を守ったからだと、素直に思った。
キャプテンになってからが本当に辛かったけど、、、w

このように、全ての僕の人格形成がされたのが、城内FCでの9年間と言っても過言ではない。

今、僕はやっぱり自分でがワクワクし人々に喜ばれる、
サービスをしたいと思っている。
2年前から出来ることが何かないか?と考え模索していた。
やっぱり、僕はサッカー、アスリート、スポーツ界に貢献できることをしていきたいと強く思う。

そんな中、最後に監督と電話でお話しが出来たのが、2021年の5月。
ちょうど1年前になる。
「スポーツ、アスリート界に貢献できるサービスを提供し仕事をしたい。」
と独立の報告をした。
すると、
「兄弟は俺が何とかするから何かあれば兄弟を使え!いいな!?」
と言い、何も詳しいことは説明する前に全面協力をしていただけた。
叱る、褒める、教え子に協力する。全てに愛情があり素敵な監督だった。
天国の監督にまた叱られない為にも、僕は頑張っていかなきゃ成らない。
監督に教わったサッカー、スポーツの素晴らしさを様々な方へ伝え、
地域と結びついたサービスを創る。

出来た際には報告します。またあの声で怒鳴ってください。

そんなことを考えてる僕も本日が36歳の誕生日となります。
36歳記念に初投稿、今後も続くように、、、、

YOHEI

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