年明け直後の震災。そしてあらためて悟った言葉


 後れ馳せながらではありますが年明け直後の能登半島地震により被災された方々、心からお見舞い申し上げます。
 地震当日は私が住む富山県射水市にも津波警報が発令し夕方から夜中にかけ避難をしていました。お隣に足腰が弱ってしまったお婆ちゃんが住んでいるのですが、もちろん一緒に避難をしなければですよね?ところが、幾ら呼んでも出て来ない。おろおろしかけていた私を見た近所の方が声をかけてくれたので状況を説明して御協力いただき、ようやくお婆ちゃんを救出して避難に至りました。
 富山県は地震がことのほか少なく、ましてや今回が最も大きな地震だったので住民の不安も一層募っていました。不安でいっぱいなお婆ちゃんに「大丈夫や、立山様が守ってくれるやちゃ。安心しとられ。」とずっと励ましていました。もっとも私自身もかなりの不安だったけど、そこで表に出すと示しもつかないので自分自身にも言い聞かせていたような気がしますね。今思えばですが。
 21時を過ぎた頃、避難すること約6時間後にようやく警報解除となり帰宅。海沿いは若干の被害があったものの、新湊地区全体では死傷者無しというのが不幸中の幸いでしたね。


 そして、余震ばかりを気にしていた正月休みも終わる日にお隣のお婆ちゃんから電話が…。「何かあったがけ!?」と慌てて訪ねていくと避難時のお礼でカレーをお裾分けしてくれるとのことで、なんだか拍子抜けした反面ほっこりもしたね。今現在40代半ば以上の人しか知らないと思うけど、「おせちもいいけど、カレーもね!」という某食品会社の正月のCMみたいな締めくくりとなりました。具だくさんで辛さも自分好み、美味しくいただいたよ。


 そういえば、避難時に近所の方が配ってくれた塩むすびとお茶やチョコレート菓子。普段なにげに食べているが当時は物凄く美味しく感じたなぁ。緊迫感もあってかなり喉も渇いていたので、紙コップ一杯のお茶も貴重に思いありがたくいただいた。
 実は私、以前の投稿にもありますが約1年前に「これからは好きな場所で自分らしく生きていこう!」と一代決心をして富山県に移住してきたんですよ。しかしながら、ご近所の方々とは当然お付き合いも浅く密ではないので避難時も疎まれるのではないかという不安が正直ありました。ところが、俗にいう新参者である私にもまるで遥か昔から住んでいるかのように良くしていただいて、世間話を交えつつ親交を深めるいい機会となりましたね。
 新年早々の地震とは本当に災難以外の何物でもないので、被災者の事を思うと本来嬉しかった出来事として挙げるのはどうか?とは思いましたが、絆という一言だけではない何かとても大切なものを手に入れたなぁという体験だったので投稿させていただきました。
 ちなみに、お隣のお婆ちゃん。今の時季はいつも私がお隣の玄関前まで雪かきをするのですが、お礼にと言って手料理のお裾分けや食材などをいただきます。自分的にはあくまでも近所付き合いの一環としてやっていましたが、今では好意という事になっています。
 今回の避難時の事で、我が新湊地区のキーワードがお婆ちゃんの口癖と同じく「持ちつ持たれつ」という事を移住1年後にしてようやく知ったので好意という形になるんでしょうね。世知辛いこのご時世では死語になりつつ…と思っていた言葉ですが、人間関係の基本ですよね?という事をふまえて、被災者の方々に微力ながらも何か出来る事はないか?と考えていました。
 石川県はかなりの期間、観光収入などが途絶えるので本当に微々たるものではあるけど米を始めとする食材は石川産のものを購入しています。今は同じ北陸の人間として、ほんの僅かでも力になれればと考えて毎日を過ごすばかりですね。
 長文、失礼致しました。

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