金曜日の夜に。子なし36歳の友人とのおしゃべりで気づいた当たり前だけど大切なこと。
とある話の流れで、『努力って、つかれるよね。』と友人が言った。
そうなのだ。
何かと真摯に向き合うということは、とても根気のいること。
私のような短絡的なタイプの人間はすぐに結果を求めてしまうため、長く続くようなものが極端に少ない。
『努力をすれば未来は明るい』と信じていたかった。
なぜ過去形かというと、自分が選択し歩んできた道が今に続いているのなら
なぜ私は今、『目の前の事に疑問を持ち、口を開けば文句ばかりしかでてこない』のだろうか。それは、想像していたよりもずっと自分の将来に対する期待が外れていたからだと思わずにはいられない.。
どうも。
ざらめ煎餅のおいしさに目覚めて。です。
そう。
私は、自分の期待に応えられなかったのです。
その時その時を、必死に生きてきた。
結婚さえしてしまえば、何かが変わると思っていたし
結果として、自分の心のモチベーションとやらは高くもなった。
でも、長くは続かなかった。
次なる悩みは待ってはくれないのだ。
この話を頭の中でまとめた流れで、『人生設計がうまくいってない』と友人がポツリLINEをくれた。
そうなのだ。
人生設計は、大雑把ではあるが私も立てていた。
地道にコツコツと頑張っていれば…神様は見ていてくれる。
そんなささやかな願いを信じて彼女は生きてきたのだろうか?
ずっと、子どものいる生活が当たり前だと信じて疑わなかったので
現実とのギャップに今も心がチクッと痛むことがある。
ただ、今となっては子育てというもの以外にも人生を楽しむためのエキスは探せばたくさんあるのではないか?と少しだけ視野が広まってきた私がいる。だから時の流れというのは薬だ。
『ないものねだり』なんて一言で片づけられてしまうことが、すごく悲しいと思った時期がある。
その人は、その言葉で自身を納得させることができたのかもしれないが、そこに至るまでのたくさんの『揺らぎ』をいとも簡単に表現してしまい相手に同調を求めるのは酷なのではないのか。
私はそんなの嬉しくない。
文章を書くのが好きだ。
本を読むことが好きだ。
おいしいものを食べることも好きだが、最近はこれからの健康の事を考えて
食べる事だけに偏らないように気を付けていたりもする。
そんな、『好きなことがある世界』がどれだけ私を救ってくれたことか。
人は、他者をとおして世界を広げていくというが
人生設計を立てて、思うように計画が進まなかった場合、私は自分を振り返る反省作業をとことんやってしまいそうだ。(現にしている)
そして、反省と後悔ばかりを繰り返して『じゃあどうする?』に目を向けようとする切り替え方を知らなかったのかもと今は思うのだ。
真面目に、堅実にやろうと思っていても
それが自分の首を絞めて息苦しくなってしまっていては、元も子もない。
その苦しさに気づいた時、
何かが間違っていると気づく時なのかものかもしれない。
『努力って疲れるよね』から、『人生設計が思ったとおりにいかない』まで。
私たちは日々の暮らしの中で何を得て、諦めて。信じて、また疑って生きてゆくのか。
わかっていることは、『元気でいること』がエネルギーの源だということ。
それを心得ている大人は強いのだ。
そんなことを脳内でまとめつつ、
今日もお気に入りのマグカップで紅茶を飲みながら
その香りに癒されて。
いつだって、自分のご機嫌は自分でしかとれないのです。
※写真は、友人からいただいたLUPICIAの限定缶。
お茶の葉と一緒に金平糖がチラチラと混ざっていました。
金平糖ってなんだか可愛いですよね。