亀田鵬斎 酒佛経第二回
如是我聞 このように私は聞いております
一時佛在酣暢無懐山 ある時、お釈迦様は酣暢無懐山に
與七賢八仙倶 七賢や八仙と一緒に居られました。
一切醉龍醉虎 酔って寝てしまう者も酔って暴れる奴も
醸王糟候 酒の王様も酒かすの貴族も
鯨飲海呑 ものすごく酒を飲む連中も
狂花病葉 飲んで怒り出す奴も呑んで寝てしまう人も
歡場害馬 理屈を言って呑んで楽しんでいる雰囲気を壊す奴も
酣笑酒非 酔っ払って笑う人も泣き出す人も
人非人等 その他もろもろの酔っ払い達がすべて
【語句】
如是我聞 <ニョゼガモン> 御経の始まりの極まり文句
「このように語り伝えられてきています」の意味。
当時の人々は現代の私たちとは違い、お寺をよく訪ねたもの
です。お寺ではお経を唱え、そのたびにこの如是我聞をしば
しば耳にしたでしょう。
鵬斎先生はこの『仏説摩訶酒仏妙楽経』の最初は法華経序品
に似せ、終りの近くは般若心経を真似ています。
どちらも当時の江戸の人には耳慣れたものだったのです。
一時佛在 御経の始めの決まり文句。「ある時仏様が..」といった意味。
場所・時間を特定せずに、仏がこの経を唱えたときの状況を
書き出すのに使われています。
「如是我聞 一時佛在」とくればこれは間違いなくお経の始ま
りということが当時の人には理解されたはずです。
酣暢 <カンチョウ> 酒に酔て気分がのびのびする。
無懐 <ムカイ> 心に思うところがない。
七賢 竹林の七賢(嵆康、山濤、阮籍、向秀、劉伶、阮咸、王戎)。
倶 ともに(偕)、みな(皆)、連れ立って
醉龍 酔って寝てしまう人。
醉虎 酔って暴れる人。
醸王 酒の王様。醸=酒をかもす、転じて酒のことも指す。
糟 糟=酒のかすとこうじ 。
糟丘=酒のかすを丘のように積み重ねたもの
李白の詩『月下独酌 其四』に蟹螯即金液、糟丘是蓬莱という
句がある。
鯨飲 鯨の如くに飲むをいう。こヽではそのように大量に酒を飲む
人を指している
杜甫の詩『飮中八仙歌』に 飲如長鯨吸百川、銜杯樂聖稱避
賢 という句がある
海呑 海を呑みつくすように酒を飲む
狂花 怒り上戸
病葉 眠り上戸。
歡場害馬 理屈上戸。
酒悲 泣上戸。
人非人 こヽでは、人と人でないものとして訳した。
一般的には、仏典の辞で非道の者、転じて人でなし、とされ
ている。
【蛇足自注】
酣暢
『蒙求・阮宣杖頭』には『晉書』阮修傳に基づいて、阮咸の甥の阮修の日常を「常歩行、以百銭挂杖頭、至酒店便獨酣暢(いつも歩くときには、杖の先に百銭をかけ、酒屋に着けばひとりで酒に酔ってはのんびりしていた)」と描き、竹林七賢と変わらない世俗のしきたりにとらわれない阮修の姿を示しています。
酣暢はこの阮修の酔った形容に使われており、『蒙求』に馴染んでいる江戸の人々にはよく知られた言葉だったのでしょう。又、この言葉は『世説新語』でも竹林七賢の描写に使っています(「七賢」の項参照)
無懐
「無懐」という言葉から、中国太古の時代の伝説の聖帝王「無懐氏」を思い浮かべ、さらには陶淵明の五柳先生傳の賛の結び「酣觴賦詩、以楽其志。無懐氏民歟、葛天氏民歟(酒を飲んで詩をつくっては、自分のこゝろを楽しませていた。まるで無懐氏の時代の民であるか、葛天氏の時代の民のようだ)」を鵬斎先生が意識していたことは間違いないでしょう。
竹林の七賢
『世説新語』では「陳留阮籍、譙国嵆康、河内山濤、皆年相比、康年少亜之。預此契者、沛国劉伶、陳留阮咸、河内向秀、琅邪王戎」と名前をあげ、七人常集于竹林之下、肆意酣暢。故世謂竹林七賢(七人はいつも竹林に集まって、気ままに酒を飲んで楽しんだ。だからこの人たちを竹林の七賢者と呼ぶ)」しています。
しかし、実際にこの七人が竹林に集まって酒を飲んでいた考えられず、六朝時代に流行っていた清談の象徴として創作されたものと考えられます。
八仙
通常八仙といえば、道教の仙人である李鉄拐(りてっかい)/呂洞賓(りょどうひん)/韓湘子(かんしょうし)/張果老(ちょうかろう)/鍾離権(しょうりけん)/藍采和(らんさいわ)/何仙姑(かせんこ)/曹国舅(そうこっきゅう)の八人を指します。
しかしこヽは呑兵衛の話です。鵬斎は、杜甫の『飮中八仙歌』に出てくる賀知章、李璡、李適之、崔宗之、蘇晉、李白、張旭、焦遂の八人の大酒呑みのことを考えていたのでしょう。
醉龍
この言葉も夏樹芳『酒顚』(後述)に出ている。「中郎蔡邕飲至一石、常醉在路上臥、人名之曰醉龍」。
ちなみにここで名前の出てくる蔡邕は三国志に出てくる人物である。大昔の光栄のゲーム『三国志』ではそこそこに頭は良いが、弱くてほとんど役に立たなかったという記憶がある。
元々は『語林』に出ている話らしい。
醉虎
酔っぱらいの事をトラという。その由来ははっきりしていないが「酒のことを俗にササというが、笹には虎がつき物ということで酔っぱらいの事をトラと呼ぶようになった」との説がある。
醸王
唐の汝陽王璡(八仙の李璡)は酒好きの自分を醸王とも呼んだと伝えられるが、ここでは醸王を普通名詞としておきたい。
狂花・病葉・歡場害馬・酒悲
鵬斎先生の『高陽闘飲序』の自注では、次のようになっている。
狂花 俗言「波良多智上戸」
病葉 俗言「禰武利上戸」
歡場害馬 俗言「利久津上戸」
酒悲 俗言「奈起上戸」
明の夏樹芳に『酒顚』という酒呑みの逸話というか雑話を集めた本がある。酒飲みには堪えられない本である。
青木正児先生の名著『酒中趣』の後半にはこの『酒顚』の訳文が入っているが、「酒顚は多きを貪って零砕な記事が多く、また事蹟の面白くないものも少なくないので、それらを淘汰して厳選した」とある。
この青木先生の淘汰された中に「病葉狂花」と題する次の一文がある。
皇甫嵩字義眞。以酒史自任。毎對客飮輙行射覆法。謂不可飮者。為歡場害馬。或有於牛飮者。以巨觥沃之。既撼狂花。復彫病葉。飲流謂睚者為狂花。睡者為病葉。
歡場害馬 :私には正確には理解できていない言葉である。
射覆法とは、普通は布などで物を蔽い、何があるかを当てさせ
る遊びであるが、ここでは大漢和に出ている酒席で行われた文
字をあてさせる遊びだと思う。
が、肝心の大漢和でもその部分の訳文が載せておらず、浅学菲
才の身には理解できていない。
文字を使ってごちゃごちゃ能書をつけるようなので、鵬斎先生
の訳で合っているのだろう。
まぁ逐語的に訳して「皆んなが愉しんでいる場所(酒席)で邪
魔になる奴」といったところか
睚者為狂花:睚は「いかりみる」であるから、狂花は怒る者
睡者為病葉:病葉は眠ってしまう奴
鵬斎先生も夏樹芳の『酒顚』を愛読していたのだろうかと思うとうれしくなってくる。
酒悲
元々は中国の俗語が伝わったもののようで『資治通鑑』(後唐荘宗紀注)にも「人有醉後涕泣者、俗謂之酒悲(酔って泣く者を、俗に酒悲という)」とある。
人非人
元々は天竜八部衆の内の緊那羅(人とも人でないともいえないもの、天の楽師)をさしているが、法華経でのように緊那羅と人非人が並べられていることがある。この場合には、人と非人で、非人は天・竜などの人でないものの総称である。・・・ 六種震動、爾時会中、比丘、比丘尼、・・・、阿脩羅、迦楼羅、緊那羅、摩喉羅伽、人非人及・・・(『法華経』序品第一)
【参考】
杉村英治『亀田鵬斎』(三樹書房)
早川光三郎『蒙求』(新釈漢文大系、明治書院)
青木正児『酒中趣』(筑摩叢書、筑摩書房)
夏樹芳『酒顚』(古今説部叢書所載、上海文藝出版社)
維基文庫@web
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