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鵬斎 酒佛経第11回
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唎鄔波具唎牟耶離多伊波具 劉伯倫や李太白
薩羯遠曩摩涅婆 酒を呑まねば
闥怛曩毘突 たゞの人
豫室曩阿賀悉曩都吉波那模 吉野明石の月花も
薩羯賀那計斂婆 酒が無ければ
闥怛曩突訶 たゞの所
醉醉醉醉醉也娜 よいよいよいよいよいやな~
酒佛又白佛曰 酒仏はまた仏に申して曰く
醉郷功徳其効驗既已如此 酔っ払いの天国の功徳とその効き目は、
このようにすでに知られている
若佛滅後或至無佛世界 仏が寂滅し、世界から仏が居なくなって
しまっても
【語句】
唎鄔波具唎牟 劉伯倫。
唎=リ、鄔=ウ、波=ハ、具=ク、唎=リ、牟=ム(ン)
耶 耶=ヤ
離多伊波具 李太白。
離=リ、多=タ、伊=イ、波=ハ、具=ク
薩羯遠曩摩涅婆 酒を呑まねば
薩=サ、羯=ケ、遠=ヲ、曩=ノ、摩=マ、涅=ネ、婆=バ
闥怛曩毘突 ただの人
闥=タ、怛=ダ、曩=ノ、毘=ヒ、突=ト
豫室曩阿賀悉曩 吉野明石の
豫=ヨ、室=シ、曩=ノ、阿=ア、賀=カ、悉=シ、曩=ノ
都吉波那模 月花も
都=ツ、吉=キ、波=ハ、那=ナ、模=モ
薩羯賀那計斂婆 酒がなければ
薩=サ、羯=ケ、賀=ガ、那=ナ、計=ケ、斂=レ、婆=バ
闥怛曩突訶 ただの所
闥=タ、怛=ダ、曩=ノ、突=ト、訶=コ
醉醉醉醉醉也娜 よいよいよいよいよいやな~
醉=ヨイ、...、也=ヤ、娜=ナ
(以上、咒らしく見せかけて書いた日本語の文章である)
醉郷 酔中の快楽を一種の別天地に比して言う。酔っ払い天国
【蛇足自注】
豫室曩阿賀悉曩都吉波那(吉野明石の月花)
吉野の花
吉野は花の名勝と古来言われてきています。
「花といふは桜のことながら、すべて春の花を言う」(白冊子)ように、花と言えばそれだけで桜の花を指しており、吉野の花もその山桜のことを言っています。
軍歌・歩兵の本領にも「万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵戦の花と散れ」(加藤明勝作詞)と歌われているくらいです。
また、芳野(吉野)を詠んだ漢詩も数多くありますが、その中でも有名な
藤井竹外「芳野」
古陵松柏吼天飇 山寺尋春春寂寥 眉雪老僧時輟帚 落花深處説南朝
は
元稹(王建とも)「行宮」
寥落故行宮 宮花寂寞紅 白頭宮女在 閑坐説玄宗
と比べると、今の観点からは些か?な感じがします。
尚、ソメイヨシノ(染井吉野)は桜の一種ですが、吉野の山桜とは関係なく、江戸染井町の植木屋でつくられた改良品種の桜です。
明石の月
明石を月の名勝とすることは『源氏物語』が元となっています。
詳しくは『源氏物語・明石の卷』を読んで頂くのが一番ですが「須磨に流された光源氏が、暴風雨や火事で落ち込んでいる時に、夢に父が現れ、父に窮状を訴えて泣いたところで夢から醒める。
外を眺めると父の姿はなく、月が皎々と輝いていた」という情景が一つ山場となっています。
まぁ正確に言えば「須磨の月」でしょうが、須磨と明石は電車で15分位の距離であり、月を見るのにそう違いは無いし、この直後から話は明石に移り、又この話も『明石の卷』の中の事ですので、明石の月と言い慣わされています。
「明石=明し=明るい、光などが明らかである」という連想が働きやすかったのもあるのかなという気もします。
醉郷
隋の王績に酔郷記という文章があります。「酔郷」の話となるとよく持ち出されますので、短いので全文を掲げておきます。
王績『酔郷記』
醉之郷、去中國不知其幾千里也。其土曠然無涯、無邱陵阪險。其氣和平一揆、無晦明寒暑。其俗大同、無邑居聚落。其人甚精、無愛憎喜怒。吸風飲露,不食五穀、其寢於於、其行徐徐。與鳥獸魚鱉雜處、不知有舟車器械之用。昔者黄帝氏嘗獲遊其都、歸而杳然喪其天下、以為結繩之政已薄矣。降及堯舜、作為千鍾百壺之獻、因姑射神人以假道、蓋至其邊鄙、終身太平。禹湯立法、禮繁樂雜、數十代與醉郷隔。其臣羲和、棄甲子而逃、冀臻其郷、失路而道夭、故天下遂不寧。至乎末孫桀紂、怒而昇其糟邱、階級千仞、南向而望、卒不見醉郷。武王得志於世、乃命公旦立酒人氏之職、典司五齊、拓土七千里、僅與醉郷達焉、故四十年刑措不用。下逮幽厲、迄乎秦漢、中國喪亂、遂與醉郷絶、而臣下之愛道者、亦往往竊至焉。阮嗣宗、陶淵明等十數人、並遊於醉郷、沒身不返、死葬其壤、中國以為酒仙云。嗟乎、醉郷氏之俗、豈古華胥氏之國乎。其何以淳寂也如是。今予將遊焉、故為之記。
この文を読む限り。王績は中国古来の理想の国土を酔郷と名付けているようです。それは「酔郷の国の風俗は、大昔の華胥の国のものと同じなんだろうか(嗟乎、醉郷氏之俗、豈古華胥氏之國乎)」という一文にも表れています。
また、この文の中では「昔者黄帝氏嘗獲遊其都、歸而杳然喪其天下」と黄帝が酔郷を訪ねた話になっていますが、『荘子』にも「堯治天下之、平海内之政。往見四子藐姑射之山。汾水之陽、窅然喪其天下焉」と堯が藐姑射の山を訪れたというそっくりの話が載っています。
どちらの話も、往古の優れた帝が理想の国を訪れてびっくりし、天下を忘れてしまったという話です。
この王績は中国の古い小説『古鏡記』にも登場します。
『古鏡記』の作者は王度、王績の兄です。『古鏡記』の粗筋は、王度は師より霊妙不可思議な力を持つ神鏡を得て精魅を調伏し、弟の績が旅に出る際貸し与えて、その魔力でもろもろの怪異変化を退治したというものです。
この王度、王績にはその他の兄弟もおり、王通は房玄齢や魏徴(共に唐朝創設時の大功臣)に教えを授けたという大学者です。
【参考】
杉村英治『亀田鵬斎』(三樹書房)
山本健吉『基本季語500選」(講談社)
簡野道明『和漢名詩類選評釈』(明治書院)
馮時化編『酒史』(商務印書館)
内田泉之助『唐代伝奇』(新釈漢文大系、明治書院)
福永光司『荘子』(中国古典選、朝日新聞社)
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