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鵬の飛翔~『荘子』逍遙遊篇

はじめに
長年この『荘子・逍遙遊篇』を読んでいるうちに、どうもすっきりしない感じを持つようになりました。

逍遙遊篇の最初の鵬の飛翔のところは好きだけれど、途中から蜩(ひぐらし)と学鳩(こばと)が出て来てごちゃごちゃ言いはじめ、またまた同じような鵬の話が出て来て、その後変に理屈っぽい事を言い立ててきます。

単なる素人の感想ですけれど、この辺りの文章と最初の鵬の飛翔の辺りとでは文章のテンポも違うように思えました。そして、最後の恵子と荘子の会話になると、また軽快な感じになっているような気がしました。

逍遙遊篇の説話は,逍遙遊と関連しているのか?
ある時、王先謙『荘子集解内篇補正』を読んで、いろいろ気の付くことがありました。それは逍遙遊篇に入っている説話が、必ずしも「逍遙遊」とは関係していない、ということでした。

王先謙さんの解説では
堯と許由の話は「聖人無名」を証明するためのもの
     (此段引許由不顧居天子之名、證明聖人無名)であり、
肩吾と連叔の話は「至人無巳」を証明するためのもの
     (此段引藐姑射神人、證明至人無巳)、
宋人が越に冠を売りに行く話は「神人無効」を証明するためのもの
     (此段證明神人無効)としてあります。
要するにこれらの説話は、鵬の飛翔が表している「逍遙遊」とは直接に関係していないと中国の偉い先生も感じているのです。

ここに出てきた「聖人無名、至人無巳、 神人無効 」は、鵬の飛翔の話の後の蜩と学鳩がごちゃごちゃ言っている話の終り書いてある言葉です。

鵬は劣った存在か?
王先謙さんは、この言葉を説明するためにこれらの説話を入れたと考えています。この句は「以遊无窮者、彼且悪乎待哉」に続けて書かれており、王先謙さんはこの「以遊无窮者、彼且悪乎待哉」に「待つところなくして無窮に遊ぶ、逍遙遊篇の要諦である(無所待而遊於無窮、方是逍遙遊一篇綱要)」と評を加えています。

ちょっと待ってくれ。
このちょっと前のごちゃごちゃ書いてあるところでは、自由な高みに昇っている順番を次のように書いています。
1)常識的な価値と規範に安住する人達
2)その人たちを猶然と笑う宋栄子
3)そういった現実を無視して飛翔できる列子
4)真に自由な飛翔者(以遊无窮者、彼且悪乎待哉)

そうすると、鵬は風が無くちゃ飛べない(風之積也不厚、則其負大翼無力)んだから、この趣旨に沿えば鵬はこの話の三番目の列子のレベルに過ぎないとなるわけです。「(列子は)歩かずに移動できるが、(風を)待たなくてはならない(此雖免乎行、猶有所持者也」と書いてあります。私がどうも気に入らないと思っていたところです。

大小の弁?
そこで逍遙遊篇をいろいろ読み直してみると「大小の弁」行き当たりました。
万物斉同(世の中のすべてのものは同じ)が一つのキャッチフレーズである荘子で「小さい蜩と学鳩が、大きい鵬を云々し、それを大小の弁とかとで説明する」のはどう考えても不自然です。

斉物論篇で「天地は一本の指であり、万物は一匹の馬とおなじである(天地一指也。 萬物一馬也)」とか「天下には獣の毛先より大きいものはなく、大山も小さなものとする(天下莫大於秋豪之末。而大山爲小)」と言っている荘子が、蜩と鵬を比べて大きい小さいというのはどう考えてみてもおかしい、ということです。

また劉向かよ!
そうこうしているうちに池田さんの『荘子』の「『漢書』芸文志の内容は、劉向・劉歆父子に由来しているから、この五十二篇本の『荘子』(俗にいう郭象本を指しています、筆者付記)は、前漢初期の劉向が整えたテキストであろうと推測される」という一文に出会いました。

「また劉向か」というのが本音であるし、ここに思い至らなかった己の未熟さをも痛感しました。

というのも、以前『列子』を読んでいて、どうもすんなり読めないのは漢初に纏められた『列子』がいい加減とというか恣意的というかでごちゃごちゃにされた所為であり、それをやったのが劉向という男であったと強く印象に残っていたからです。

劉向が絡んだとするとまぁなんでもありの世界です。
昔の儒者の文章などでは「劉向は漢初の大学者」などと説明してあるのもありますが、ろくに調べもしないで古いものはなんでも有難がるのは骨董屋儒者の悪い癖です。

劉向は経歴の第一歩からして偽書をつくり、死刑相当との判決を一旦は受けている男です。こんな男が絡んだのだから、漢初に劉向が絡んで纏めた文献に現在の観点から見た資料的正確さなどは期待すべくもありません。

個人的な感想になりますが「大小の弁」なんて小うるさく重箱の隅をつつくような議論は、どう考えても漢初の儒者の好みそうな些末な話題です。とすればこの辺りは全て劉向が入れたのではないかと疑ってしまいます。

莊子の読み方(私的)
どうせ『荘子』全編を頭に入れてしまえるわけではなく、気に入った部分だけをいくつか覚えている程度の人間ですから、『荘子』の中で自分が莊子らしいと感じる部分、「逍遙遊」とか「万物斉同」を軸に読めばいいんだ、と割り切ることにしました。

『荘子・逍遙遊篇』で言えば、最初の鵬の飛翔から直接終わりの恵子と荘子の話に続づければ、主旨はすっきりとし、篇名の逍遙遊にもぴったりします。
だから、私にとっての『荘子・逍遙遊篇』は、最初の鵬の飛翔と終わりの荘子と恵子の問答だけになった、ということです。

福永さんの『荘子』の各篇の先頭に書いてある解説は素晴らしいものです。大袈裟に言えば、この解説と森さんの『老子・荘子』を読めば、道家についての一般的な理解は終わりと言ってもいいレベルです。

その福永さんの解説で明らかなように、『荘子』と言う書物の各篇はそれぞれに独自の主張を行っており、相互に矛盾しているものも含んでいます。現在残っている『荘子』という書物全体でなにか一つの思想を表しているわけではありません。

【煩注】

劉向
時の皇帝宣帝は曾祖父の武帝に似て神仙方術が好きであった。淮南地方に誰にも知られていない「枕中鴻寶苑秘書」という本があり、不思議な力を使って鬼を使い、物を金に変えることができる術が記載されており、また鄒衍の寿命を長くする方法も書いてあるといわれていた。
劉向(字子政,本名更生)は、父が淮南に居た時にその本を手に入れ、子供の頃に暗誦して面白いと思っていたして、それを帝に献上し、黄金を造ることができると言った。
宣帝は劉向に黄金を造るように命じたが、もちろん、費用がかさむばかりで成功はしなかった。宣帝は劉向の処置を部下に委ね、その結果は、劉向は黄金ができると偽りを言ったのだから死刑に該当する、ということであった。しかし、宣帝は同じ一族(漢の皇帝の名字は劉)のよしみで劉向の命を助け、また使うようになた。

向字子政,本名更生。年十二,以父德任為輦郎。既冠,以行修飭擢為諫大夫。是時,宣帝循武帝故事,招選名儒俊材置左右。更生以通達能屬文辭,與王褒、張子僑等並進對,獻賦頌凡數十篇。上復興神僊方術之事,而淮南有枕中鴻寶苑秘書。書言神僊使鬼物為金之術,及鄒衍重道延命方,世人莫見,而更生父德武帝時治淮南獄得其書。更生幼而讀誦,以為奇,獻之,言黄金可成。上令典尚方鑄作事,費甚多,方不驗。上乃下更生吏,吏劾更生鑄偽黄金,繫當死。更生兄陽城侯安民上書,入國戸半,贖更生罪。上亦奇其材,得踰冬減死論。會初立穀梁春秋,徴更生受穀梁,講論五經於石渠。復拜為郎中給事黄門,遷散騎諫大夫給事中。(『漢書』卷三十六 楚元王傳 第六)

劉向というと『漢書・藝文志』だけが引用されますが、『漢書・五行志』も併せて覗くと面白いでしょう。
董仲舒 と二人でいい加減な占いをやっていたのがよく解ります。
漢代の始めは占いが盛んな世の中、儒者というより占い師が幅を利かせた時代であった、と思っています。劉向とはまぁそういった人間です。

淮南
何故「枕中鴻寶苑秘書」といった方術の秘書の在所が「淮南(わいなん)」の地かというと、ここは嘗て淮南王劉安(漢の高祖の孫。謀反を起こしたと言われ自殺)が治めており、 学者数千人を招いて『淮南子(えなんじ)』を編纂したからである。
『淮南子』は諸子百家を統合し統一的な知の大系を目指していたが、(儒教の立場から見ると)道家思想色の強いもので神秘的な思想を多く含んでいると考えられていた。
公にした『淮南子』の他に、他人に公開したくない秘術があり、それを記した隠れた書物が存在していると信じられ、『枕中鴻寶苑秘書』もそのような秘法を記した書物と思われていたのであろう。

【参考】

王先謙『荘子集解』(上海掃葉山房)
王先謙『荘子集解 荘子集解内篇補正』(中華書局)
郭慶藩『荘子集釋』(中華書局)
福永光司『荘子』(中国古典選)朝日新聞社
金谷治『荘子』(岩波文庫)
池田知久『荘子』(講談社学術文庫)
森三樹三郎『老子・荘子』(講談社学術文庫)
金谷治『淮南子の思想』(講談社学術文庫)
『漢書』卷三十六 楚元王傳(維基文庫@web)


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